#2 18歳でやりたい事が見つからないのは当たり前だから、見つからなくても安心して下さい。
18歳の姪の悩み
先日田舎に帰省し、高校三年生になる姪と久しぶりに会いました。
彼女は高校三年生になり進路に悩んでいるとのことでした。
教職の親族がいるので、姪は彼に相談しました。
すると彼は、
「何かやりたいことはないの?」
と尋ねて、やりたいことや好きなことを見つける重要性を姪に説きました。
姪はうーんと考えて
「特にないんだよね」
と答え、
「あえて言えば美容関係かなぁ」
と言いました。
それを聞いて、私は思わず
「美容師さんは、仕事も結構ハードで大変みたいだよ。それでもやりたい理由があるの?」
と尋ねました。
すると、彼女は
「髪型が自由に出来そうだから」
と答えたのでした。
私自身40歳を超えた今、18歳の時点で自分のやりたいことや、関心事を自己理解して、進路とその先の仕事に繋げるのは、流石に難しいだろうと思います。
先述の教職の親族の言葉はあたかも「何でもいいから、やりたいことを仮決めして、高校から出て行ってくれ」と私には聞こえてしまいました。
もちろん、いつまでも経済的にも、心理的にも親に依存するのは問題があり、早く自立を促すべきだと思いますが、18歳の時点でどこまで自己理解を促すような機会や環境を社会や教育機関が用意しているのか?
私が18歳だったのは、もう20年以上も前なので、現状がどうなっているのか分かりませんが、姪の様子を見る限り、私の頃とそう状況は変わっていないようです。
それは本当にやりたいことなのか?
18歳の時点でのやりたいことや関心は、本当の自己理解ではなく、その時点での家庭環境や周辺状況が強いる環境への反発が多いのではないかと思います。
例えば、髪型を一定のものに強制されれば、奇抜な髪型をしたくなるものだし、退屈な環境を強いられれば、刺激や娯楽を求めるのだと思います。
つまり、反発からくるやりたこと、関心事は本当の自己理解とは言えないなではないかと思うのです。
とにかくサバイブしよう
また、やりたいことと思って邁進しても、自分が差し出す労働力と報酬のバランスが取れなくては、いわゆる"やりがい搾取"に陥ってしまいます。
低賃金で充分な休養と栄養をとらずに過酷な労働をやりたいことだからと続けても、長続きしないし、これではやりたいことも嫌いになってしまいます。
できることなら、なるべく多くの人生サンプルを詳細に検討し、人々が感じている幸福度、生活レベル、資産状況などから、ロールモデルを見付けたいところですが、18歳の時点で参照できるロールモデルはせいぜい自分の両親、教師、友人の親くらいでしょう。
もっとも、こういう形でロールモデルを見つけるのは、その後でも難しいですが。
また、やりたいことなんて、年齢と共に変わってしまいます。
私の場合、小説や映画といったフィクションが好きでしたが、40歳を過ぎた今はそれらに昔のようには惹かれなくなってしまいました。
自己理解による自己実現が上手く職業に昇華されれば理想的ですが、これからはとにかくこの世界でサバイブしていくこと、それもなるべく良いポジショニングをして。
そう考えてしまうのは、非正規フリーターとして40歳を超えてしまった私のあまりに夢のない戯言なのでしょう。
無垢な表情の姪を見て、こんな夢も希望もない現実的な助言はすべきではないと思い、私は口をつぐんだのでした。