0034【分かることは分けること】
おはよう御座います🌄😊💖
今日は令和3年3月6日土曜日、
紀元2681年(西暦2021年)弥生、
旧暦1月23日、大安。
今日の一言は、
「分かることは分けること」。
現代の私達は、
分からないことがあるともやもやし、
分かるとスッキリするという、
傾向があるように思いますが、
分かるというのは、
この漢字の通り、
分けるということです。
つまり、
「分かった!」と思った瞬間に、
何かを切り捨てているのです。
自分にとって、
分かる部分だけを大事に取り上げて、
1人で納得して合点して、
得意になったとしても、
実は一方で、
分けて切り捨てているだけに、
過ぎないのかもしれません。
分けるということは、
分断するということです。
切り刻んでバラバラにして、
全体を見えなくして、
分かったと、
勘違いしているのかもしれません。
白か黒か、
ゼロか1か、
なんでも分けるのが得意な西洋文化が、
日本に浸透してきて、
古来日本人が大切にしてきたものまで、
分けようとしているように思えます。
昔まだ日本の家電メーカーが、
元気だった頃、
ファジーという言葉が流行りました。
日本人ならではの微妙な感覚を、
白物家電に取り入れたのです。
曖昧さというと、
はっきりしないと非難されがちですが、
その曖昧さというふんわりした感覚、
柔軟性のある母のような包容力は、
日本人の得意とするところです。
『あいまいな日本の私』という、
大江健三郎氏の主張は、
私から見れば、
自虐史観としか思えず、
寧ろ、
曖昧でいられることの度量というか、
許容力というか、
そういうものが現代人からは、
失われつつあるのではと、
私は危惧しています。
分かる方が、
スッキリするからと言って、
何でもかんでも分かろうとするのは、
もはや、
暴力行為のようにすら思えるのです。
分からないと癇癪を起こして、
自分が分かりたいように分かるという、
傍若無人な無謀さを感じるのです。
分からないものを、
分からないままにする、
その大人な態度、
古来日本人的な包容力の中で、
いつの間にか一体となるという、
主客が逆転する、
自他の区別すらなくなる、
一滴の水と大海とが分からなくなる、
その豊かな世界を、
今こそ現代の私達は、
取り戻さねばと思います。
分かったと思った瞬間、
こぼれ落ちてしまったであろうものに、
思いを馳せて、
注意深く全体を視るという、
意識を持つと、
これまでの分かりやすい世界と、
決別することになるかもしれませんが、
その代わりに、
豊かな情緒的なファジーな世界が、
訪れます。
分からないままにする、
胆力のいることかもしれませんが、
私達の心を少し大きくしてくれるかもしれません。
今日の一言は、
「分かることは分けること」。
分からない世界を楽しみましょう。
今日も皆様ご機嫌よう😊💖🌄
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