映画「ミッドナイトスワン」~母としての生き方
トランスジェンダーとして身体と心の葛藤を抱える凪沙は、母に捨てられた少女と出会い、母性に目覚めていく。「母になりたかった」人間が紡ぐ切なく衝撃のラブストーリー。(公式HPより)
ふと見かけた草なぎくんの凪沙さんの姿を見て、思わず観に行ってしまった映画。
トランスジェンダーの苦しみや切なさを物語るアンダーグラウンドな世界に引き込まれた。
トランスジェンダーとして生きること。
今の日本では社会の一般常識(とも言いたくないが)から外れた人間は差別を受ける。
十分な収入を得ることが難しいこともある。
理解されがたい存在とわかっているから親に打ち明けることもできない。
心の寂しさに付け込まれ利用されることもある。
体と心の性が一致している人が過半数いるだけなのに、
少数派はなぜこんなにも生きづらいのかと。
そして一方で母親からネグレストを受け、自傷行為を繰り返す一華。
「母に捨てられた少女」とは書かれているが、捨てられてはいないと思う。
ただ生活に苦しく自分に甘い母親が娘に甘えていただけ。
安定した生活さえあればこうつらく娘にあたることはなかったのではないか。
お金さえあれば・・・お金さえあれば、凪沙は安全な手術を受けることができた。
一華は母親の笑顔を得ることができた。瑞貴も気が済むまで愛する男に貢げばいい。
お金さえあれば幸せを手にすることができる。
でも、裕福な家庭に育つりんは自死を選んだ。
両親の愛情がなかったわけじゃない。
確かに体裁を気にするところはあるが、娘を大切に育てていたはず。
ただそれがきちんとりんには伝わっていなかった。
それが思春期というものと思う。この時期を乗り切り、大人になっていれば、両親もただの一人の人間なのだと理解ができただろうにと、ただ悔しい。
そして凪沙の母親は息子がトランスジェンダーであることを受け入れられず泣き叫んだ。
「母になりたかった」人間は凪沙だけではなく、一華の母親も、りんの母親も、凪沙の母親もみんなそう。
ちゃんとした母になりたくてあがいていた。
トランスジェンダーだけの問題じゃなくて、母の物語だと思った。
ちゃんとした母親の正解なんてどこにもないけれど、
女性という性別に生まれついたとしても母は悩むのです。
子どもを幸せにしたいし、自分も幸せになりたいのです。
凪沙はちゃんとした母になりたくて、一華を取り戻したくて、体にメスを入れた。
女性になりたかったのは生まれたときからだから、一華のせいじゃない。
その決断を否定はしないけど、やはりこの結末は悲劇的すぎた。
横たわる凪沙の姿の悲惨さ・・・なぜ直視できない光景をわざわざ映像として切り取って見せたのか。
これがこの映画の本質なのかなと。
大多数の人間が作り出す社会常識から外れた人間の末路。残酷さ。
ただその残酷な映像があったからこそ、海での最期の凪沙の美しさが際立つ。
すべてを超越した透明な美しさ。
死を肯定してはいけないけれど、死がすべてを浄化したように思う。
凪沙には女性に生まれ変わって生き直してほしい。
「私だけ・・・私だけ・・・」と泣き崩れる姿はもうみたくない。
悲劇的な物語ではあるけれど、観終わったあとの後味の悪さや絶望感はなかった。
一華の未来が希望だったのか。
凪沙の死がすべてを持ち去ったのか。
物語としてはこの結末には納得がいった。
ただ私はハッピーエンドが好きなのです。
実花先生に「おかあさん」と呼ばれたときの凪沙が大好きです。
二人でオデットを踊っているシーンも大好きです。
あの幸せが続けばよかったのに。