瀬戸内海と建造物を目当てに広島に行ったので旅行記としてまとめてみた①
全国旅行支援は終わったものの、広島県では独自の宿泊促進キャンペーンを行っているようですので、興味がある方は公式観光サイトをご確認ください。(2023年11月時点の情報です)
私の旅のスタイルは次のようなものです。
一人旅
閑散期の平日
車の運転はできるが、あまりしたくない
身体が不自由ではないが、体力はあまりない
お金はなくはないが、贅沢できるほどではない
自然を見るよりは、歴史と文化を楽しみたい
旅行するから写真を撮るのではなく、写真を撮るために旅行する
今回広島を旅行したのは、G7サミットが開催された2023年5月、の前の4月下旬。目的は建造物…と言うと堅いのですが、歴史や文化を中心に観光しました。
季節を問わず楽しめる場所だと思いますので、この旅程がどなたかのご参考になれば嬉しい限りです。
写真は全てRICOHコンパクトデジカメGRⅢで撮影しました。
おりづるタワー(広島市)
昼前に広島駅についてすぐ、ホテルに荷物を預けて広島市観光を開始しました。路面電車の広島電鉄に乗車し、原爆ドーム前駅に降りてすぐのところにおりづるタワーはあります。
おりづるタワーはもともと広島東京海上ビルとしてオープンし、広島マツダ大手町ビルとなり、2016年に三分一博志さんの設計でおりづるタワーとしてグランドオープンしました。三分一博志さんは瀬戸内地域の設計を多く手掛けていて、代表的な作品は犬島アートプロジェクト精錬所(岡山県)や直島ホール(香川県)、宮島弥山展望休憩所(広島県)などです。
ビルはオフィスが入っており、一般入場できるのは1階のカフェと物産館、屋上の「ひろしまの丘」と12階の「おりづる広場」、そして1階から屋上展望台まで上り下りできるスパイラルスロープ散歩坂です。
…にしては料金が高くて驚きなのですが、それでも入ることをおススメします。それはエレベーターで直行して見えるこの景色!
木造の天井・柱・階段の中で風を感じながら平和記念公園や路面電車と剥き出しの原爆ドームを見て、心に感じるものがありました。
12階の「おりづる広場」には原爆投下前の街並みから投下後に復興していく様子を再現した映像コンテンツがあり、「おりづるの壁」からは折り鶴を投入することができます。自分のおりづるがタワーを形成する一助になるというのも嬉しいです。
山があり、川があり、人がいて、都市が造られ、それが一瞬で壊された。
そこから復興して今の広島、今の平和があるという、知識だけでは得られないことが、タワーから見ることで感じられました。感受性や共感性が強くて「原爆資料館はちょっと辛いなぁ」という人にちょうどいい施設だと思います。
おりづるタワーの次は広島電鉄で広電宮島口駅へ、そこから宮島行のフェリーに乗りました。
厳島神社(廿日市市宮島町)
広電宮島口駅を降りるとすぐ宮島フェリーのりばがあります。フェリーの本数も多く、10分程度の船旅で宮島に着きました。
フェリーが着いたのが干潮時だったので、大鳥居周辺を一通り見てから厳島神社本殿を参拝しました。
一通り観光し、名物のあなご飯や揚げもみじ饅頭を食べて地ビールを飲み、日の入りを待ちました。
夕方になるとフェリーの時間や旅行スケジュールの関係なのか日本人は少なく、外国人の方が多くいらっしゃいました。神社と鳥居があるのに海沿いは外国語に溢れていて、海外に来ているような何とも不思議な雰囲気でした。
太陽が山に沈むところは厚い雲がかかっていましたが、厳島神社でいい夕日を見ることができました。
帰りはフェリーで戻り、JR宮島口駅から広島駅に行きました。広島駅1階の「麗ちゃん」のお好み焼きもめちゃめちゃ美味しかったです。
広島市環境局中工場(広島市)
2日目はレンタカーを借りました。そして向かった先は広島市環境局中工場。映画「ドライブ・マイ・カー」のロケ地としても有名な場所です。
設計は谷口吉生さんです。豊田市美術館の設計もされていて、以前noteに写真を載せましたのでリンクを付けておきます。
映画「ドライブ・マイ・カー」の中でも語られていますが、中工場の真ん中の通路は、原爆ドーム・原爆死没者慰霊碑・広島平和記念資料館の「平和の軸線」が貫通し、海に抜ける設計になっています。
美術館のような美しいゴミ処理工場、平和な公園と原爆の記憶、瀬戸内の海と工業地帯。相反するものが同列に並ぶ、映えるだけでない思慮深い場所でした。
この後はレンタカーで福山市に向かいました。ドライブ・レンタ・カー。
2,000字を越えてしまったので鞆の浦、神勝寺、尾道は次のnoteにまとめます。