社内ニートとHSPと物事の善し悪し
自分はHSPかもしれない。
HSPとは、Highly Sensitive Person の頭文字で、1990年代に心理学者のエレイン・N・アーロン博士が提唱した。
人混みが苦手だったり、人の感情を敏感に感じ取ってしまったり、音や光などの刺激に弱く、疲れやすかったりする。
そのため、ひとりで静かに過ごすのを好むことが多い。
私も漏れなく、刺激に弱く、人の感情に敏感なので1人が好きだ。
私は、社内ニートだ。
たとえ、仕事があっても、1人でする作業が多く、暇でつまらない。
でも、HSPである私が刺激の多い場所で働くのは元々無理だったのかもしれない。
前職では、仕事の忙しさに加え、上司の怒鳴り声や愚痴や嫌味や悪口などに晒されて、休職寸前にまで追い込まれた。
別の部署に異動になって、難を逃れたが、今度は仕事がない。
神経質で傷つきやすいこの性格のせいで、社内ニートになったのかもしれない、と思うとせつない。
でも、良い悪いではなく、繊細で感じやすい性質なんだろう、とも思う。
自分を否定して、無理して強くなろうとせず、自分にあった環境を選べばよいのかもしれない。
子供のころに、親に「あんたは神経質すぎて嫌だ」と言われたからか、自己の性質が嫌いで、ずっと違う人間になりたかった。
でも、そもそも違う人間になるなんて無理なのだ。
この性質は良い悪いではなく、元々備わっているもので、そういうものなのだ。
直そうとして直るものではない。
現に鈍感になろうとがんばったが、無理だった。
大体、物事には良いも悪いもなくて、そこにはただ事象があるだけ。
良い悪いの判断をするのは人間で、しかもそれは偏見に満ちている。
例えば、私の神経質で傷つきやすい性格は、それ自体では良いも悪いもない。
しかし、社会で生きていく上では、傷つくことが多く、生きづらく不利な性格かもしれない。
だが、不利な性格であっても、悪いわけではない。
神経質で傷つきやすいというのは、裏を返せば、繊細で感受性も高いということだ。
感受性が高いということは、自然に触れる時、芸術に触れる時、大きな喜びを感じられる。
状況次第で、有利にも不利にもなるのだ。
ああ、そう、私は食べ物の味にも敏感なので、ご飯を非常に美味しく食べられるし、おいしい料理も作ることができる。
これだけは、親に褒められたっけ。
また、私のように仕事が暇でやることがない、というのも正面から受け止めれば、辛くなってしまうが、暇な時間にこうやって思考をまとめて、文章をしたためる時間があるという利点もある。
仕事に忙殺されて、自分の時間がなく、体力的にもつらいより、よっぽど良いかもしれない。
一日の大半を会社で過ごしていると、仕事を抱えて、仕事が出来る有能な人間に価値があり、うらやましく思えるが、社内ニートにも利点はあるな、ということ。
その利点と自己の性質を生かして、なんとか生きていけないかな、と模索している。
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