こまなしの自転車

同年代のこどもたちがさっさと「こまなしの自転車」(補助輪を外した自転車のことをそう呼んでいた)に乗れるようになる中、わたしはいつまでもそれができないでいた。近所の子たちが「こまなし」でさっさと遠くの公園へ遊びに行ってしまう中、わたしは漕げもしない自転車にまたがったままぐずぐず地面に足をついて団地の中をうろついていた。みんなああしろこうしろといろんな助言をしてくれたが、言われれば言われるほど身体がこわばって、とても両足を地面から離して漕ぎだすなんてできなかった。不安と恐怖にどう対処したらいいか誰も教えてくれなかった。不安や恐怖を乗り越えられないのは弱虫だからだった。昭和四十年代は根性論の時代だった。
ある午後、相変わらず乗れもしない自転車にまたがってひとりで遊んでいたら、アスファルトできれいに舗装された駐車スペースに出た。敷地外の道路に向けて開けたスロープのところで、左右交互に地面を蹴っていたら、ゆるい下り勾配のおかげで自転車がすーっと流れるように前に進んだ。(あっ、いけた)と思った。あの、自分の身体がすーっと自然に流れに乗った瞬間の感覚は半世紀以上経った今も忘れることができない。冗談抜きで、空を飛べたのと同じくらいうれしかった。自分の身体を自分でコントロールできた、数少ない、うれしい体験だった。

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