永田典子のうたを読む(4)
・海潮は黒き生き物みづのこゑ聞けよとひそか窓際の椅子 永田典子*
いっときも動きを止めることのない海潮は、それ自身が巨大な生き物のようだ。「黒き」というところから、夜の海、深い海を連想する。
「みづのこゑ」は潮騒か。ただ、単なる水音ではないようにも思える。海が生き物として声を発しているのだ。それは耳ではなく、心でしか聞き取れない声なのかもしれない。
「みづのこゑ」を「聞けよ」と言っているのは誰なのだろう。海が自らの音を聞けと言っているのか。それとも窓際の椅子が(ここに座って聞きなさい)と言っているのか。後者の方が趣深いように思うのだが、どうだろう。
難解なことばがひとつも使われていないのに、謎めいた歌だ。意味から読み解こうとしてもことばがするすると逃げて行ってしまう。読み手が心の中できちんとイメージを構築し、そこに自らの身を置いて感知しないことには、歌の伝えたいことに近づくことはできないのではないか。
この歌を最初に読んだ頃は、海辺のホテルの一室で、夜、眠れないまま海の音を聴いている……といった情景を想像していたのだが、それではどうもありきたりでつまらない。何年も経ってから読み返していたある日、ひとけの少ない美術館のイメージが脳裡に浮かんできた。薄暗い一室に展示されているのは一枚の大きな油絵で、画布いっぱいに暗い海が描かれている。絵の翳りが、大理石の床にも映っている。日光を入れすぎないように設けられた細いフィックス窓の傍らに椅子がある。本来は学芸員のための椅子だが、今は誰も座っていない。この椅子、絵の中で渦巻く水の声を聴くことのできる人だけのために置かれているのではないか。――そんな自分なりのイメージを描けた時、やっとこの歌につながる細い径路が垣間見えたような気がした。
無論、これが正解というわけではない。やはり、本当のところはわからないのだ。読み解けず、わからないまま、一行の詩としてのこの歌に魅了され続けている。
*「歌壇」二〇一四年十月号 「真夏の時間」十二首作品より