『心的外傷と回復』を読む勇気
ジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』を読み始めた。
わたしが知りたいことが書いてあるだろうという予感はありつつ、トラウマの話に正面から取り組む苦しさを思うと、なかなか手にとる勇気が出なかったのだ。
それが、先日、図書館で借りてきた中井久夫集を拾い読みしているうちに、(読んでみよう)という方向に思いが変化してきた。
スイッチを切り替えてくれた文章を以下、引用する。中井先生が『心的外傷と回復』の翻訳を手掛けるに至ったきっかけと、翻訳されていた時のエピソードである。
六十歳を過ぎてから、心的外傷の勉強に手をつけた。(中略)ちょうど第一次のロサンゼルス視察団から「あちらではどこにでも置いてありますよ」といって手渡された、ハーマンの『心的外傷と回復』を翻訳することにした。
ちょうど、ハーヴァード大学の大学院生ジョシュア・ブレスラウ君が日本精神科医の教育課程を調べにきており、(中略)彼に不明箇所を聞くことにした。主に「アメリカのおとうさん」の行状を記した部分で、「アメリカのおとうさんはそんなことをするのか!」と幼児への性的虐待の具体的方法に驚くことが多かった(日本でも同じことが行われているかもしれないが――)。
内容を読み進むにつれて、加害者と同じ男性である私はだんだん憂鬱になり、この本を訳すのに一年もかかっていては私の精神がもたないと思った。私は先を急いだ。電車の中でもバスを待つ間も、ブレスラウ君を伴った沖縄への旅でも翻訳しつづけた。ちょうど、ラテンとギリシャの古典を翻訳する仕事が入ってきて、これも一つの救いになった。ようやくトンネルの先が見えてきた時は三ケ月目だった。小西聖子さんに校正刷を読んでもらって用語を訂正し、解説を書いてもらって、世に出たのは訳しはじめてから半年後になっていた。
中井先生がこんな思いをして訳された本なのだ。訳者でこうなのだから、著者の思いたるや。ひきかえ、わたしはただ読むだけではないか。苦しくても、読んでみよう。そう思った。