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冬景色の公園で少年と出会う

冬景色が好きだ。
そんな人は少ないのかも知れないが、私はすっきりとした潔さを好もしく思う。冬の光はやわらかく、空は思いのほか青い。雪が降りそうな曇り空の、深閑とした姿もまたいい。
すっかり葉を落とし、枝振りをあらわにした木々は諦めたように鎮まっている。青々と葉を茂らせている時のような勢いはないが、内に力を蓄えているのがわかる。芽吹きの時を待つその様子は、報われないと感じられる際の過ごし方を教えてくれているようだ。
幹にそっと手を触れると、冷たい木肌を通して強いエネルギーが感じられる。

硬質な冬景色にあざやかな彩りを添えるのが山茶花や椿の花だ。
ヴィヴィッドなピンク色は、枯れた風景の中でこそうつくしく映える。
これが花と緑あふれる季節にあったなら、これほどまでに心惹かれることはないだろう。
寒さをおして咲くからこそ愛おしむ気持ちがうまれる。


枯れた芝生に目をやると、長く伸る影に気づいた。
まるで少年のようだ。
ひょろっとして見えるのはもちろん太陽の角度のせいだが、実は本体も少し細くなっている。
昨年、いつの間にか3キロほど体重が減っていた。
春、誕生日を迎えた後、何年かぶりで38度の熱を出した。37度で食事がとれなくなり、ただ寝てばかりになるくらい体力がない。38度となれば倒れているほか何も出来ず、医者の友人が点滴に来てくれたほどだった。
その時に2キロほど落ちて、これは痛いと思ったものの、やがて戻るだろうと高をくくっていた。


ところがなかなか戻らないまま、気づけばさらに減っていた。
骨密度も減少していて、これはもう絶対に転んではいけない体になったといっていい。
もとは「痩せの大食い」と言えるほどよく食べたのに、年齢を重ねたら食事量がかなり減ってしまった。
一日中、家で仕事をしていることも多く、動かないせいもあるだろう。
動かないから、食べられない。
そんなふうだから、体重も骨密度も減少してしかるべきなのかもしれない。
ゆえに反省して一日に30分は歩くことにした。


かつては一日10キロ近くは歩いていたのに、暮らしのリズムはいつの間にか変わってしまうものだ。
意識していないと、人間は(というより私は)楽な方へと流れてしまう。
歩かなくなったのは、花粉症を発症したことがきっかけだった。それで朝ヨガに置き換えたのだが、それでは骨への刺激は少ないのだろう。

今年もまた花粉症が出るかどうか、出るとしたらどれくらい支障を来すだろうか、気になるところだ。
ともあれしばらくはそれなり快適に歩けそうだ。
冬景色は私に安心を約束してくれる。

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石川真理子
みなさまからいただくサポートは、主に史料や文献の購入、史跡や人物の取材の際に大切に使わせていただき、素晴らしい日本の歴史と伝統の継承に尽力いたします。