千利休が歩いた道
岡倉覚三『茶の本』を読む
隠しているわけではないのですが、私のオンラインサロンで「隠れ講座」的になっている講座があります。
そこではこの一年、岡倉覚三の『茶の本』を読み説いてきました。
一年間かけて、一冊の本を深めていく。
そんな気の長い(?)講座は今時珍しいことでしょう。
「読むのが難しい」「意味がよく理解できない」
そんな『茶の本』を毎月みんなで読み合わせ、私なりの解説を加えた上で
さらに、思うところを受講者さん一人一人自由に述べていただきました。
最初は戸惑うようなところが多かったのが、回を重ねるほどにだんだんと慣れていき、さらには、それぞれが独自の世界観を以て岡倉覚三が描き出した世界にみずからの内側を重ね合わせ、自分の事として語れるまでになったのです。
その深さ、広さ、豊かさといったら、とても言葉には出来ないほどでした。
利休さまの最期を短く綴って終わるこの本は日本文化を、日本の心を知る上で繰り返し読んでいきたい一冊です。
一条戻橋、晴明神社、大徳寺へ
この一年で、大きく意識を変えた私たちは、会の終わりに際して、利休様の跡を京都に求めて歩くことにいたしました。
利休様の「みしるし」が晒された一条戻り橋、そこから、利休様が最後に暮らした邸のあった晴明神社へ。
晴明神社には、「清明の井戸」が今もあって、秀吉の大茶会の折や、利休様の「最後の茶会」にも、ここの井戸から水がくみ出されたということです。
それから、大通りを一本入った住宅街の細い道を大徳寺の方に向かって歩きました。
かつては西陣織を手がける家が連なっていたあたりです。
今ではだいぶ少なくなりましたが、いくつかまだ残っています。(ほんとうにわずかです)
住宅街の細い道に観光客の姿はなく、私たちのほかは、そこで暮らす人たちばかり。
そしてその道はおそらく、自邸から大徳寺へ、大徳寺から自邸へ、ともすれば、利休様が歩かれた道だったのかもしれないのです。
ずいぶん歩いて、京都紫野の老舗、和久傳さんのおそばやさん「五(いつつ)」へ。
こじんまりと品の良い店内、私たちの一行8名はカウンターをほぼ独占しました。
次々と供されるお料理に、やはりここを選んで良かったと心から思いました。
挽き立てのそば粉でつくられた蕎麦は、なんと、お塩でもいただけるのです。
生まれて初めて「塩」をつけていただきましたが、おつゆにつけるのがもったいないくらいで、すべてお塩でたいらげてしまいたいほどでした。
ほどよくおなかが満たされたところで、最後に大徳寺へ。
利休様より代々千家の墓所となった聚光院は拝観できませんでしたので、お外からそっと手を合わせました。
その代わり、織田信長が創建した黄梅院が「春の特別拝観」に伴い、中に入ることが出来ました。
ここは実に美しい庭園でした。
大徳寺は代々千家の家元となる方々が修行をされているお寺です。
黄梅院の庭園は、利休様が作庭されたと伝えられています。
19日に百歳を迎えられる千玄室大宗匠も、この庭園で作務をしていたのでしょう。
いつまでも座って眺めていられそうな、静かな景色。
早くも青紅葉がはじまっていました。
こんなふうに「誰かを思って歩く」旅が私はとても好きです。
こういう時、すべてが「今」にあることが感じられます。
失われたように見えても、実は、ある、ということも。
なぜなら、はじまりもおわりも、本当はないからです。