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「手放し」という付加物
外からの付け加えたものはその人のものでは決してない。
付加物は純粋に負担物にほかならぬ、それによって重みが加わり、自由と独立はもはや自分のものでなくなる。
偉大な行為はみな、人間が意識的な自己中心的な努力を棄て去って、「無意識」の働きにまかせるときに成就せられる。神秘的な力が何人の内にも隠されている。それを目覚ましてその創造力を現すのが参禅の目的である。
「手放し」という言葉が
まことしやかに使われるようになるほど
皮肉なことに
今度は「手放しができた私」というものを
創ろうとしているのかもしれません。
つまり、それもまた付加物というわけです。
自由と独立のなかに生き始めたなら
もはや「手放したかどうか」なども
すっかり忘れ果てて
天衣無縫の心境に至るに違いありません。
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