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「グノーシス主義」と神秘体験(宗教的体験) ―― その問題について
精神世界、スピリチュアルをやっている人の中には、神秘体験(宗教的体験)に憧れを抱くような人も多いのではないでしょうか?
米欧文明社会においても、マインドフルネス、瞑想、東洋の宗教・思想・実践が流行したり、本格的な瞑想リトリートやサイケデリクスに関心を持つ人があらわれたり、神経科学的アプローチが用いられたりしてます。
科学文明の世にあって奇妙なことに、神秘体験、内的体験への親和性が高まっているのかもしれません。
さて私の考えとしては神秘体験は闇、深い闇もあるので注意すべきということです。
これについては魔境のリスクなど、様々な観点から指摘できるでしょう。
関連note:『魔境』の話① 瞑想・ヨガ・生命エネルギーの実践における魔境
このnoteでは「グノーシス主義」といったものを持ち出して、神秘体験の弊害、問題について触れておきたいと思います。
関連note:#神秘体験の弊害(瞑想する人)
概要
このnoteで言いたいことは、、、
神秘体験やその性質・影響には「グノーシス主義」の傾向がある。
その傾向に正しく対処できないと、その体験の影響力は有害なものにもなりえる。
グノーシス主義の問題としては、ここではとくに「反宇宙的二元論」を指摘しておきたい。
この反宇宙的二元論が忠実に極端に実行されてしまうと、個人、社会にとって破壊的なものとなりかねない。
そもそも「グノーシス主義」は神秘体験が生み出したようなものであって、密接な関係があり、グノーシス主義のはらむ問題・闇についての考察は、そのまま神秘体験にも当てはめることができる。
このグノーシス主義、神秘体験の内にある問題・闇をそのまま実行してしまったのが「オウム教団」だと言えるのではないか。
、、、ということです。
この瞑想noteの方針としては、「霊性」に関する実践であったとしても神秘体験を過大視したり、執着したりすることはやめましょう、神秘体験なんかよりももっと本質的なものである霊性、智慧・慈悲に向き合いましょうということです。
関連note
・密教(タントラ)の目的。瞑想、ヨガ、クンダリーニ、神秘体験、超人思想、、、?
・【ラムリムにおける統合!?】キリストの道、菩薩の道、バクティ・ヨガ、密教、瞑想 / もし神が存在するのなら、どこに?
グノーシス主義
グノーシス主義とは何かということについては、ひとまとまりにすることが難しいものであり、このnoteでは真正面から扱いません。
Wikipediaでも読んでください。
「グノーシス」「グノーシス主義」とされている人たちにはいろんな人がいて、いろんな思想・主張があり、現代の研究者もいろんな見解を述べています。
今このnoteでグノーシス主義の特徴としておきたいのは、次の3点です。
・「グノーシス」つまり「霊的な知識」、霊知、霊的洞察、啓示的知識がなによりも重視される。
このグノーシスは社会、「世俗」における"知識"とは違ったものであり、そういった知識よりも真実のものとして重視されます。
・このグノーシスは、しばしば、内的体験、直接体験、一瞥体験、神秘体験、宗教的体験、啓示的体験、、、によって得られるとされる。
・反宇宙的二元論の思想がある。
これは乱暴に要約にすると、「善(真実)の神」と「悪(偽)の神」、「善」と「悪」、「霊」と「肉、物質」の二元論であり、そして、物質と肉でできあがったこの世は悪で間違ったものだという思想です。
グノーシス主義には、これらが広く共通して見られるとされます。
もちろんバリエーションが多すぎるので、一筋縄ではいかないです。
この「反宇宙的二元論」にも、極端なものから、かなりマイルドなものまでいろいろとあったようです。
たとえばグノーシスに分類される人物の中には、「この世は善なる神によって創造された善きものだ」と主張した人もいたようです。
しかし、それでも結論としては「この世はとどまるべきものではなくて、より高い霊的な世界を目指すべきだ」と主張したようですが。
このグノーシス主義の思想は、「グノーシス主義」に限定されるものではなくて、いろんな宗教や現代のスピリチュアル、精神世界にも大なり小なり見られるものです。
人間は生物学的にも、こういった思想、信仰を生み出す存在なのかもしれません。
グノーシス主義の誕生と神秘体験
私が何の根拠もなく直感するところでは、このグノーシス主義という思想、信仰の誕生には、グノーシス主義の特徴としても指摘されるように、直接体験、内的体験、神秘体験が関わっているだろうということです。
つまり、そもそもグノーシス主義の誕生自体が直接体験によるものなので、グノーシス主義の特徴に直接体験、神秘体験があるのは、当たり前というわけです。
もちろん直接体験以外にも、いろんな思想、信仰の要素があったり、現代日本よりも昔の人は生存が過酷だったりなどもあるとは思うけれども、大元には、霊的知識を直接的に得るという「体験」があったと考えるのが自然でしょう。
以上のことはつまりグノーシス主義に問題があるのなら、それはそのまま神秘体験の問題だということです。
グノーシス主義に分類されるものには、エジプト、ギリシャ由来の秘儀・密儀宗教色の強いものもあります。
ちなみにWikipediaによると「エッセネ派」もグノーシスに分類されるようです。
![](https://assets.st-note.com/img/1676638859152-xn3HwmQSzz.jpg?width=1200)
胸像はローマ皇帝・五賢帝の一人で「哲人皇帝」のマルクス・アウレリウス・アントニヌス。
![](https://assets.st-note.com/img/1676639668794-JhNfE9oR7c.jpg)
精神世界・スピ系の与太話では、大ピラミッドはクフ王の墓ではなくて秘儀・密儀宗教の宗教施設だったなどというロマンチックなことも言われています。
画像引用:Wikipediaより
この秘儀・密儀宗教ではいったいどういうことが行われてたのかについては、その秘密主義のために、主要な部分については現代でもほとんど分かってないようです。
「意識変容」をもたらすような実践があり、そのためにサイケデリクスも用いられるものもあったという見解があって、これは興味深いものです。
「グノーシス(霊知)」と「反宇宙的二元論」
グノーシス主義にはしばしば「反宇宙的二元論」が見られると上で述べました。
なぜ、この反宇宙的二元論がグノーシス主義で広く見られるのかについてですが、これはグノーシス(霊知)、グノーシスを得る体験の影響だと私は思うところです。
つまりグノーシス、グノーシスの体験、「啓明体験」、神秘体験から、この世を眺めた時に、「体験によって得られた霊的洞察、精神的な理想こそが真理である」と感じられる一方で「この世は粗雑であり、よろしくないものであり、真実ではない」と感じられたからだろうと思っています。
なぜ神秘体験によるものが体験者によって真理であると感じられるのかについてですが、これは神秘体験とはそういうものだから、人間の脳ミソがそうなっているから、神経科学的にそうなっているからなのではないでしょうか。
これについて思想や信仰を持ちだしてきて、あーだこーだ言っても、あんまり意味はなさそうです。
とにかく、「神秘体験、直接体験によって得られた啓明」と「現実的な世界」を比較して、「現実的な世界」の方が粗雑であり、悪であり、間違ったものと感じられ、反宇宙的二元論として思想・信仰が発展していったということだと思われます。
グノーシス主義の問題とオウム
グノーシス主義の問題、闇として指摘しておきたいのは、とくに「反宇宙的二元論」です。
極端なものの場合には個々人や社会に対して、破壊的な影響力ともなりえます。
反宇宙的二元論に忠実になろうとすると、この「肉と物質」の世の中を否定し、敵視することになるのは自然なことでしょう。
これでは特に現代先進文明にあっては、健全な社会も社会性も社会生活も成り立たないです。
この問題点、闇を含むグノーシス主義を現代に地で行ってしまったのが「オウム教団」であるという見方もできるのではないでしょうか?
オウムがグノーシス主義の要素の強い団体なのは、次の点からも明らかであるように感じられます。
・オウムにおいては文字通り「グノーシス」つまり霊的な知識や体験、実践が重視された。
俗世で上手くやるような知識や社会的成功などは重視されず、むしろ軽視された。
・「グノーシス」のための実践、特殊なヨガ・瞑想、密教、生命エネルギーの実践があり、実際に直接体験、神秘体験をした信者も多い。
・凄惨な事件を引き起こし極端な「反宇宙的二元論」を文字通り行ってしまい破壊的なものとなった。
・オウムの教義と神秘体験
オウムは仏教やヨガをやっていたとされますが、その根本の教義については、私は正確なことは知らないです。
「仏教とヒンドゥー・ヨガ思想のちゃんぽん」とか「神智学の影響がある」とか「真我説がとられているので仏教ではけっしてない」とか世間ではいろいろと言われています。
読んだことのあるオウム事件についての書籍にあった説明をまとめると、、、、
物質世界やアストラル世界など低い次元の世界には「真我」は存在しない。
高い究極の霊的な世界に真我が存在する。
その真我に到達することこそが真理であり悟りであり解脱だ。
、、、、みたいなものなのかもしれません。
このようなものだとすると、グノーシス主義の思想・信仰の要素が強いですね。
また修行による神秘体験についても、オウム事件を扱ったものや、元信者によるもの、上祐史浩氏の「ひかりの輪」で公開されているのオウム総括にも豊富に語られています。
オウム最高幹部の一人であった上祐史浩氏(ひかりの輪)は、「脱 オウム・アレフ」を掲げています。
「脱オウムは真実では無くて偽装だ」などと言われることがありますが、どちらであったとしてもとにかく「脱 オウム」をアピールする必要がある上祐氏も、オウム教祖が持っていたとされる不思議な能力や、修行による神秘体験を否定することなく公言しています。
参考
上祐史浩 田原総一朗『危険な宗教の見分け方』ポプラ社
上祐史浩 著 有田芳生 検証 『オウム事件 17年目の告白』扶桑社
“ ……
この修行の中で、私は、仏教の経典に書かれているようなさまざまな神秘体験をした。最も影響を受けた体験は、深い瞑想(サマディ)による体外離脱である。病気で仮死的な状態になった人の臨死体験を耳にすると思うが、それとよく似ている。瞑想が深まり、体の感覚がなくなったあとに、意識が体外に離脱。上昇して天界のような世界や、下降して地獄のような世界を体験し、体内に戻ってくるのである。
極厳修行の過程で、私は何度か麻原のイニシエーションを受けた。その際、神秘体験をするとともに、麻原の霊能力も体験した。私の体に触れながら、麻原は通院歴のある私の体の悪い部分や、痛みのある部分を言い当てたのだった。
…… ”
参考:上祐史浩氏(ひかりの輪)「天国と地獄は本当にあるの!?」
3:37~くらいから少しだけ「バルドーのヨガ」に言及されています。
このバルドーのヨガなんて、実にグノーシス主義的な直接体験、神秘体験ではないでしょうか?
関連note:オウム「タントラ ヴァジラヤーナの救済」