「睡眠のヨーガ」 睡眠中に光明を得る!?意識を保ったまま眠る?
前回の続き的な内容です。密教色の強い、マニアックなヨーガについてです。
前回note:明晰夢でヨガをする。チベット密教「夢のヨーガ」
睡眠のヨーガ
夢のヨーガは睡眠のヨーガに含まれるとする修行体系があるようです。
ここでの睡眠のヨーガとは、不眠症改善や睡眠前のリラクゼーションのために行うヨガのアーサナ(リラックス体操)、プラーナヤーマ(呼吸法)などのことではありません。
関連note:ヨガ、気功、呼吸法について
睡眠中に光明を保つ?
この睡眠のヨーガについてついて調べると、「睡眠中にも光明を保つ」などといった神秘的な表現に出くわしたりします。
いったい何を意味しているのでしょうか?
睡眠中の光明を保つというのは、明晰夢の実践のことを意味するという見解もあるようです。
「光明」というのは意識、覚醒的な意識を意味することがあります。
なので、マニアックなヨーガの界隈では「睡眠中も意識を保つこと」を意味するという見解もあります。
つまり意識を保ったまま眠るということです、笑。
落としどころ的な仮説としては「特殊な意識体験」とするものです。
ふつうなら眠りに落ちているハズの睡眠期を利用して、特殊な意識体験をするというものです。
まぁ、結局は「睡眠」をどう定義するかといったことです。
例えば「体外離脱体験」では、睡眠中に体外離脱して、その間中は、睡眠から覚めるまでは一貫して、自覚的な意識を保てると主張する体験者が多いようです。
体外離脱体験は睡眠期間中ではありますが、では、これを問題なく「睡眠」の定義に含めてよいでしょうか?体外離脱中はスヤスヤと睡眠している状態なのでしょうか?
他の定義の仕方もあるのではないでしょうか?
睡眠中の光明についても、これはマニアックな修行的な努力によって睡眠期に生じる特殊な状態・意識体験だとする仮説です。
こういった体験、現象は、チベット密教以外でも内丹(仙道)でもあります。
ヨガでもあります。ヨガ ニドラ(ヨーガ・ニドラー、yoga nidra、ヨガ的な深い休息、ヨガの眠り)の高度な段階です。
やり方について
引用文献である『チベット密教の瞑想法」(ナムカイ・ノルブ 著 永沢哲 訳 法藏館)はチベット仏教ニンマ派の解説書です。
明晰夢のヨーガを含む睡眠のヨーガは他の宗派にもあります。
例えば「マハームドラー(大印契)」「ナーローの六法(6ヨーガ)」などの体系を持つカギュー派にもあります。
述べたようにヨガや内丹(仙道)でもこういった現象は知られています。高藤聡一郎氏の仙道本の中にも、関連するものがあった気がします。
私なりにやり方について思索してみました。正しいかどうかわかりません。参考までに。
瞑想による方法
瞑想による方法とは、文字通り「瞑想と睡眠を融合」させる方法です
つまりある程度安定した深い瞑想状態のまま睡眠に入るという方法です。
(書籍『チベット密教の瞑想法』には、理解して実践できるかどうかは別にして、さらなる解説が続きます。興味ある方は読んでみて下さい)
「まず、三昧の境地に入る」というところで早くも挫折しそうです。笑
ただこの引用文全体としては、瞑想時の意識や集中の質や状態を説明していると考えることもできます。
「瞑想」といってもいろんなものがあります。
ヴィパッサナー(観の瞑想、チベット語ではラントン)、サマタ(止の瞑想、チベット語ではシネー)が大きな分類としてあるでしょう。
それら瞑想では意識や集中の状態や運用に違いがあります。
さらに慣れてくると、瞑想時の意識・集中の強さとか弱さ、質といった違いも明確に体感できるようになります。
「睡眠と融合させる瞑想」というのは、意識・集中が強すぎない状態、大雑把にいうと、張り切りすぎず、だらけすぎずという瞑想による意識状態で、かつ、睡眠に寄った状態と考えられます。
こういった集中法や意識状態については、中国の気功、特に内丹(仙道)には「火候(かこう、火加減のこと)」という表現があります。(流派によってこの言葉の定義が違ったりするのですが)
内丹(仙道)では意識、集中、呼吸の強弱を火候、火加減で表現することがあります。
例えば高藤聡一郎氏の仙道では「武息」という呼吸法が用いられますが、これは「武火」とも呼ばれます。
これは火候が強めの呼吸法です。
一方で「文火」という用語もあり、これは武火よりも弱く、落ち着いた意識、集中、呼吸(文息)を意味します。
落ち着いた瞑想状態で「気」を養うことを「文火温養」と表現することもあります。
「壮火食気(壮火散気)=壮火は気を消耗させる」「 少火生気=少火は気を生む」という言葉が気功などで用いられます。
もともとはこれは中国伝統医学の古典『黄帝内経』にある言葉のようです。
どういう文脈で用いられるかで解釈は違いますが、気功ではこの少火生気は、文火温養と同じような意味で用いられることがあります。
睡眠と融合させる瞑想状態というのは、文火に分類されるもので、かつ、さらに弱めの意識状態だと思われます。
おそらく、睡眠を利用した体外離脱に慣れた人だと、この意識状態を理解しやすいのではないでしょうか?
あと質の良い(特にヴィパッサナー系ではなくてサマタ系の)瞑想が出来る人、素質・体質のある人の中には、瞑想中に光を見ることがあります。
丹光、ニミッタなどと呼ばれるようです。
その状態を利用する方法もあるかもしれません。
この瞑想中の光に関しては、睡眠中に夢を見ているときに活動する脳部位が深い瞑想でも活動して生じる現象なのかもなぁ、と思われます。
明晰夢、体外離脱を利用する方法
明晰夢や体外離脱中というのは、睡眠中の光明に関係ある状態かもしれません。
その状態で、瞑想するなり何なりして、睡眠中の光明を得るという方法があるかもしれません。
生命エネルギーの実践による方法
生命エネルギーの実践による成果によっては、睡眠時の光明を保ちやすいとする見解があります。
チベット密教においては「ツァ(脈管)、ルン(風)、ティクレ(心滴)」の実践があります。生命エネルギーの実践です。
ツァ(脈管)というのは、中国伝統医学などで説かれる気の通り道「経絡」に該当するものなのですが、密教において最も重視されるのは「中央気道(中央脈管、アヴァドゥーティ=ウマ、ヨガで言うとクンダリーニの通り道とされるスシュムナー)です。
内丹(仙道)では流派、指導者によって説明が違うようなのですが、たとえば「中脈」というのが該当します。
生命エネルギーが中央気道に流入する段階に達すると、睡眠時の光明を保ちやすいという見解があります。
これはおそらく生命エネルギーの実践によって、神経生理の働きに変化が生じるからだろうと思われます。
関連note:ヨガのスシュムナー(中央気道)について。バルド、空性大楽