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【密教】愛他性に関する勧告

マニアックな実践もしくは密教に関心のある人向けのnote記事。

用語解説:霊性、密教、生命エネルギーなど

Abstract

 この瞑想する人noteの密教に該当するものを実践する人は、きっと多くはないと思われます。
少ない実践の代表的なのはおそらく高藤聡一郎氏の仙道だと思われます。

 密教のようなマニアックな方法を実践する人は、特に愛他性(利他心、四無量心、慈悲、、、)を重大事項として取り組むべきであると強くすすめます。

これは思いつき(インスピレーション)によるものであるため、思索が不十分であり根拠を提示できません。
愛他性は以下の点で重大なのではないかという思いつきがあります。

・愛他性が霊的な理解(霊性に関係する理解)の土台となる可能性。もしくは愛他性それ自体が霊的な理解を構成する可能性

・愛他性が副作用を避けるのに重要な可能性

思索が成熟するのを待つといつまでかかるか分からないので、注意喚起としてとりあえず思いつきをそのままnoteにします。

懸念

この瞑想するnoteで過去記事であってもPV数が伸びているものがあり、それは主に密教、生命エネルギーに関するものです。
ほぼ自然検索による流入だと思われます。

高藤聡一郎氏の仙道を代表的なものとして、このようなものに関心を持つ人がそれなりにいるのでしょう。


高藤聡一郎氏の書籍に関しては、絶版になり古書としてかなりのプレミアがついているものも多いのですが、今日でも簡単に手に入るものもあります(ひょっとして全て絶版?)。
しかしその内容に、精神的な教訓・修養の関するものが少ないと感じています。

関係するものとしては主なものは道教の積善派功過格袁了凡の『陰騭録』があります。

しかしこれらは精神修養のいっかんとして、というよりかは、開運法、運命転換法として触れられています。

また高藤氏の仙道の実践者の中には「仙道は宗教ではないのだから、信仰や精神修養は関係ない」という考えを持つ人もどうやらいるようです。


私は率直に、このことについて懸念を抱いています。
仙道においても精神的教訓・修養は必要であると考えています。重大であると考えています。

内丹(仙道)では精神修養が重視されないということは無いようです。

今はもう教室は無くなってしまいましたが、昔私が習っていた内丹につらなる気功の中国人指導者は、精神修養(修徳)について、しばしば触れていました。

その指導者が基礎としていたのは主に老荘思想だったようです(私は真面目に聞いていなかったので、記憶が定かではありません、笑。しかし修徳を重視していたのは確かです)。

内丹(仙道)の 小周天』のnoteの『指導者・教室選びについて』で紹介した廖 赤虹、廖 赤陽 両氏の書籍『気功―その思想と実践 』(春秋社)の第七章はズバリ『練功と修徳』です。

そもそも密教の体験とは

気功、内丹(仙道)の陽気であれ小周天であれヨガのクンダリーニであれ、密教(生命エネルギー)の体験とは、いったい何なのかについては、いろんな人がいろんなことを言っています。

私の考えは以前noteにしました。↓↓

私は主に無意識が絡む体験であると考えています。


実践では「(私が)気やプラーナなるものを呼吸法によって外から取り入れる」とか「(私が)意識の集中によってチャクラを目覚めさせる」「(私が)生命エネルギーを操作する」といったような、通常の顕在意識でなんとかするようなものだとするのは、理解が浅いように感じられます。

これは無意識が絡む体験であり、副作用などのリスクの起源もこのことにあると考えられます。


仙道(内丹)であれ密教の実践というのは無意識、内なる意識に関するものであり、つまり『霊性』に関するものであるため、これを無視するのはそもそも矛盾した態度である考えます。

この矛盾した態度で続けた場合には、副作用が生じることになるだろうと考えています。

密教の副作用

密教の実践による副作用は自律神経の何となくの不調では済まない可能性があります。

過去note↓↓でも少し触れましたが、特に段階が進んだ際の副作用は、それ相当なものになると思われます。

ベクトルとしては「発狂」に向いていると思われます。
実際に副作用が生じたら、どの程度まで発狂するかという、その発狂の度合いだと思われます。
無意識が絡む特殊な感覚、認知、意識状態を体験するためです。

これに関しては有名なカール・グスタフ・ユングも言及しています。クンダリニーについてです。

引用文献:ウィリアム・J. ブロード 『ヨガを科学する―その効用と危険に迫る科学的アプローチ』 坂本 律 訳 ,  晶文社 , 2013

“......(ユングは)クンダリニーの学術研究を支持する一方で、その実践は避けるように人々に警告した。”p.253

“ ユングは、クンダリニーの体験について、「意図的に誘発された精神異常の状態で、一部の不安定な人々は、簡単に真の精神異常を招くおそれがある」と考えた。精神異常とは、精神医学の最も根深い問題を表す言葉の一つで、現実との深刻な断絶を意味し、妄想、幻覚、その他の意識障害を特徴とする。
 クンダリニーについて、ユングは、「人間の存在のまさに根源を突くもので、正気の人に、思いもよらない苦悩が一気に噴き出す」ことがあると結論づけた。”p.253

関連note:クンダリニーについて

愛他性 ――「内なる意識」の視点で模索中

集中的な瞑想であれ密教であれ、それは内なる意識に向かうもの、もしくは、内なる意識の顕現に関係するものであると考えています。

その過程において通常の顕在意識がどうにかなってしまうことがあるのだと思われます。

このような過程では、愛他性(利他心、四無量心、慈悲、、、)が重要な精神性となるのではという私の思いつき(インスピレーション)があります。

ただエゴを弱めるためという精神修養の実践以上の重大な価値があるのではないかと模索しています。

まず副作用の防止となる可能性があります。

それだけではなくて、愛他性が内なる意識に関する霊的な理解を得るのに必要な土台となるのではとも考えています。

また霊性、霊的な理解それ自体に、愛他性が密接に関係するということも考えられます。
霊性、霊的な理解の構成要素ということもあり得ます。


今回のnoteは結局は私の思いつきを述べただけで、主張の根拠は何も無いものですが、仙道であれ生命エネルギーの実践に関心のある人は気を付けた方が良いと考えています。

呼吸法などテクニック的なものや神秘体験といったものばかりを重視するのは、かなり未熟な理解によるものであり危険であるとさえ考えられます。