心の浄化について
BGM:バッハ BWV1 Chorale Wie bin ich doch so herzlich froh
前回のnoteで、顕教を重視する理由の一つに「自浄其意、心の浄化」をあげました。
では心の浄化とはどのようなもののことだと考えればよいのでしょうか?
「善」と「悪」
金剛大乗(金剛荘厳)においては、心の浄化は主に顕教の実践によってなされるものだとします。
「悪」を避け「善」を行うことによってなされるものだとします。
では善とは何であり、悪とは何なのでしょうか?
このnoteにおける定義は、善とは「霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他、、、」といったものであり、悪とはそれに対立するものだとします。
顕教とは、この善つまり霊性(智慧・慈悲)、四無量心、慈悲、非利己的なエゴのない愛・愛他を実践することであるとしています。
関連note:金剛大乗についての整理。目的、顕教、密教
心の浄化についての思索
顕教の実践による心の浄化とは、いったいどういったものと考えればいいのでしょうか?
どういった状態だと考えればいいのでしょうか?
これについては、まだまだ思索が不十分です。
とりあえずは、、、、
人間の意識ー神経生理 ―― 顕在・潜在(無)意識とそれに対応する神経生理の性質、活動、反応において、「悪」よりも「善」が優位優勢であること。
人間の意識ー神経生理において、霊性の影響力が優勢であること。
善の歓喜、善の意志と結びついた歓喜があること。
その善の歓喜が優勢であること。
また感官や情動の欲動・快楽・享楽が適切に制御されていること。
、、、、といったようなものなのではないでしょうか。
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