グルヨーガの瞑想(本尊ヨーガ、発菩提心の瞑想) 【密教ヨガ的瞑想】
グルヨーガの瞑想
宗教的、スピリチュアルな瞑想法の紹介。
チベット仏教ではグルヨーガ(上師瑜伽)の瞑想というのがあります。
それを意識してチベット密教のやり方をパクったりして、今回は、私の個人勝手解釈流のグルヨーガ(本尊グルヨーガ、発菩提心)の瞑想とも言えそうな瞑想法の紹介noteです。
まだプロトタイプのようなもので、いろいろと工夫のしがいがあります。
瞑想の効果
・霊性(スピリチュアリティ)、宗教的な精神性の探究にきっと役立つことでしょう。
・他の瞑想の補助や「前行」として良いと思われます。
・内丹(仙道) や クンダリニー系ハタ・ヨーガなど密教的な生命エネルギーの実践に役立ちます。
・ヨガでは「低次のチャクラ」に関係が深いとされる性欲などの欲望、衝動の制御に役立つかもしれません。
・もし本当に神仏など霊的存在が実在するのなら、この瞑想によってその加護や導き、祝福を受けられるといいですネ!
瞑想の構成
グルヨーガの瞑想は以下によって構成されます。
グルヨーガの瞑想のやり方②は、密教的な要素を強めたものです。
本尊の設定
・観想する本尊を設定する。
本尊は釈迦でもイエス・キリストでも、シヴァ、クリシュナ、大日如来、観音菩薩、、、など自分の信仰する神仏、神的存在で良いです。
特に明確な信仰対象が無い場合には、霊性(スピリチュアリティ)、内なる意識や普遍的な愛、、、の象徴として白い光などのイメージで良いです。
・本尊は普遍的な愛、見返りを求めることなくエゴ無く与えるという無条件の愛、慈悲、四無量心をあらわすものとする。
つまり宗教や人種などを超えたものです。
まぁ、特にキリスト教圏の臨死体験者が、その体験中に出会ったとしばしば報告する「圧倒的な無条件の愛を放つ光の存在」みたいな感じです。
例えば本尊でイエス・キリストをイメージする場合でも、そのイエスは宗教、宗派を超えた普遍的な愛の象徴とします。
キリスト教のプロテスタントの福音派の信者のみを愛して、イスラム教徒や仏教徒や無神論者を地獄に落として、泣いて歯ぎしりする様子を見て楽しむような存在であってはいけません。
・本尊は慈愛をもって、あなたが菩提心を抱いて霊性の道を歩んで欲しいと切に願っている。
グルヨーガの瞑想のやり方①
【本尊の観想】
・瞑想し、頭頂、頭上の空間に光輝く「本尊」をイメージする。
上で述べたように釈迦でもイエス・キリストでも、シヴァ、クリシュナ、大日如来、観音菩薩、神聖な白い光、、、などを本尊として頭上に観想します。
【発菩提心】
・瞑想し本尊を観想し、そして菩提心をおこす。つまり智慧を求め、エゴ無く慈悲を実践していこうと決意する(発菩提心)。
「菩提心」「智慧」「慈悲」というのは仏教的な表現ですが、まぁ要は、霊性、価値ある精神的理想を求め、そして、できる範囲でTPOで臨機応変にエゴの無い愛他利他、慈悲(四無量心)の実践を心がけようというわけです。
関連note:【大印契】顕教について
【本尊の歓喜とアムリタ(甘露)】
・あなたが菩提心をおこすと、あなたの本尊はその殊勝な決意に深く心を動かされ、本尊の心には喜び(歓喜)が生じ笑顔になり、あなたへの慈愛がより強くなる。
そしてその姿がますます光輝くと観想する。
具体的な本尊のイメージが無くて、白い光などをイメージしている場合には、その光に「歓喜の波動」が発生するなどとイメージしてください。
何事も臨機応変です。
・智慧を求めエゴ無く慈悲を実践しようとする、あなたの発菩提心に感動した本尊の歓喜は、ますます強くなり、喜びに震えるほどになり、ついには歓喜がその姿から溢れ、純粋に輝く光の液体となって、あなたの頭頂に注がれると観想する。
その本尊の歓喜そのものである光輝く液体は、アムリタ(甘露)である。
本尊はあなたへ強い慈愛を放ち、その歓喜にあなたも浴して欲しいと願っている。
この瞑想はプロトタイプなので、いろいろと個人勝手に工夫のしがいがあります。
たとえば仏教の密教の瞑想にあるように、観想する本尊に対応する真言(マントラ)を唱えるなど自分のやりたいように工夫して良いです。
キリスト教に興味があったりで、イエス・キリストを本尊として瞑想する場合だったら、、
神を求め、キリストの愛を実践しようと決意したあなたのことを、イエスは非常に喜び、
、などとあなたに語りかけ、アムリタが頭頂に注がれるのを観想して意識を高揚させても良いです。
“私のこうべに聖油を注ぎ、私の杯は溢れる。命あるかぎり恵みと慈しみが私と共にあるだろう。私はとこしえに主の家にとどまる”(旧約・詩篇23)という感じです。
・あなたの頭頂に注がれた本尊の光輝く歓喜のアムリタ(甘露)は、あなたを満たしていくと観想する。
あなたの心にはありがたさ、感謝が生じる。そして菩提心をより堅固なものとしようとする。
これは有名な白隠禅師の軟酥の法と同じような要領です。
・以上の観想を何回か繰り返しても良い。
【本尊との合一】
・本尊の歓喜とあなたへの慈愛がますます高まる。あなたもアムリタに満たされ本尊への感謝の思いと菩提心が高まり、本尊と一体となりたいという願いが強まる。
・そして本尊が純粋に輝く光となって、ついにはあなたに溶け込み、あなた自身も本尊に溶けこんでいくと観相する。
普遍的な愛、見返りを求めることなくエゴ無く与えるという無条件の愛、四無量心の象徴である本尊にあなたが溶け込んでいき、本尊と一体になり、自分の意識の内には常に本尊があると観想する。
【慈悲の瞑想、他】
・さらにここから慈悲の瞑想をしても良い。
このグルヨーガの瞑想と非常に相性が良い瞑想があります。
それは慈悲の瞑想です。
慈悲の瞑想をこのグルヨーガの瞑想に組み入れても良いです。
とりあえずは私はチベット仏教版の慈悲の瞑想(トンレン)をすすめています。
・慈悲の瞑想以外でも習慣にしている瞑想を続いて行っても良い。
【瞑想の終了】
・瞑想を終了する時は「瞑想を終了する」と明確に意識して、ゆっくりと通常の心身の状態に戻るようにする。
瞑想を切り上げるときは、とくに深い瞑想や安定した瞑想体験の場合には、すぐに立ち上がるのではなくて、一息ついて止めるようにすべしとされます。
【顕教の実践】
・この瞑想の精神をもって、日々、自分の理解する範囲内、できる範囲内でも顕教(四無量心、エゴの無い愛他)の実践を心がける。
以上がこの瞑想の方法です。
グルヨーガの瞑想のやり方② (密教色強め)
グルヨーガの瞑想のやり方①とほとんど同じですが、少しばかし、密教的な要素を加えたものです。
基本的な設定は同じです。
【やり方】
・①と同様に本尊を観想する。
・自分自身の脊髄付近に中央気道があると観想する。また中央気道にチャクラがあると軽く観想する。
中央気道やチャクラの色や形状については指定無し。なんとなくそういったものがあるでも良い。
チャクラの数についても、いわゆる一般的な7つのチャクラ説でも良いし、4つや5つ、6つのチャクラ説でも良い。
・①と同様に菩提心をおこす。
・①と同様に、あなたが菩提心をおこすと、本尊は非常に喜び、笑顔になり、歓喜に震え、アムリタ(甘露)が発生し、あなたの頭頂のチャクラに注がれ、頭頂のチャクラを満たしていくと観想する。
・頭頂のチャクラを満たす本尊の歓喜のアムリタと、あなたの発菩提心に呼応するかのように、あなたの基底チャクラから生命エネルギーが湧き上がる。
生命エネルギーは中央気道を上昇して、胸のチャクラに到達する。
さらに菩提心が強まり、生命エネルギーは胸のチャクラ、ノドのチャクラを超えて頭頂のチャクラに達する。
(とくに胸のチャクラの過程をイメージせずに、スムーズに中央気道を上昇して、頭頂チャクラに達するとしても良い)
・生命エネルギーが、あなたの頭頂のチャクラに注がれた本尊の歓喜のアムリタに没入し、完全に溶け込むと観想する。
・生命エネルギーが溶け込んだアムリタは、ついには頭頂のチャクラから溢れるほどになる。
そして中央気道を下降して、各チャクラを満たしていく。
同時にあなたの心身全体も光輝いていくと観想しても良い。
・アムリタが下降して基底チャクラにまで達すると、さらに菩提心が生じ、それに呼応して再び生命エネルギーが中央気道を上昇して、頭頂のチャクラに到達する。
そして同様に本尊の歓喜のアムリタに溶け込み、溢れ、下降する。
・以上の観想を何回か繰り返しても良い。
・中央気道、チャクラ、生命エネルギーを観想する以外は①と同じ。
関連note:「エッセネ派」のアガペーの瞑想
注意点
このグルヨーガの瞑想はやり過ぎない方が良いかもしれません。
特に②のやり方はやり過ぎない方が良いかもしれません。
人によっては神秘体験をすることがあるかもしれないからです。
これはなかなか厄介な問題になったりします。
世の中には神秘体験をしやすい人が一定数います。
ネットや書籍などで探すと、もっと高度というか強い作用のある瞑想法や呼吸法が見つかります。
ちなみに、このグルヨーガの瞑想の②みたいなのをもっと発展させて、「空性、縁起」「楽空無差別」などの仏教の教理を加えて、そして特殊な呼吸法(ムドラー)、さらには「性的ヨーガ」といった要素までも付け加えると、これはもうガチのチベット密教の究竟次第(ゾクリム)の実践になります。
ナーローの六法などが含まれるような後期密教体系、無上ヨーガタントラの実践になります。
今回紹介した程度の瞑想でも、素質・体質次第では ―――仏教やヨガでは「前世のカルマによっては」などと神秘的に表現されたりするのですが――― おかしな体験、生命エネルギーの体験、要は神秘体験をする人がいるかもしれません。
アメブロ他、巷に言う「神秘体験」は「写真撮ったら不思議な光がうつっていた!これはきっと守護霊様だ!」とか「あの雲は龍神の形をしている!龍神様の御姿だ!」「どこそこのパワースポット(神社とか島とか)に呼ばれて行ってきた!」「ゾロ目のエンジェルナンバーを見た!」など、聞いていて鼻をほじくりながら あくびが出るような耳アカみたいなものばかりです。
しかし密教、生命エネルギーの技法による神秘体験は、人生観に強く影響するものもあったりします。
神秘体験の絡む悲惨なことも過去にあったりします。
たとえばコンスピカルトを真に受けるような人や影響されやすい人、スピや宗教的なことを何でもかんでも過大評価する人、現実逃避やエゴのためにそういったものを利用しがちな人にとっては、神秘体験は有害だと思われます。
おかしな体験をするようなら実践は控えるようにして下さい。
人間的にも優れた指導者が身近にいると良いかもしれませんが、まぁ、これもなかなか難しい話だしなぁ。
まぁ、とにかく、悪を避け、善を行い、心を清めましょう。
関連note:超能力(神秘体験)と瞑想、ヨガ
最後にちょっと。
このnote記事の見出し画像はZenpakuさんによるものです。使用させて頂きました。ありがとうございます。
この絵のモチーフは新約聖書の「ヨハネの黙示録」の第4章なのかもしれません。(違うかもしれません)
ヨーガや西洋スピリチュアル、神秘主義、西洋魔術の中には、「ヨハネの黙示録は瞑想体験を記述したもの」と主張する人がいるようです。
「7つの星」「7つの金の燭台」「7つの教会」は7つのチャクラを意味するんだみたいな主張などがあるようです。
さぁて、どうだか。