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【ブラフマチャリヤ】瞑想、ヨガと禁欲 #思索のメモ

“ 鹿が谷を流れる川の水を求めるように 
あぁ 神よ  私のたましいはあなたを求める” 聖書・詩篇 42:1

今回も#思索の備忘・メモ

BGMはバッハの『パッサカリア とフーガ ハ短調 Passacaglia & Fugue In C Minor BWV 582 』。演奏はカール・リヒター


瞑想・ヨガと性欲、禁欲

宗教や、瞑想・ヨガが取り入れられている伝統では、禁欲、性の節制、ブラフマチャリヤが説かれることがあります。

この瞑想する人noteでも関連して触れたことがあります。

note:オカルト? 「性エネルギー」について。性エネルギーの転換・昇華など


 率直に言うと、宗教にありがちな「性は汚らわしい」などとする考え、ドグマは健全なものではないと思ってます。

あと厨二病の実践なのかよく分からないのですが、「オナ禁」など禁欲に関心あるオス諸氏がいるようです、。
個人差はあるとは思われますが、いろいろ注意しないと、あまりよろしくないストレスが心身にふりかかることがあると思われます。

キリスト教カトリックを見て下さい。
不自然な抑圧のためか、禁欲独身主義を貫くはずの聖職者らによる性的虐待が大問題になってます。


 健康への影響についても諸説はあるようです。
たとえば修道院で長期にわたり禁欲生活する人たちの研究では、男女ともに性ホルモンが関係するような疾患リスク(男性なら前立腺の疾患など)を高める可能性を指摘するのもあります。


生命エネルギーの実践で

瞑想、ヨガ、気功、、、では「生命エネルギー」といったものに着目するのもあります。

関連note:【ヨガの分類②】クンダリーニ系ハタ・ヨーガ。瞑想やムドラーを重視する密教のヨーガ

 こういった分野では、生命エネルギーと性欲が関係あるものとされています。
生命エネルギーの活動のために禁欲されることがあります。
また関連して「性的ヨーガ」といったものもあります。


性欲の節制、昇華の方法?

「オナ禁」なる悩ましい厨二病実践を説明するブログ・サイトでは、性欲を抑える方法についても触れられているようです。

「一般的な方法」としては、性に関する情報には触れない、スポーツ、勉強、趣味、、、に精力を振り向けるといったものが紹介されているようです。
要は性以外のことに気を紛らわす、そらすということです。


・思想や信仰ではなく、神経生理のメカニズムは?

性欲の昇華なるものがあるとするのなら、これは思想や信仰でどうにかなるというものではないでしょう。

なぜなら性欲というのは、遺伝子にもプログラムされた生物学的なものだからです。
そのためもし性欲の昇華なるものが実際に人間の体験において存在しえるのなら、生物学的なメカニズム、人体の神経生理にはそのためのメカニズムがあると考えなければなりません。


・一つの可能性 ―― 精神的な愛情へ?プラトニックラブ?

一つの可能性として、いわゆるこの「肉欲」を精神的な愛、愛他、慈悲、バクティへと昇華できるかもしれません。
これは思索にあたいすると思われます。


 適切な考察につながるかどうか、ちょっと分からないのですが、「プラトニックラブ」なるものが存在するとされます。
このプラトニックラブについては、心理学者の中には「変態性欲の一種」なんてことを言う人もいるようです、笑

これは特に「思春期の多感で純粋な頃」や中年期以降に見られることが多いとする見解があります。


 このプラトニックラブについて考えたいことは、、、

・はたしてこれは不自然なものかどうか

・またこれは、これと比べると肉体的な性愛の表現が強めのものよりも、重要な要素が欠如した「下位」のものかどうか

 、、、です。


 強引かもしれませんが、人間性においては不自然なものでもなく下位のものでもないとする考察は提示できるのではないでしょうか?

 人間は脳ミソが発達しているわけです。
そのため知性や精神性、感情といった高次の情操が発達して豊かになっています。

そのため人間にあっては、本来なら「種の存続」「遺伝子の継承」のためにある性や、その高ぶり・喜びがそういった高次の情操と結びつく可能性があるというものです。
これは、脳・神経生理の活動においてもそうだという考えです。
つまりプラトニックラブは人間性にあっては、神経生理のメカニズムに組み込まれているものであり、不自然なものではないという可能性です。
(これが正しい場合には、進化生物学的には「進化の副産物」とされるかもしれません)


 もし人体の神経生理において、性の表現・体験が、高次の情操と結びつくのなら、次のような考察も提示できるでしょう。

つまりプラトニックラブは「重要なものが欠如した下位の性愛関係・表現」では無いかもしれないということです。

性のような生物学的・原始的な歓喜・高ぶりと高次の情操が強く結びついた分だけ、大脳が広範囲に活発に活動し、肉体的な感情だけではなく精神的側面をも満たすため、むしろ充足的で豊かな体験であることがありえるという考察です


もし精神性をも満たすようなプラトニックラブが存在し得るとするのなら、少なくともこれにおいては、性は精神的な愛の表現、関係へと昇華するという考察は提示できます。
精神性への昇華のための生物学的な、神経生理のメカニズムはあるかもしれないと考察できます。

ではさらに、慈悲やバクティといったものへと昇華するという考察は提示できるでしょうか?


・霊性や超越へ

プラトニックラブは性愛の関係性によるものであって、あくまで基礎としてあるのはやはり性欲なのかもしれません。

では、性愛の関係性といったカテゴリーに含まれない慈悲やバクティといったものへの昇華というのは考察できるのでしょうか?


 これについて、直感の段階なのですが、ある考えを提案しておきます。
つまり自己超越の欲求、大いなるものと一体になりたいという欲求、また霊性というのと、性・生殖が、人体の神経生理のメカニズムにおいて関係があるという可能性です。
 人体のメカニズムにおいて関係があるので、昇華しえるというものです。

ちなみに自己超越というものと霊性(智慧・慈悲)は同じカテゴリーのものと私は直感していて、そのようなものとして扱います。


自己超越・霊性というのと、性のメカニズムとの関係について、神経学者による興味深い考察はあるにはあります。

書籍『脳はいかにして“神”を見るか―宗教体験のブレイン・サイエンス』アンドリュー ニューバーグ 、ユージーン ダギリ 他著 茂木健一郎 監訳 PHP 2003 より

“ …… やがて、一つの仮説が形成された。それが、「宗教的な神秘体験は、その最も深い部分において、ヒトの生物学的構造と密接に関係している」という仮説だった。別の言い方をするなら、「ヒトがスピリチュアリティーを追究せずにいられないのは、生物学的にそのような構造になっているからではないか」ということだ。” p.21


“ ...... 神秘体験の生物学的な起源は、われわれの脳の超越の機構の中にあり、...... ” p.183

“ それでは、超越体験のための神経学的機構は、どんな機構に由来しているのだろうか?われわれは、それは、交尾やセックスに関する神経回路から進化してきたと考えている。 ” p.186
 
“ 何よりも、神秘家たちがみずからの体験を表現するために選んだ「至福」「恍惚」「エクスタシー」「高揚」などの言葉が、この起源を暗示している。「この上ない一体感に我を忘れた」……などという彼らの証言が、性的な快感を表現する言葉でもあることは、偶然の一致ではないし、意外でもない。
なぜなら、超越体験に関与する興奮系、抑制系、大脳辺縁系などの神経学的構造や経路は、基本的に、性的な絶頂と強烈なオルガスムの感覚とを結びつけるために進化してきたものであるからだ。 ” p.186


“ 性的な恍惚は、主に、比較的原始的な構造である視床下部から生じる。高次の思考過程もセックスの歓びを強めているかもしれないが、セックスがもたらすエクスタシーは、基本的には、肉体的な感触に由来している。” pp.186-187

“ 他方、超越体験は …… 前頭葉やその他の連合野などの高次の認知構造が重大な寄与をしている可能性が高い。瞑想や観想の祈りが心に呼び起こす微妙で複雑なリズムが、この機構を作動させる神経学的なきっかけになっているのだ。 ” p.187


関連note:【大光明マンダラ】内なる意識・霊性(スピリチュアリティ)の探究の方向性 >> 【備考】神経学的考察など


・瞑想、ヨガ、気功などによる体験

瞑想による昇華というものは、私としては「こういう神経生理のメカニズムが人体にはあるんじゃないかなぁ」とうすうす感じるものがあり、これについては、さらに思索を続けて今後noteでできるだけ正確に詳しく触れてみたいと思っています。

瞑想、ヨガ、気功などの伝統では、いろいろと言われています。
ヨガにおいては、アパーナ気の逆流・上昇、中央気道の浄化と表現される体験が該当するものだろうと思われます。

気功では、「練精化気」以上の段階だと思われます。

健康気功ではこの「精」というのは、飲食物による栄養や、漠然と精力を意味するなどと説明されます。
しかし内丹(仙道)では、実践的な考えにおいては主に性を指すとされることが多いです。


あと禁欲、性欲の節制・昇華には、慈悲の瞑想(チベット仏教ならトンレン瞑想)が役立つ人もいるかもしれません。