文殊菩薩:瞑想する人noteの「本尊」
勝手ながら文殊菩薩(のイメージ)が気に入ったので、この瞑想する人noteの「本尊」(大切な象徴)とします。
文殊菩薩の像容
文殊菩薩の像容として、智慧を象徴する諸刃の剣(文殊の利剣、カドゥガ、金剛剣、降魔剣)と経典を乗せた青蓮華(しょうれんげ。熱帯スイレンの花とされます。清らかな仏の目を象徴すると言われています)を持つと説明されます。
瞑想する人noteの「本尊」として
諸刃の剣(文殊の利剣、金剛剣)を智慧の象徴であり、かつ、密教の象徴とします。
蓮華(青蓮華)を深い智慧にもとづく慈悲(四無量心)、慈悲の実践。そして教典を正しい理解につながる知識と精進として、あわせて顕教の象徴とします。
剣を振りかぶり今にも打ちおろそうとしていることは、霊性(智慧・慈悲)の人生、日々の生活、社会活動への適用、実践を意味し「大乗」をあらわします。
教典が蓮華の上に乗っているということは、スピリチュアルの探究では、知識というのは、霊性(智慧・慈悲)、霊性の適用、実践に結びつくものでなければ意味が無いということあらわします。
文殊菩薩の、深い三昧・サマディーにあるような瞑想的な穏やかな姿は、内と外、顕教と密教、世俗と勝義を貫く霊性の甚深広大、大円満の境地をあらわします。
文殊菩薩(のイメージ)を霊性、智慧と慈悲の象徴、この瞑想する人noteにおける唯一のスピリチュアルな実践である金剛大乗(金剛荘厳)、最高理想である大印契(マハームドラー)の象徴とします。
関連マガジン:
仏教の正統な解釈とは全然違うのですが、他にピンとくるイメージが無かったので、剽窃して用いることにしました。
この瞑想する人noteではしばしば文殊菩薩のイメージが登場しますが、これはなんとなくの雰囲気のためではなくて、大切な象徴として用いています。
ちなみに、私は「文殊菩薩」なる霊的な存在が実在するとして、信仰して真言(マントラ)を唱えて祈ったりはしません。
私にはそういった信仰を持つことが難しいです。
あくまで象徴としての「本尊」です。
【余談】他によく登場するイメージ
このnoteでよく登場するイメージです。
ヴァジュラバイラヴァ
ヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ。チベット仏教では文殊菩薩の化身とされるようです。大威徳明王の発展系ともされます。)
関連note:【ヴァジュラバイラヴァ】金剛の恐るべきシヴァ
ヤブユム(歓喜仏)、グヒヤサマージャ
ヤブユム(男女両尊、歓喜仏)。チベット密教のグヒヤサマージャ(秘密集会)。
関連note:【ヤブユム】智慧と慈悲、その結合の歓喜。 ヨガ、瞑想、密教、生命エネルギー、バクティ