4秒.僕がいる部屋 / 金曜日の秒針
【 4秒.僕がいる部屋 】
中学卒業に合わせて、引っ越す事になっている。
それは親の都合で、一年以上前から決まっていた。
だから僕は新しい転居先からの通学を見越して高校を決め準備も終えている。
ずっと住んできた自分の部屋を使うのも、残り二ヶ月を切っていたけど、引っ越しの話をされてから一年以上の余裕があり、進学と同時という事で、気持ちの整理もついていた。
きっと親なりに気を使ってくれたんだと思う。
そんなある日の事、二階にある自分の部屋までの階段を登り終えたところで、僕はあれ?と思った。
いつの頃からか、僕はその階段の段数を数えながら登る癖がついていた。
そしてそれが十四段だと知っている。
でもそれが十五段だった。
真剣に数えているわけじゃない。
あれこれ考えながら、ほとんど無意識に、頭ではなく体で数えているような感覚だ。
それが十五段だったので自分の体が反応した感じだった。
でも数え間違えだろうと、階段を降りながら数え直すような事はしなかった。
それからというもの、階段はいつも十五段。
すると十四段というのは僕の記憶違いだろうか。
それでさり気なく、階段が何段かを親に聞いてみたが、数えた事なんてないと笑われてしまった。
その頃から、僕はまた別の事が気になり始めた。
僕は親の躾で、水分補給に使うのは常温の水が多く、それを厚くて重いガラスのコップで飲んでいた。
それも一気に飲み切る事はなく、一階にあるウォーターサーバーからコップに注いで、二階の自室の机に置いている事が多かった。
そのコップの水が、なんだか早く無くなるような気がしてきた。
自分がどれくらいの頻度で水を取りに行っていたかは、数えてなかったけど、だいたい感覚でわかっていた。
それを改めて思うと、その回数が増えている気がする。
僕はある時、もしかしてと思い、コップとその水をじっと眺めてみた。
でも時間にしたらせいぜい5分程度で、馬鹿らしいと直ぐに止めた。
勿論、その間に水がぐいっと減るような事は無かった。
その内にいよいよ引っ越しの準備で忙しくなり、家のあちこちが荷物だらけになって、僕は水の事も、階段の事も、すっかり忘れてしまった。
そんな分けで、自分の部屋が倉庫みたいになった頃、僕はもう見納めなのだと家の辺りをぶらついて、ついつい遠くまで来てしまった日があった。
そこで、学区が違うために別の中学になった友達とその親の二人連れに出会った。
母親から声をかけられて僕も懐かしく挨拶し、引っ越すことを話すと、元気でねと言ってくれた。
でもそんなやり取りを聞いている友達は、どうもそっけなく、そんなものかと少しがっかりしていた。
それで、いよいよ去り際になった時、友達が急に近づいてきて僕にとても小さな声で耳打ちした。
「お前、誰?」
僕はきょとんとして言葉もなく、なんだ覚えてさえいなかったのかと、半ば納得しつつも淋しくなった。
そして引っ越しの当日。
大きなトラックが荷物を摘んで出発し、僕と親の三人は車でそれを追う手順で、最後に親が家のドアに鍵をかけた時、そのカチッという鈍い音が胸に響いて、僕は「あっ」と小さく言った。
「忘れ物?」と親が僕を見て言ったが、いや大丈夫と僕は言った。
僕は思い出していた。
十五段の階段。
いや、僕がずっと住んでいたのは十四段目にある部屋だった。
車に乗り込み、出発し、見慣れた道を抜けて遠ざかっていく懐かしい場所。
ここを離れて引っ越していくのは、本当に僕なのだろうか。
これから始まる新しい生活を前にして、僕の気持ちは不安定になっている。
ただそれだけ。
でも何かを置き忘れてきてしまった、という気持ちが、僕の目から涙になって流れ出てきた。
そんなに泣いたことが無かった僕は、泣くと喉が渇く事を初めて知った。