プリキュアにお付き合いの立ち位置
40を過ぎてスプラトゥーン3にハマっている。子どもといっしょにも遊ぶし、ひとりでもムキになってナワバリバトルを繰り返している。
そんな好きが昂じて、スプラトゥーンのグッズがいろいろ欲しくなる。食玩のフィギュアや、お菓子についてくるシールなど。スプラトゥーンのものを見ると目がキラキラする。
そんなわけで、コロコロコミック2023年10月号の付録に「金のスプラシューター」がついてくると知れば、何十年かぶりにコロコロコミックを買ってくる。娘と「金のスプラシューター」というレアブキを飾って愛でる。コロコロコミック本誌自体には自分はあまり興味がわかないので娘に与えると、娘がコロコロコミックの面白さに感染した。11月号も読みたいから買って、とくる。
11月号も買い与え、ケラケラ笑いながら読んでいる娘を見て、自分もなんだか嬉しい。娘が喜ぶのを見て嬉しい。
先日、子どもたちと外食した帰りに、車の中でジェンダー的な話題になった。娘は小2である。学校でマンガの話する子いる? と聞くと、いない、という。ゲームの話をする子はいるという。ああ、〇〇くんと〇〇ちゃんね。
「コロコロコミックって、パパの頃は男の子が読むマンガやってん」
「ふうん、サンデーは?」
「サンデーも少年サンデーやからな、男の子やな。でもいまは男の子も女の子もないよな」
「うん。わたしはサンデーもすきやからな。ていうかわたしはあんまりかわいすぎるやつはあかんねん」
「え? たとえば」
「プリキュアとか」
「いや、でもこないだ『プリキュアオールスターズF』観たいって言ってパパと行ったやんな?」
「そうそう。ゆうきだしていってんなー」
「勇気要ったん?」
「そう、どんくらいおんなのこのかわいいかんじか、みてみたかってん」
「で、どうやったん?」
「うーん、かわいすぎてあかんかったわ」
ぼくにはこの会話が結構衝撃的であった。
自分は、プリキュアが好きでどうしても見たいという女の子の父親、という立ち位置で映画館に行ったのである。そして実際にプリキュアの映画を寝ずに見て、敵キャラのキュアシュプリームがいいなあとまで思った。キュアシュプリームのグッズがないかメルカリで検索なんかしてみたりして。
でも実は娘のほうが「プリキュアのノリにつきあえるかなあ」くらいのアティチュードだったわけだ。この場合ぼくの立ち位置やいかに。それやったら行かんでもよかったやん、と、言いそうなところだし、チラシ見たらだいたい「かわきすぎてムリ」なんわかるやん、とツッコんでもよいのに、ぼくはそうは言えなかった。
なぜならプリキュア見てちょっとよかったと思っているからだ。
娘はTVシリーズのプリキュアは観ないが、映画はちょっと違うかもと思って、プリキュアの映画に行きたいと言ったらしい。パパといっしょやったら映画に行けるな、くらいのつもりだったと。温度感的には女児の親でもなければ体験できないミラクルライトでプリキュアを応援する体験を、女児の親であるからできるから興味がある、というのとあまり変わらない。どうりでミラクルライトで応援する場面で、娘が周りを見渡しながら乗り気でなかったわけだ(ちなみにミラクルライトは子どもしかもらえない入場者特典である)。
次もし自分がプリキュアの映画に興味を持ち、観たくなった場合が問題である。賞味期限はあるだろうが、娘がプリキュアが好きである限り、プリキュアの映画を観に行き続けられると思っていたが(実際これまでは娘が行きたいと言うから、「お付き合い」という体で行っていたのだ)、次からは立ち位置が微妙である。次はもう、娘はプリキュアから心が離れているかもしれないし、また「今度はノレるかな」くらいのノリかもしれない。それとなく、今度またプリキュアの映画あるらしいで、くらい誘い水をかけてみるか。娘が、ああ、べつにみにいってもいいけど、くらいの温度だったらどうしよう。
完全にもう娘のプリキュアにお付き合いする立ち位置ではないのだろう。なんだか「最後の一葉」が散ったような秋の空気を呼吸している。