このあいだ

このあいだ、こんなことがあってね。 それで、考えたこと、思ったこと、 を作品に仕上げてアップします。 フリーペーパー『このあいだ』に掲載のエッセイは、毎月20日に更新。

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マガジン

  • このあいだ(第36号以降)

    『このあいだ』第36号からの記事を毎月追加します。基本的に、『このあいだ』1号には毎月2本のエッセイが掲載されますが、時折、2本分の分量で1本のエッセイを掲載することもあります。 毎月20日頃に記事が追加されます。

  • このあいだ(第003号 2020年12月)

    フリーペーパー『このあいだ』第3号に掲載のエッセイを2本収録しています。

  • このあいだ(第002号 2020年11月)

    フリーペーパー『このあいだ』第2号に掲載のエッセイを2本収録しています。

  • このあいだ(第001号 2020年10月)

    フリーペーパー『このあいだ』第1号に掲載のエッセイを2本収録しています。

  • このあいだ(第7号 2021年4月)

    フリーペーパー『このあいだ』第7号に掲載のエッセイを2本収録しています。

最近の記事

プリキュアにお付き合いの立ち位置

 40を過ぎてスプラトゥーン3にハマっている。子どもといっしょにも遊ぶし、ひとりでもムキになってナワバリバトルを繰り返している。  そんな好きが昂じて、スプラトゥーンのグッズがいろいろ欲しくなる。食玩のフィギュアや、お菓子についてくるシールなど。スプラトゥーンのものを見ると目がキラキラする。  そんなわけで、コロコロコミック2023年10月号の付録に「金のスプラシューター」がついてくると知れば、何十年かぶりにコロコロコミックを買ってくる。娘と「金のスプラシューター」というレ

    • 「レディ・マドンナ(幻想曲)」(『このあいだ』第36号 2023/9)

       家賃はだれが工面するの?  お金は天のお恵みだって思ったかい?  貧乏を笑えるのは、貧乏を経験したことのある人か、 いままさに貧乏を経験している人ばかりだ。貧乏を知らない人が、貧乏のことを真面目な顔で「貧困」と呼ぶ。そんな風に指差されると貧乏人はそわそわする。 ブランド物は欲しいけれど、自分が「貧困」ブランドの顔になるのは落ち着かない。  貧乏人にとって「常にいまし、昔いまし、やがて来られる方」である貧乏神は、日常彼らが寄り添い親しんでいる神であり、笑いであり、ガイド

      ¥300
      • 「多様性のレッスン」(『このあいだ』第7号 2021/4)

        スティーブン・B・ハード、上京恵訳『学名の秘密 生き物はどのように名付けられるか』原書房、2021  お気づきのことと思うけれど、ぼくは先の文(「クリニックの診察券」(『このあいだ』第7号 2021/4))で一般的に有名になることについて若干の疑問を呈しながら、引き合いに出したのはまごうことなき有名人ばかりだった。  しかしこの本に込められた著者の思いは、「無名」の存在の発見と顕彰、そしてその豊かさの保存への情熱である。有名人にまつわるエピソードを語るかと思わせて(原著の

        • 「クリニックの診察券」(『このあいだ』第7号 2021/4)

           ことし正月3日の夜、近くの銭湯に行った。次の日は仕事始め、年末年始休暇に重ねた楽しみや息抜きの材料を、じっくり湯船で煮つめ、身体中に滋養を行き渡らせるために、自分としては比較的長い間湯に浸かった。浴槽は深くて小さく、人は少なかった。名を知らない常連のおじいさんと言葉を交わした。ちょうど良い湯加減だった。  脱衣場にはテレビがあって、番台のおじさんがじっと見ている。上も下も完璧に下着だけを身につけた先客の老人が2人、駅伝を見ながら話をしている。画面には1人の走者がずっと映さ

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        • このあいだ(第36号以降)
          1本
        • このあいだ(第003号 2020年12月)
          2本
        • このあいだ(第002号 2020年11月)
          2本
        • このあいだ(第001号 2020年10月)
          2本
        • このあいだ(第7号 2021年4月)
          2本
        • このあいだ(第6号 2021年3月)
          2本

        記事

          ライフハック(家に招き入れたハエ編)

           やったらいいのにやれへん。  ということは日常のいろんな場面である。たとえば何百行あるエクセルのデータをスクロールしながら上から見始めて、はじめのうちは探している商品はすぐ見つかるやろぐらいの気持ちでやっていたのに見つからなくて、延々とスクロールし続けていること。Ctrlキー押しながらFですぐ検索窓が出せるのに、もう意地になってしまい「あと少し」「あと少し」と念じながらスクロールしかしない。やりはじめたことは止まらない。ショートカットキーなどたとえ知っていても宝の持ち腐れで

          ライフハック(家に招き入れたハエ編)

          「24」の(オチのない)謎

           オチも何もない話で、解決を見ないままこれから眠りにつこうとしているが、これは2023年8月30日の日記である。  夜、市営地下鉄に乗ったら途中から乗ってきた客が前の席に腰をおろし、新聞を広げた。 「24日に処理水放出決定」 読売新聞の見出しにそう見えたので、 「えっ」 と思った。6日前に処理水放出は行われている。新聞の日付を見ると8月22日の新聞である。  普通電車の中で広げる新聞というものは当日のものだろうとこれまで思っていたけれど、バックナンバーが読まれていることに意表

          「24」の(オチのない)謎

          「見て見ぬふりの天国」(『このあいだ』第6号 2021/3)

          柳美里『JR上野駅公園口』河出書房新社、2014 「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くので す。」(ヨハネによる福音書14章2節)  ジョン・レノンの「イマジン」がなぜ「天国はない、と想像してごらん」と歌い始められるのか、ずっと気にかかっていた。  それはあまりに辛いのではないか。伴侶を失った人、子を亡くした人、大切な友人が早世してしまった人、現世にもはや希望が持て

          「見て見ぬふりの天国」(『このあいだ』第6号 2021/3)

          「エパタ」(『このあいだ』第6号 2021/3)

           目の底に堆積するような疲れに、椅子に座り込んで市販の目薬をさす。そんなとき、ああ、このまま電気のひもを引っ張るみたいにして、それっきり目が見えなくなったらどうしよう、と思う。  子どもの頃から、「盲人の目が開いた」とか「唾を吐いて作った泥を目に塗ったら見えるようになった」とか、その手の話ばかり読んできたので、逆に視力を失うという事態への対策が私にはまるでできていない。何度めかの「どうしよう」で、はた、とそのことに気がついた。  ただしこの「どうしよう」は、心配、というの

          「エパタ」(『このあいだ』第6号 2021/3)

          「ではずれますと」(『このあいだ』第5号 2021/2)

          いしいももこ/ぶん、あきのふく/え『いっすんぼうし』福音館書店、1965 レベッカ・ソルニット、東辻賢治郎訳『迷うことについて』左右社、2019  保育園の先生が、娘たちのクラスみんなが昼寝をする前に、昔話をしてくれる。だからだと思う、家の絵本棚から娘が『いっすんぼうし』をリクエストしたのは。  兵庫県立美術館が秋野不矩展を開催した年だと思う。娘の生まれる数年前、たぶんその展覧会には結局行けなかったのだろう。『いっすんぼうし』の絵本だけが、そういった展覧会のあったことの

          「ではずれますと」(『このあいだ』第5号 2021/2)

          「同時代」(『このあいだ』第5号 2021/2)

           明日は雨になるかもしれない、だから  ぼくは太陽を追っていく  ビートルズ「アイル・フォロー・ザ・サン」  ぼくが生まれたのはジョン・レノンの没年で、年齢はそのままレノン没後X年になる。高校生の頃は自分がレノンの生まれ変わりだったらと夢想したこともあったが、残念ながらぼくは彼が凶弾に倒れる半年前に生まれてしまった。  今ぼくが天才と崇めるのはマッカートニーの方で、レノンはもっと自分たちに近い存在に感じられるようになったが、それはマッカートニーの書いた、天の羽衣さながらど

          「同時代」(『このあいだ』第5号 2021/2)

          「欲の叶うその日」(『このあいだ』第4号 2021/1)

          幸田文『木』新潮社、1992 (リンク先は2022年の文庫版) 「だが、 抱けば、その頑なな重量。 このアテをどうしたらいいかとだけ、あとは何も考えられなかった。」 「檜」の章で著者は案内人から「アテ」 について教えてもらう。 アテとは木が、 例えば日照を得ようとして、 ねじれ、 曲がり、 こぶをつくり、 自身に真っ直ぐでない変形した箇所をつくる、その部分のことをいうそうだ。 ヒノキといえば良い材、高級な、というイメージをぼくも持っているが、 アテとなると内側に相当な癖が

          「欲の叶うその日」(『このあいだ』第4号 2021/1)

          「公園の木々」(『このあいだ』第4号 2021/1)

          「どんぐりちゃん」 が一昨年の待降説から我が家にやってくるようになった。  フェルト地のカレンダーの日付ごとにポケットがついていて、どんぐりちゃんは毎朝、 ポケットにひとつのどんぐりと小さな手紙を届けてくれる。 そのたびぼくら夫婦は大げさに騒いで子どもたちを起こし、 カレンダーのところへ誘って、どんぐりちゃんの贈り物を取り出し、手紙を読んで聞かせる。 子らはどちらも眠そうにしていて、上の子は目をこすり、 下の子はぽかんと口を開けている。 ぼくはどう見ても自分がさっき書いたば

          「公園の木々」(『このあいだ』第4号 2021/1)

          それ、すーちゃんに絶対言ったらあかんで

           家族で旅行に行ったのである。愛知県に。  名古屋港水族館に行き、蒲郡に泊まり、竹島水族館に行った。  竹島水族館は2度目である。2年前に行ったときは、100円の安い方のえさだけ買って娘に魚のえさやりをさせた。それだとウミガメが食べなかったので、娘は300円の高い方のえさを所望したけれど、ぼくはそれをリジェクトしてしまった。財布の紐がかたい旅行だったかもしれない。入館が既に夕方近くで、えさやりをしていた頃は閉館が迫っていたのかもしれない。  ウミガメも食べる特別なえさやり

          それ、すーちゃんに絶対言ったらあかんで

          アサガオのたね、スイカのたね

           アサガオのたねを採るのが好きだった。アサガオの実はカラカラに乾いていて、つぶすとポロポロと、目にも入らず、間違って鼻に吸い込むこともないちょうどよい大きさのたねが採れる。それに少しも手が汚れないのがいい。簡単につぶれず、蟻やダンゴムシのように死なないのもいい。  手のひらに載せ、ふっ、とたねを包んでいた皮を吹き飛ばす。一度も砂に触れたことのない美しい小石のようなたねが手のひらに残る。清潔な感じがする。ぱんぱんに張ったお腹のような実を指の腹でつぶして、そこからたねを取り出す

          アサガオのたね、スイカのたね

          「献呈」(『このあいだ』第3号 2020/12)

          ラス・カサス、染田秀藤訳『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫、2013 マキャヴェッリ、森川辰文訳『君主論』光文社古典新訳文庫、2017  ぼくの娘は目ざとい。 何にか。 アルチュール・ランボーの詩 「永遠」 をもじって歌えばこうなる。  また見つかった  何が一  永遠が一  人様の投げ捨てたゴミさ  保育園への登園時、 そんなに散らかった道ではないのだが、 目を凝らせば植え込みの下などに空き缶やおにぎりの包装プラスチックゴミが見つかる。  娘は、

          「献呈」(『このあいだ』第3号 2020/12)

          「意図」(『このあいだ』第3号 2020/12)

           妻の言い間違いに慣れてもう長い。  彼女が言い間違えたことは、これまでに私が蚊に咬まれた回数ほどあれど、 そのしばらくの痒みのあとはほどなくひいていくので、ひとつひとつの言い間違いは面白いのに、残念ながら記憶に残っているものはわずかしかない。  一戸建てを借りて住んでいたとき、2階から 「階段をひろってきて」と言われた。 洗濯物の山から落ちた靴下かハンカチーフを拾って、「はーい」 と上にあがった。  あるときはドナルドダックをダックスフントと呼んだ。いわゆる「ど忘れ」

          「意図」(『このあいだ』第3号 2020/12)