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「透明な困難」に気づける人になりたい

4月に第一子を出産した。

「妊娠出産を経て、見える世界が変わった。」そんな感想は、何度も目にしてきた。妊娠中の想像以上の身体的負担、育児の過酷さや行動方法・範囲の変化など……。頭では理解しているつもりだった。しかし、経験してみたそれは、全く違った。そんな月並みな経験から感じた「#未来のためにできること」。
 
妊婦生活を振り返ると、悪阻は軽い方だったと思うが、初期から長時間立っているのは辛かった。後期はさらに辛く、お腹は張りがちで、乗換えのたび15分くらいホームで休憩しながら移動していた。席を譲ってもらえると、涙が出るほどありがたかった。
出産後はベビーカーでの移動が多くなった。妊娠中もエレベーターはありがたかったが、エスカレーターでも良かった。ベビーカーだとそうはいかない。「エレベーターだと嬉しい」と「エレベーターしかない」は全く違う。頭ではわかっていても、自分がその立場になると、その違いの大きさに愕然とした。
 
これらの困難は皆、妊娠前の私にとって、「透明」だった。よく、マイノリティの人々について、マジョリティの人が「自分の周りにはいない、見たこともない」と話すのに似ているかもしれない。「いない」のではない。経験や知識、環境の偏り、思慮や社会的理解の不足から「いるのに見えていない」のだ。
 

書けば書くほど、既視感のある内容が文字になって並ぶ。私は今までどれだけの人の困難を、わかったふりをしながら目を背けてきたのだろう。私だって、妊婦さんに席を譲ったことはある。だが、振り返ると、自分の固定観念に縛られた視界の範囲で、見えたら行動しないこともない、という程度で文字通り「透明なもの」として扱っていた。「こんなに辛いならもっと譲っていたのに」と、今になって思うほどには軽視していたと思う。
 
そんな私が「#未来のためにできること」は。
周りを見渡すこと。「透明な困難」に苦しむ人に気づいて行動すること。
 
きっと全てには気づけないし、私自身が全て経験できるものではない以上、その困難の当事者の気持ちを全て理解し切ることはできない。それほど様々な立場の人々が各々の困難を持っているし、それらを理解していると思うことも危険だ。
ただ私は、「理解できない当事者の立場がある」ことを理解して行動したい。そして、間違っても、自分が経験していない困難を否定することだけは、決してないようにしたい。

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