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この町の "農" と "季節"、そして僕たちのカフェ

季節に抗わず、自然にあるがまま暮らす。

そんな生き方を肌身で感じて、無意識に各々の価値観に取り入れてもらいたい。

そんな想いもあり、僕たちのカフェでは季節ごとのメニューをお出ししている。

その季節のメニューは、この町で獲れた果物や野菜が中心。

(そのほか季節によってはお茶だったり、加工品のこともある。)

季節と農。

これには密接な関係がある。

つまり、季節が巡ってくれば野菜や果物が連想されるし、野菜や果物が収穫されれば季節がやって来たなぁと感じる。

何を提供するか。

これによって季節感や農の様子を、間接的に伺い知れるかどうかが大きく変わってくる。

通年出しているものだと当たり前になり形骸化してくるので、農を感じるというのはどうしても難しい。

もちろん、通年採れる卵や乳製品についても、出来る限り伝えたい。

ただ、それには説明つまり言葉を要する。

一人一人と対話できる時間は限られており、現実的には難しい。

だから、無意識的にも季節を感じ、その先の農に想いを馳せられる季節のメニューは、僕たちの中でとても重要な役割を占めている。

春になれば苺が実を付け、梅雨になればブルーベリーが成る。

夏になればとうもろこしが、晩夏にはマスカットが実る。

秋にはかぼちゃが食べ頃に、冬にはさつまいもが熟れてくる。

農は自然と営みを続けていくなかで、こういった春夏秋冬を物語っている。

僕らが説明するよりも、よっぽど雄弁に。

農は季節とともに歩んでいる。

僕がカフェを営んでいる新潟県糸魚川市は、近年では果実や野菜などが盛んに作られている。

しかし、農家の方に話を聞くにつれて、かなり最近になって本格的に作られ始めたということがわかってきた。

今でもそうだが、やはり新潟はお米の里。

この町も稲作が中心で、その合間に野菜や果物を作っているというのが現状だ。

全国ではハウス栽培で通年で野菜や果物を作っていることもしばしばだが、この町ではほとんどそういったことはない。

旬の季節に作りきって、あとは稲作に集中する。

だからこそ、農が季節を色濃く反映していて、それが青果市場や飲食店、食卓にも映る。

一見すると不便なようだが、僕はこの世界観がとても好きだ。

農家が自然とともにあることで、飲食店や一般消費者も自然と一体となれる。

東京に住んでいたときには無かった感覚だ。

東京でスーパーに行って野菜や果物を買っても、それがいつ育てられ収穫されたかなんて全く意識もしなかった。

というか、いつでも同じものが並んでいるような気がした。

もちろん、それは僕が旬の知識に疎かっただけかもしれないが、それ以前に基本的にいつでも並んでいるから、旬を意識する必要があまりなかったのである。

それがこちらにいると、冬は "糸魚川産" だったのに、春や夏になると広島産だったりチリ産だっりになるというものが多い。

そうすると、ああ、この果物はこの町では冬にしか獲れないんだな、と思う。

そしてその果物が青果コーナーに並び出すと、ああ、冬が来たなぁなどと感じる。

季節が移ろっていることが、実感としてわかる。

そうすると、身体や心もその季節に移ろっていく。

科学的なことはわからないが、フィジカル的に身体にも、精神衛生的にも健康な気がする。

実感として、以前よりも風邪をひきにくくなったし、メンタル的にも安定している。

動物としての人間は、本来のようにして季節とともに生きてきたのだから、僕らのDNAはそれにフィットするようにできているのかもしれない。

とかく自分には、農と季節がリンクしているこの町が心地よく感じる。

僕たちのカフェはそんな暮らしをそのままメニューに反映していると言っていい。

9月には、シャインマスカットが旬を迎える。

そのシャインマスカットを旬の時期だからこそできるフレッシュのままで、贅沢に使用した。

恥ずかしながら、これまでシャインマスカットの旬など意識したことがなかった。

それが、9月になるとシャインマスカットが旬を迎え、地物のものが市場に出回る。

そう知るだけで、また来年の9月が来るのが、一層楽しみになってくる。

まだ今年の9月も終わっていないのに気が早い。

終わっていないどころか、今年のシャインマスカットはまだ収穫されてすらいない。

9月限定メニューと言いつつ、9/2(月)現在、まだ提供できていないのだ。

もちろん、市外や県外では獲れ始めているところも多くある。

それを取り寄せてメニューとして提供できないことはない。

しかし、僕は市内産にこだわる。

広げたとしても上越エリアくらいまで。

この地域の農、そして季節というものを本当の意味で味わってほしいからだ。

獲れていないものは提供できない。

獲れるまで待つ。

果物や野菜も生き物である以上、こちら側の要請で収穫を早めることはできない。

それで良いと思っている。

それが良いと思っている。

僕たちは自然をコントロールできると思い込んでしまちがちである。

しかし、当然ながらそんなことはできない。

自然をコントロールするという思想は西洋的で、逆に日本は自然と共生するという思想で古来から今日まで歩んできた。

こういうことを知ると、非常に僕は日本男児的だなぁと思う。

日本人の血がどろっどろに流れているんだなと。

日本的な心を持ち続けていたいなと思う。

たぶん僕が日本人である以上、日本的な暮らしをしているほうが幸福度が高そうな気がしている。

そしてきっと、そのような人は僕以外にも多いだろうと思う。

農と季節と僕たちのカフェ。

その3つを一本の線で結び、僕たちのカフェを入り口に、無意識にでも農や季節を感じてもらえたらなと思う。

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今野直倫
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