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好きじゃなかったら絶対に続かない

カフェやコーヒー屋に限ったことではないが、好きじゃないものは絶対に続かないと思う。

これは誰かに向けて書いているというよりも、自分に向けて書いている。

未来の自分に向けて。

そして、今現在の自分に向けて。

その始めようとしていることは、本当に好きなことなのか?

好きになり得ることなのか?

常に自分に問いたい。

そんなに好きでもないことをノリと勢いで始めると、自分が苦しいだけだからだ。

さらに、周りに「続ける」みたいなことを公言してしまうと、逃げ場がなくなるので苦しみが二重三重の重奏曲になる。

デスマーチである。

そうならないように、常に意識して自分に問い続けたい。

そして、ノリと勢いで始めるなら、小さく細々とが鉄則だ。

「〇〇、YouTube始めます!」

みたいな動画を一本上げた後、2年3年更新のないチャンネルが山のようにあるのは、恐ろしいことである。

それだけ世に苦しみが生まれているということを意味している。

ノリや勢いがわるいと言いたいわけではない。

僕も多くのことをノリと勢いでやってきた。

でも、それは自分の価値観や世界観が霧に覆われて全くわからない段階でやるべきことだと、今振り返って思う。

それによって、自分の価値観や世界観が明確になっていくことがあるからだ。

やってみて、これは違うな、これは気持ち良いな、と自分の心を確かめていく作業である。

ただ、価値観や世界観が明確になり、解像度が上がった段階では、これはただただ苦しいだけである。

自分の価値観や世界観に合わないことを続けることほど苦しいことはない。

なんか違うな。

でも、何となくやった方が良さそうだし続けてみるか。

これが一番苦しいし、時間の無駄になる。

人生は有限だ。

自分が苦しいと分かりきっていることを、長くやり続ける必要はない。

自分が心地良いと思えて、かつ成長に繋がり、人生の喜びが得られることをやるべきだ。

新卒の石の上にも三年は否定しないが、30超えてからの石の上にも三年はただただ拷問である。

なぜなら、30にもなれば価値観はほとんど固まっていて、1年だろうが3年だろうが基本的には感じ方は変わらないはずだからだ。

これは僕の経験と感覚からの答えなので、信じるか信じないかは自己判断でお願いしたい。

そもそも冒頭でも言ったように、この文章は自分に向けて書いている。

未来の自分だけには、ここで書いたことを信じてほしい。

それが、僕が幸せになるための指針だからだ。

じゃあ好きなことってどうやって見分けるの?

というのが本題だし、とても難しい問題だ。

好きって何なんだろう?

僕が好きなことが僕の好きなこと、というのが一番正しい回答になる。

僕の文章には、このようにたびたび小泉進次郎氏が出てくる。

そうとしか言えないことが多いからだ。

実際、僕の好きなことは僕が好きなことでしかない。

どう客観的な理屈に基づいて共通点を探ろうとしても基本的には無理である。

そして、それを一般化させて読んでいる人にも当て嵌めるというのはもっと無理である。

なぜなら、好きという感覚は、直感に基づいているからだ。

これまで経験してきた全て。

体験や会話や見てきたもの、会ってきた人、触れてきた言葉、自然、育った環境、親、先生、上司、同僚……etc.

みんなミキサーにぶち込んでミックスジュースにして、濃縮還元したようなものが直感で、それに従って好きか好きじゃないかを判断している。

少なくとも僕にとっては。

何か公式に当て嵌めたり、論理に基づいて判断した好きは、誰かから借りてきた好きだ。

世の中の誰かが好きなものを借用しているに過ぎない。

例えば、友達が好きなものかもしれない。

あるいは、インフルエンサーが好きなものかもしれない。

あるいは、常識的にみんなが好きとしているものかもしれない。

こういったものは、世の中に既にある好きであって、自分自身の好きではない。

自分が本当に好きなものは、一言では表せない。

例えば、僕はコーヒーが好きだが、「コーヒーが好き」と言葉にすると何か違う感がある。

僕の心の中で唱えるコーヒーという言葉には、あのカップに注がれた黒い液体以外の周辺の全てのものが含まれている。

だから、「コーヒー」という単語に落とし込んだとき、いろいろと削ぎ落とされている気がしてしまう。

そして、僕にとっては削ぎ落とされたものの方が重要で本質的だ。

となると、好きなものはコーヒーと言って良いのか怪しくなってくる。

本当の好き、とはそういうものだ。

一言で言い表せるなら、それは借りてきた好きである。

世の中に既にある好きをかき集めてデフォルメした、作り物の好きである。

本当の好きは、自分の内側から出てくる。

心の奥底の混沌とした直感というところから出てくる、黒い得体の知れないもじゃもじゃとした輪郭のはっきりしないものである。

そういうものに気付いたとき、僕は本当に幸せだなと感じる。

それが今職業として続けている絲と糸というカフェだし、このnoteである。

自分の直感と直接繋がっているから、長く続けられる。

本当の意味で心が喜ぶから。

そういったものに出会えると、人生は豊かなものになると思っている。

いつも直感に従え。

心の奥底に眠っている、得体の知れないくろいもじゃもじゃとした輪郭のない何かに。

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