見出し画像

2024年を55枚の写真で振り返る

年が明けたら「新年の抱負」を書くものだと誰が決めたのか。私をつくっているものは過去にある。大切な未来は、大切な過去になったとき、私の一部になる。

正月。10年以上断続的に襲いかかる病とリハビリに苦闘していた父は、孫といるときだけは表情が和らいでいた。

1月、「おもいでケータイ再起動」というauの取り組みを知り、義父のガラケーを持って家族で銀座に行った。私が妻と知り合う前に義父は亡くなっている。再起動したガラケーの中にあった義父の自撮りを見て、わたしは「妻に似ている」と思った。会いたくても会えなかった人に、会えないからこその出会い方をした。

『カメラは、撮る人を写しているんだ。』発売。この本を作り始めてから今に至るまで、わたしは毎日写真を撮るようになった。誰よりもわたしの人生を変えた本。

その本を書いたワタナベアニさんと、新刊記念イベントで札幌に出張した。乾いた粉のような北海道の雪は、丸めて背中にぶつけるとハラハラと剥がれ落ちた。

2月、家族旅行を兼ねて、娘と横浜にaikoのライブに行った。翌朝起きて、ホテルのベッドでiPhoneを開くとaikoからリプがついていた。本当に夢だと思ったが、いつまで経っても覚めなかった。少し人生の変わる音がした。

cp+というカメラ博覧会のようなイベントに、ワタナベアニさんと登壇した。書籍の撮影にも立ち会ってくれたSIGMA加藤さん。恐縮ながら、光栄だった。

同じ時期に写真の本を出した幡野広志さんと、編集者を交えた4人で「ど素人とプロの座談会」をした。青山ブックセンターの壇上から。

写真を撮り始めてから「光と影」と「構図」について考えることが増えて、古典邦画を観返した。『雨月物語』の京マチ子は異常なほど妖艶だった。

3月、40歳になった。まずます惑っている。悪くない。

大阪の書店員にご依頼いただき、人前で「編集」について話をした。帰りにレザーストア「スナワチ」に立ち寄り、城主の前田将多さんと会った。離れた土地に会いに行ける人がいるというのは最高だ。

東京・篠崎の「読書のすすめ」にて、『カメラは、撮る人を写しているんだ。』トークイベント。書店員が本を好意的に紹介してくれるというのは、子どもが先生に褒められているのを公開授業で観ているような気恥ずかしさと嬉しさがある。小川さん。

年度が変わり、いつぶりか、田中泰延さんと会って話した。何を話したかは全く覚えていないが、楽しかったことは覚えている。

センジュ出版の吉満明子さんと食事。版元を越えて同じ著者を担当した編集者同士。あっという間に5時間くらい経っていた。

あるコミュニティの送別会に参加した。みんなでサプライズで用意した贈り物に、主役が泣いて喜んだ。いい日だった。

同僚が主催した編集者の集まりに行った。つくった本が名刺になっていた。ポプラ社の辻さんと藤田さん(当時)。

母校・早稲田大学の近くにある喫茶店「ぷらんたん」へ。200回は来ているだろう。店主の前田さんが席まで雑談しに来てくれた。

5月、母の日。娘と一緒に、それぞれの母へ花を買った。

パリ在住のファッションデザイナー宮白羊さんと渋谷で食事。本を作ってから、ワタナベアニさんは何人もの人をわたしに紹介してくれた。人を紹介するというのは人間関係において最もセンスが求められる場面だ。彼はそれを外さない。楽しかった。

新宿二丁目で開かれたaikoのいないaikoのイベント「aikoナイト」に参加した。aikoが誰に愛されているのかを知れた。何かを好きになることは、世界を広げることにつながる。

5月末、大阪梅田で200人規模の『カメラは、撮る人を写しているんだ。』トーク&撮影イベント。旧知の読者がたくさん来てくれた。大阪はいつの間にかとても大切な場所になった。作った本とaikoのおかげで。

6月。大阪から戻った翌日、親父が危篤、そのまま亡くなった。

編集者仲間と目黒で食事。「お父さんが亡くなった記事、読みました。面白かったです」と言われた。救われた心地がした。

電通の阿部広太郎さんが、自身の私塾「企画でメシを食っていく」のゲスト講師としてわたしを呼んでくれた。打合せ。温かい雨が降っていた。

娘のドラム教室の発表会。やりたいことを見つけ、懸命にやっている姿はもう、かわいいよりもかっこいい。

以前、いっしょに本を作った人が、本を贈ってくれた。「わたしの弔意は、すべてこの本の中にある」と。ものすごくうれしかった。これからも本のそばで生きていきたいと思った。

家でカクテルを作って写真に撮る、という遊びを始めた。好きなものをじっくり撮るというのは、愛する何かをもっと愛することだと知った。ものも、人も。

7月。親父の高校時代からの友人が追悼会を開いてくれた。二次会でカラオケに行き、親父が好きだった曲をみんなが歌う。俺はもちろん『カブトムシ』を歌った。「あなたが書いた礼状は素晴らしかった。でも、お父さんには敵わない。お父さんは、すごい人だったんだよ」と言われた。そうなのだろう。生涯忘れることはないでしょう。

制作中の本の著者である高橋久美子さんの地元、愛媛に取材旅行へ。「音」をテーマにした本だから、彼女が生まれ育った土地の音を聴いておきたかった。わたしの愛する曲が生まれた場所にも連れて行ってもらった。

親父が死んだという記事を読んだ浅生鴨さんから、「メシでもどうですか」と連絡が来た。ただ、他愛もない話をして笑いながら蕎麦をすすった。この人は人を救う人だなと思った。

今まさに潰えようとしている命に敏感になっていた。

8月。父のあとを追うように、叔父が亡くなった。父を「お父さん」とか「おやじ」と呼んでいた私が、「パパ」と呼んで慕った人だった。真夏の炎天下、供物を持って亡くなった場所に行き、線香をあげた。

家族で地元の花火を観た。観ているとき、どこからか来たカマキリが俺の肩に止まり、娘は「じいじが一緒に観に来たんじゃない?」と言った。

地元のバーで20ほど年の離れた若者たちと写真の話をした。インスタのアカウントを交換し、最後に一枚撮って送った。

編集者仲間と焼肉を食べた。彼女らと同じくらい、撮っていた私も笑っていたことを思い出せる。

新刊出来。わたしの仕事は書籍編集です。

9月。一輪挿しを買って、花を生けることを始めた。同じ書斎で仕事をしていた親父がいなくなり、さみしかったのかも知れない。

仙台へ。親父の骨を墓に納めた。墓の中には父の母の骨がまだ風化せずに残っていて、その隣に置いて閉めた。おやすみ。数十年ぶりに会ったいとこと、数十年前の話をした。

その帰り、震災の遺構・荒浜小学校を訪れた。当時生まれていなかった娘たちと、何も言わずに爪痕を見て歩いた。

うれしい時もかなしい時も何度も来ているバーに入るなり「おつかれさまでした」と声をかけられた。大切な場所。ドイツ語で「同志」という名の店。

10月。「夜景おじさん」という写真展を開いたオケタニ教授と、上田豪さんの酒席に混じった。楽しかった。

地元の祭り。いつもは静かな土地に蟻の巣から1日だけ全員地上に這い出て来たかのように賑わった。それが祭りなのだろう。夢だったかのように翌日は人が消えていた。

娘の小学校の運動会へ。全員誰かの愛する子ども。

11月。他業界の人々と、山小屋一泊で大分県のくじゅう連山に登った。山に行くと心がフラットになる。肩書きを外してただ共に歩く。自然は人間が制する対象であるはずがない。自分はあらゆる生物と等しく自然の構成要素の小さな1粒でしかなく、それは喜びであることを知る。

サンリオピューロランドへ。金回りや客への注意喚起など現実的な役回りをすべて「クロミ」が担当しており、存在意義の大きさを知った。

母の誕生日を祝う。パートナーを失って、新しい人生が始まる。「夫を失った母」とわたしの新しい関係も始まる。

12月。ロシア料理を食べながら、仕事仲間と「家族の話」をした。仕事するにあたって語られることのない、語られる必要もない話だ。それがものすごくおもしろかった。すべてが向田邦子の小説を朗読し合うような、生産性も再現性も効率もない、しかしいつまでも話していたいと思える、とびきりに豊かな時間だった。

家族で六本木森ビルのスピッツ展へ。「君は30年後に草野マサムネと仕事することになると、北海道の白河町でラジオから流れてきた『君が思い出になる前に』を聴いてスピッツと出会った当時のわたしに教えてあげたい」みたいな構文があるが、大人の感傷に子どもを巻き込むエゴがひどくないか。教えてあげても怪しすぎて通報されるだけだろう。

子どもの保育園の友達家族と大勢で山へ。この人たちは、娘が出会わせてくれたのだ。

クリスマスにファッションデザイナーと食事。パリではクリスマスは日本の正月みたいな家族行事であり、親戚が大集合して別々のプレゼントを用意するからめちゃくちゃ大変なのだと聞いた。

新刊『いい音がする文章』の見本出来。関係者全員の最高の仕事の結晶。俺自身もできることはやった。どうか読んでほしい。

年末、親戚の家に茨城へ。みんなで遊び、寝たきりになった義理の祖母に会い、写真を撮った。

どこかに行き、誰かと会い、何かをした、味わい深い年だった。

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

『今日までそして明日から』吉田拓郎 より

新年だからという抱負は、とくにない。心のままに、好きな人と会って、行きたい場所に行って、好きなことをして、読みたいものを読んで、書きたいことを書いて、作りたい本を作って、それらに導かれるようにたどり着いた景色を味わって、生きていきたい。

ここから先は

27字 / 2画像
どうでもいいようでどうでもよくない日々の出来事。

日常の編集

¥500 / 月 初月無料

書籍編集者が、生活者として考えたことを書きます。月2回は更新します。

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?