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会葬礼状

葬儀は儀式であり葬儀屋は数が求められるビジネスなのでシステムが洗練されていて、いまはあらゆる工程に葬儀屋が用意したテンプレートがあります。ただ、今回、会葬礼状だけはテンプレを断って自作しました。「礼状」なので参列者への礼を述べるものですが、慣例を逸脱してひとつ「お願い」を入れました。

後日、何人もの方から「返信」が届きました。それは、いちばんそばにいたはずのわたしが全く知らない物語ばかりでした。終わりを始まりにすることが、いわゆる「喪の仕事」における大切な要素なのではないかと今は思っています。

下記、全文です。

父は常に闘っていました。それは病との闘いであり、自分を自分でなくす何かに負けない闘いでした。病魔の執拗なクリンチを受け、肝硬変、三度の脳梗塞、胃癌と度重なる不意の一撃KOから復活する十五年のリハビリ生活の末、肺血栓一閃で眠りました。Rehabilitationの直訳は「再び適する状態になる」だそうですが、「元通りになろう」ではなく「いまやれること」を探し、それは最期まで編集の仕事でした。胃の全摘手術直後に何を思うか問うと「自分が何を思っているのかを考えている」と言いました。
息子に威厳を見せる意志がなく、ただ見守り背中を押す姿勢のもとで私は育ち、父は父で職場も人間関係も自分であれない環境を拒否し続ける矜持の人生を生きて、私は私に誇りを持てていますから、父の「教育」は間違っていませんでした。

ただ、それは息子から見た一側面です。今野哲男が皆様にとってどんな人間であったか、皆様の中に何を残し去ったのかを、どこかの機会でお聞かせ願う次第です。
父 今野哲男 は、令和六年六月一日、享年七〇歳の生涯を閉じました。生前お力添えくださった皆様へ深く感謝致します。本日は御多用の折、お時間を割いて御会葬・御弔意を賜り誠に有難うございました。略儀ながら書状をもって御挨拶申し上げます。

長男 今野良介

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