道をつくる
長い梅雨が明け、風が吹く晴れた今日、森の中で作業をする機会をいただきました。 そのなかのひとつに、「道をつくる」作業がありました。
そもそも林道や登山道、を頻繁に歩いていたものの、その道を誰がどのように作ったのか、ということに思いを馳せることは、あまり多くありませんでした。
もともと、緩やかな斜面だった場所に、土留めの丸太を並べるところから作業は始まりました。森から切り出してきた2,3メートルの丸太を何本か並べ、大まかなルートを決めることで、森の中に一本の線が出来る。その線に沿って、カケヤ(杭を打つハンマー)を打ち下ろし、何本かの杭を打ち込んで行く。
その線に沿って鍬で地面と丸太の間の隙間をなくしながら、地面に馴染ませたのち、歩く部分を鍬で平らにならしていきます。
時間にして30分くらいだったでしょうか。5人の大人が黙々と作業を進め、気づくとただの草が生えた斜面には、いかにも人が歩きやすい、黒々とした平らな道が出来上がっていました。
ナタ一本で杭を作るむずかしさや、カケヤで杭を打つ難しさ、そして何より地面の傾斜に合わせた丸太の配置など、様々な、単純で奥が深い仕事の奥深さを味わうことが出来ましたが、それ以上に、自分たちが作った数メートルの道が目の前に広がり、これから数年、あるいは数十年、多くの子どもたちが歩くことになるかもしれない、そのことに、何とも言えない感覚を覚えました。
「道をつくる」ということは、未来を考えることなのかもしれません。これまで誰も通らなかった道を作ることで、森の中で、今まで誰も見向きもしなかった場所に、気軽にアクセスすることが出来る。それが子供なのか大人なのか、いずれにせよ、自分の手で作った道が、森と誰かをつなぐハブになり、人と森との交流の起点が生まれる、そのことが人の未来に、なにか変化をもたらしたり、森の未来を少し変えたりするかもしれない。
そんなことを考えていると、実は道を作る作業は、単に道を作るという営みではなく、現在の森を未来につなげるための、メッセージを発しているような気さえしてきました。
作業を終え、長い山道を下りながら、この道を作った人は、何を思いながら、この急な階段を作ったのだろうかと考えながら、帰途につきました。