見出し画像

僕はジャック・ケルアックより歳上になった。〜行けなかったNY〜

ジャック・ケルアックと言えばもちろん「路上」だ。今までに何回読んだだろう?映画も何回観ただろう?

僕の若い頃…いや今でも「路上」はバイブルである。

自由に生きる。
こんな素敵な事は無いけれど、
とても高い犠牲を伴う。
遂には払いきれない程に。

僕は…自由になり切る事は出来なかった。
環境のせいにはしたくない。
結局は僕が臆病だったのだろう。

僕は若い頃…20歳くらいの頃だから90年代前半。
NYに行きたくて行きたくて仕方なかった。

旅行って事じゃなく移住したかった。
理想はジャズ系の音楽大学への留学だったけれど、そんな資金はどこからも捻出出来る見込みはなかった。

でもなんとかして行きたかった。
NYの空気を吸いたかった。
NYの音を聴きたかった。
その為ならどんなに狭い部屋でも、
どんなに汚い部屋でも良いと思っていた。

それが若さの良い所だ。
だから何とか方法はないものかと
自分なりに調べてみた。

でも移住するには何らかのビザを取得する必要があった。ビザは数種類あったが、どれであっても20歳そこそこの何のコネも無い貧乏な若者がたった一人で取得するのはかなり困難だった。

グリーンカードの抽選も申込みを真剣に検討したものだ。

音楽留学を諦め、とにかく合法的に移住するだけという最低限の条件まで妥協した結果、
導き出されたのは…。

たった1年間の語学留学。

…と言ってもボロアパートの一室での少人数の語学教室みたいなもの。

そこなら当時の学費は確か年間100万円程度(記憶があやふやなので正確ではありません)実際にはその他に家賃、光熱費、食費、その他諸々の生活費もかかる。

僕はその地域の年間の生活費の平均を調べた。
かなり安く見積もっても最低でもざっと年間総額350万円ほど必要。プラス上記の学費。

当時の僕のアルバイトでの年収はどんなに頑張っても180万円ほど。一切お金を使わずに生活するのは不可能だから目標金額達成まで3年はかかる。たった1年の語学留学の為に貴重な3年もの月日を費やす…。

一人で全てを解決するのは不可能だった。

かと言って代わりに払ってくれる人はいない。さんざん走り回ったけれど、たった一人で全てを解決するのは不可能だった。

だから僕はNY行きを断念した。
グリニッジ・ヴィレッジにも、セントラル・パークにも、俺は行けないのだと。

ケルアックはもちろん、ボブ・ディラン、アレン・ギンズバーグ、そしてウィリアム・バロウズ達の足跡も辿れないのだ…と。

結果僕はたった一人で年間の学費が60万程の安い音楽学校に入った。でもその学費すら払い終わるのに1年半を要した。

安い学校には有望な学生は集まらない。残酷な話だけど基本的に事実だ。そこにいた奴らの誰一人としてケルアックもバロウズも知らなかったし、「路上」を読んだ事のある奴もいなかった。

その学校は僕にとって何の意味も無かった。本当に何一つとして。

NY行きを模索していた時、周りには全てをお膳立てされて、ボストンやLAに数年留学しに行く人間が沢山いた。中には親切心から学校のパンフレットや留学ガイドを「参考に」と言って貸してくれる人もいた。

僕はそれらを受取り、礼を言った。

そしてただ…彼らを見送るだけだった。


いいなと思ったら応援しよう!

城南画報
私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。