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音響、音質至上主義へのアンチテーゼとして…。

訳あり商品って意外と人気ですよね?
割れちゃったお煎餅とか、ラベルが破けてしまったワインとか。
どちらも見かけは悪くなったかも知れませんけど、味には全く影響ありませんよね?その分値段が下がっているなら逆にお得みたいな。

でこれを音楽に当てはめると…ってちょっと強引かもですけど…且つあれだなぁ、反論ある人いっぱいいそうだなぁ。でも悪意はありません。あくまでも僕の個人的意見ですので悪しからず。

要はここ30年くらいですかね?
というか30年程前、楽器を演奏しない…もしくはそれをメインでは考えていないミュージシャンが登場し、DJ文化や打ち込みとかDTMが普及し始めた時期と重なるように音楽の評価軸の中で「音質」が占める割合がとても大きくなった気がしています。

僕は85年からギターを始めて、当時はラウドネスとかボンジョビとかモトリーとかをコピーしていたクチです。作曲もすぐ始めていましたが始めは4trのカセットMTRでした。当然音質は良くありませんでした。それでも当時は全然満足していました。

バンドでの生演奏もスタジオでカセットテープに一発録りでした。もう音は割れ放題だし、ボーカルはあんまり聴こえないしで、それはそれはひどい音質でした。
でも当時はBOOTLEGといってツェッペリンとかガンズとかの海賊版のCDが出回っていてそれらの音質も酷いもんでした。

ちなみに映像でもまだYouTubeなんてない時代だったから、海外の音楽番組を録画したビデオテープが新宿で売られていて、それらの画質も音質も決して良いものではありませんでした。でもそれが逆に臨場感というかリアルな感じがしてかっこよかったですけどね。

それが突然90年代に入ってハードロックブームが終わり、グランジも下火になった頃、ジャズファンクとかアシッドジャズとかブレイクビーツだとかドラムンベースだとかネオアコとか様々な呼び名のいわゆるクラブミュージックが台頭してきて、バンドでギターを弾いていた僕からしたら、突然音質評価の波が襲ってきたという感じがしました。

もちろん言う迄もなく、音楽にとって音色や音質はとても重要な要素の1つです。でも例えばバッハやモーツァルトなどクラシックの曲は何百年も前に作られたもので楽譜しか残っていません。

誤解を恐れずに言えばそれはドレミファソラシドだけの世界です。でも今は音質に評価軸が傾き過ぎていて、肝心のドレミファソラシドの部分がないがしろにされている気がしてなりません。

その理由はドレミファソラシドを論じるには、音楽理論などのある程度の素養が必要となってきますが、音色や音質の評価って誰でも出来てしまうと言ったら言い過ぎでしょうか?

代理コードやボイシングなどをドビュッシーばりに凝った美しいドレミファソラシドだけど音質はあまり良くない曲と、とてもシンプルで簡単な曲だけど、良い音質の曲の場合、後者が高い評価を受ける可能性があります。でもそれは音楽の評価ではなく、録音物としての評価ではないでしょうか?

つまり楽譜に書かれているものは何度でも再現可能ですが、録音物は1つの固定されたモノとして存在している。この2つは全くの別物であるのに、同じ土俵に乗せるから話がややこしくなるのかなと思います。

僕はどちらかを選べと言われたら、個人的には音質よりもドレミファソラシドを大切にしたいです。音質とは結局は人が身に纏う衣装のようなものだと思います。その衣装が美しくても醜くても中の人は変わりません。であるならば、中身の方が大切だと考えます。

しつこい様ですがもちろん両方大事です。ただ現代の音楽評価軸が音質や音色…つまり衣装に傾き過ぎているのではないか?と危惧しています。

これは僕の曲。妻のフルートはSHURE SM57で録っています。DAWはlogic-proです。




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城南画報
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