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日比谷ハレの日(2)。

(1)から時間が空いてしまいました。
(1)のnoteはこちら↓。

今日はこの続きから。

舞台・ミュージカル・演劇に憧れていた私は
ある日
朗読と音楽のコラボレーションのライブのシリーズに歌担当として出演させて頂いた。
朗読と音楽という組み合わせはよくあるし
珍しくもなんともないが
このシリーズのオリジナリティは

朗読と音楽が対等な位置にある。
それでいて、ミュージカルではない。

というところだった。
おかげで私も歌っていれば良かったので
セリフなどは喋らずに済んだww。

ただ、このライブには演出がいなかったので

自分とピアノ担当の方とであーだこーだと考えて
うんうんと悩んで(普段やっているライブやジャズとは全然勝手が違ったので)

二人で何度もリハーサルやミーティングを重ねて
このシリーズの世界に通用する(通用していたと思いたい・・)ジャズを創り上げていったのだが

やっているうちに

あ、これ
演劇で役作り・ストーリー解釈をやっていた時と同じプロセスとやり方だ
ただ、表現方法が芝居じゃないだけで
役作りとストーリー解釈を
歌に落とし込むだけで

やっている事は、音楽側も芝居なんだ

と気付いた。

その時、自分の今までの人生と人生とが
綺麗に繋がったような気がした。

人生の中で、無意識だったし
正直忘れていたけど(笑)
またこういう事ができてその時はとても嬉しかった。

結局、人は何かのご縁を辿って
自分の根っこにある何かに戻ってくるんだなぁ、と、しみじみと思った。

その時

願わくば
また劇場のホールの舞台に立ちたい。

ミュージシャンなんで
ライブハウスやジャズハウスも勿論大好きだが
『大ホールの劇場』というのは
私にとってはもう何か、別次元の特別な場所なんだ、とこの時初めて気付いた。

・・ちなみに、私は演劇時代は
偶々ラッキーマンで
アマチュア時代から
大ホールの劇場でしか芝居した事ないんすよ。

声が人一倍でかい

と、よく言われてました(笑)。


しかし、演劇的な表現を再び出来た事が
とても嬉しかったが

そのシリーズを私は辞めさせて&抜けさせてもらった。
演劇を辞めたときと同じ理由だった。


やっぱり舞台の世界って
舞台に関わる人って
こんな感じなのかな、と思った。

自分とは相性の悪い場所なのかもな

と、寂しいけど納得せざるを得ない
と思った。


ピアノ担当さんから

コンノさんが今度こういうステージか
コンテンツを主催したら?

と、提案してもらい

やってみようとしたけど

作る際に
他ジャンル・他業界の人が沢山絡むので
自分の裁量では捌ききれない
と思ったのと

実行すると仮定して
レバレッジをかけたとき
自分が損益を被る未来しか見えないww
と予想したのと

なにより、私がやりたいのは
プレイヤー側であって
オーガナイズ側ではない
という気持ちが一番強かった。


だから
私の舞台経験はここまで。
一時的だとしても、もう一度体験出来て
とても楽しかったし、嬉しかった。


・・・と、ここで終わらせようとしたが。

何故か
去年の年末くらいから
出逢いや紹介を色々と頂き

また、こっそり希望を持ちたくなる流れになってしまった(笑)。


ただ、今回出逢った方々は
今の私では一緒に仕事はなさらないであろう事も
十二分に心得ている。

業界内でキャリアやステイタスが全くない
というのは自分が一番良くわかっている。

だから
今は舞台より音楽に専念して
とにかく自分自身を磨くしかない。

4年、という時間を設けた。
4年で自分がやりたい事に
相応しい自分になる。
ちょうどオリンピックやワールドカップの周期なんで、ちょうどいいような気がした(笑)。


まるで夢物語だが

自分の人生で

『エリザベート』の
マダム・ヴォルフ役をアクトできたら
あの、ジャズワルツのナンバーを
パワフルにソウルフルにしたたかに
帝国劇場のあの舞台で高らかに歌えたら

と。

そして

歌を歌う役割で
また何かの舞台に参加・出演できる日が来たら

と。

その時には
きっと

よく行くミッドタウンのスタバで
楽屋入り前にラテをテイクアウトしようと思う。

私の夢。
とても大きな夢。

今日の舞台の演者として
日比谷の街を
あの劇場街の通りを歩きたい。


それが叶った日はきっと
日比谷がハレの日になる。



PS)ちなみに、「日比谷で歌う」なら
何回か経験しているんですよ。
ほら、日比谷は立派なホテルがいくつかあるから
パーティー演奏とか何かとね。↓

帝国ホテル・朱雀西の間にて。
これも日比谷。↑の写真の本番中。

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