根暗のわたしには、物語ムーミンの「陰」な部分が心地いいみたい。
心をおだやかにしたいとき、わたしは「ムーミン」の小説を読むようにしている。
フィンランド発祥で世界的に有名な作品「ムーミン」は、フィンランドよりも日本で人気があるとかないとか。
テーマパークが日本で唯一、埼玉県にあるということで、先日も足を運んできたばかり。
「ムーミン」というと、人はどんなイメージを持つのかな。
「かわいい」と同時に「なんだかこわい」「世界観が不気味」という印象を持つ人も多いかもしれないね。
カバのように見えるムーミンは実は妖精で、物語の中では不気味な魔法が使われたり、陰鬱な森を冒険したりと、話はパッと明るくはない。
でも根暗のわたしには、ムーミンに描かれる「ちょっと不気味」な部分が心地よい。
世間では「陽キャ」だ「陰キャ」だと騒がれているけど、どちらとも言わずわたしは「外面は明るい根暗」だ。
友人と楽しい集会があった日の夜はベッドで「なぜあんなことを言ったんだ」と1人反省会をしているし、作業中に他人に話しかけられ集中が切れるのが苦手だから、引きこもれるWEBライターという仕事を選んだ。
そんな根暗なわたしだけど、自分のことを誰も知らない海外という土地へ、旅行をするのは好き。
だから、ムーミンの物語に登場する「スナフキン」という旅人の言葉に、強く惹かれたのかもしれない。
ただ「明るくてかわいい話」で終われないのが人間なのさ。
作者トーベ・ヤンソンがムーミンを書いたのは、第二次世界大戦の末期。
世界が壊され、人々が逃げまどい、途方に暮れながら生きようとする日々。
物語は決して戦争の様子を描いていないけれど、彗星が落ちてきたり、洪水が起きたりして、現実世界とリンクしないようでしているのが不気味なのかもしれないね。
主人公のムーミンは妖精でありつつもどこか人間らしく、自分に降りかかる出来事をコントロールできないことを理解し、どう対処するかを考える。
境界線を踏み越えた先に広がる、小説の世界。
日本語に訳されたムーミンの小説では頻繁に、なんだか違和感のある表現がされていたりもする。
乱暴な表現が、ちょっと大袈裟に描かれているというか。
みんながみんな、表現を大きく、過敏に言動をとっているというか。
ちなみに普段のわたしは、おだやかでほがらかで、あたたかみのある言い回しが好き。
物語でも、現実で人から発される言葉でも。
なんだけど、ムーミンのそれはなんだか異物すぎて、新食感みたいな感じなんだよね。
物語の中でしか出会わない感覚が、新しい自分だけの世界に連れ込んでくれて、「これでいいんだ」って思わせてくれるような。
ムーミンに登場するキャラクターはどの子も、「ただ優しい」とか「ただ意地悪」のような書き方をされていない。
誰しもに悪いところがあって、それを口に出したり行動に移したりしている。
同時に誰しもに良いところもあって、そういうところにどうしようもなく人間味を感じる。
キャラクターそれぞれが秘めている悪い部分は、わたしの中にもある陰湿な部分なような気がして、それがストレートに表現されるのがどうにも気持ち良い。
社会の一部として生きる中で、どうしても隠さねばならない部分があって、それがムーミンの物語の中でははっきりと表現されていてるような。
現実世界から離れ、「小説の中」という境界線の向こう側に広がる世界は、とっても自由だ。
ムーミンのお話のなかでは、それが常識にとらわれていないレベルの自由で表現されている。
まるで、人が周りの目を気にするのをやめたときの振る舞いのように見える。
一般的には嫌がられるような人柄もそのまま描かれ、周りにはそのまま受け入れられている。
良くも悪くも、みんないまを一生懸命に生きていて、周りの人のことはあんまり気にしていない。
そういう、自分軸なキャラクターたちばかりのこのお話。
それを自分がさらけださずとも、他の誰かがやってくれている世界。
だから落ち着いてしまうのかもしれない。
なんてことを考えながら、今日もわたしはKindleを開き、電車にゆられながらムーミンを読む。
ムーミンの良さが、ちょっとでも伝わってたらいいな。(あやしい笑)
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