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「逆張り」とは何なのか?

本来の意味である投資の手法ではなく、ネットスラングにおける一般論とは真逆の主張をする行為についてです。


流行っているコンテンツを利用しない。売れている商品を買わない。
人気のある人を批判し、反対に叩かれている人を擁護する。
このような行為が「逆張り」と言われている。
時に、新しい視点やアイデアを提供する事もあるのだが、
トレンドに乗るのが自然な人にとっては理解不能で気味が悪い心理に思えるだろう。

これを行う人は、自覚の段階を基準に大きく3タイプに分けられる。
A:しっかりした信念と根拠があり、世間の動向に流されない。
B:はっきり説明できないが、何となく「周りと同じ」は気持ちが悪い
C:大衆を軽んじるだけで簡単に注目を集められ、優越感が得られる。

Cの中でも批判やマウント行為が目に余る場合は、人間性に問題があり、
不健全状態か退行が進んでしまっている人かも知れない。
しかし彼らが暴れ過ぎたせいで現在、世間では逆張りの評判がすこぶる悪い。偏屈・目立ちたがり・カッコつけ(ダサい)・勘違い・成功者に嫉妬している・冷笑主義・批評家ワナビーなど、
本来、一目置かれてもいいAや、ただの「変わり者」で済まされるはずのBを巻き込んで、とてもネガティブな扱いをされている。

しかし、逆張りは単なる目立ちたがりではなく、
社会にとっては大変重要な意味がある。
例えほとんどの主張が、結果として無意味に終わったとしても、である。
それは、逆張りを行う心理が懐疑主義に端を発しているからに他ならない。

集団が前触れもなく一斉に一方向へ走り始めた時、
向かう先は安全なのか?もしそうでなければ大惨事につながる!
確かめられるまでは動くべきではない!
既に動き始めている集団を止めるには、逆の方向へ引っ張るしかない。
逆張りとは、帰属集団の認知バイアスを警戒する懐疑主義者のアウトプットなのだ。概念的には川に落ちないレミングとも言える。
ではタピオカの大ブームに大惨事へつながる懸念があったのか?という問いは意味をなさない。ちっちゃな参事は有った。集団の中の一定割合の者に、一斉行動を疑う心理が根付いているという事自体が重要なのである。

長い歴史を生き延びている人類が、これまで危機を回避してきた上で、
懐疑主義の果たした役割は大きい。
集団が方向性を改める時には、懐疑主義者の遺した逆張り論説が、
その修正案の下敷きにされてきた。

そもそも懐疑主義は哲学から生まれ、物事を疑う事を基本的な態度とする学問である科学を生み出す大きな源泉となった。
科学の利益や躍進は語るまでもない。
歴史的に有名な逆張りおじさん達が居なければ、文明的な暮らしどころか、未だに太陽が地球を回っていたかも知れない。
コペルニクスは目立ちたがり屋ではなかったであろう。

まとめ

逆張りは社会集団において、発展の兆しや安全機構としての役割がある。
流行りに逆行する態度を見た際に、行き過ぎた批判やマウントを伴わない限りは、どうか「未知のキケンへの警戒係、お疲れ様でーーす」と生暖かい目で見守って欲しい。
筆者が友人たちに執拗に勧められながらも頑なにスマホを持たず、
不便の重要さを主張している態度についても、
いつか必ず評価される時代が来るであろう(多分)。


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