無限にどうでもよくなる化
個人的に、悩みや不幸な出来事などで、必要以上に気分が落ち込まないようにしたり、考えてもしょうがない思考のループを中断するために行う「無限にどうでもよくなる化」と呼んでいる方法がある。
事態を客観的に見ることによって、メンタルへの不要なダメージをカットするという仕組みで、心理学的には防衛機制における知性化とか合理化とかに該当するのかも知れない(ともすれば、あまり褒められたことでは無さそうではある…)
問題に対して俯瞰の視野をどんどん広げていくと
A:長い人生、こういう事もある。
B:自分だけでなく、周りの人も同じである。
C:普遍的な事に過ぎず、日本では〇%の人が該当する。
D:世界にはもっと深刻な事が山ほどある。
E:人類の歴史を振り返ると、取るに足らない出来事である。
F:地球誕生から起きた出来事で何番目のインパクトなのか。
G:広大な宇宙の片隅の銀河の中の太陽系の中の小さな惑星の…
という具合に、どこかで必ず矮小化されてしまうという仕組みである。
どんな問題でも最終的には気にならなくなる感じを「無限にどうでもよくなる」と捉えているのだ。わざわざ日本語として違和感のあるフレーズにしてある辺り、自分の中でもどことなく邪道だという認識があるのかも知れない。
流石にFやGの段階まで進むと、全ての事がどうでもいいニヒリストやアナキストのようになってしまうのでやり過ぎである。が、筆者はよく身の丈に合わない憂慮(特定外来種どうするんだとか人類の行く末とか)を患うので、意識が成層圏を突破する事がままある。
あくまでも気分を切り替えるだけで、問題は解決していないため、反省や改善が必要な失敗などに対しては、これで納得してしまうのは良くない。一旦どうでもいいとなった後でいやいや、どうでも良くはないだろう…と渋々フォーカスし直す必要がある。一度冷静(虚無とも言う)になっているお陰で気持ちが整理されるので、問題へ向き合うアプローチとしては中々有効だったりもする。
加えて、自分の努力ではどうにもならない不運や、過ぎてしまって悩んでいる段階ではない事、悔やんでも仕方がない事など、シンプルに悩むだけ損な事態はそれなりにあるので大いに活用したい。
人生には思うようにいかない事が山ほどある。筆者はあまりメンタルが落ち込む方では無いのだが、今後もこの方法で様々な不幸を乗り切れるかどうかは不安でもあり楽しみでもある。ネガティブな感情は全てが必ずしも悪いとは言えないので、その都度、人生の財産として味わうのか、一時的にでも忘れるのか、自分である程度コントロール出来れば良いなと思う次第である。
「無限にどうでも良くなる化」用法用量を守って正しくお使いください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?