No.75|百日行願75日目(2024年10月16日)
こんにちは。
百日行願、七十五日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
頂いてきたおかげを振り返ること
頂いてきたおかげを噛みしめること
とても大事な営みだと思えております。
おかげを振り返らないから深まらない
おかげを噛みしめないから味がしなくなる
そんな気さえしております。
頂いてきたおかげとは、
シンプルに命です。
どんな人生を歩もうが、
どんな苦境に立たされようが、
命を頂き続けてきたおかげは厳然としてあるわけですから。
只今、苦難の中に居る人はそう思えないかもしれません。
私の言葉は引っかかりもしないでしょう。でも……
今この言葉を見て聞いて少しでも引っかかるようなら、
今からおかげを振り返るお稽古をされることをことさら強くオススメします。
信心は筋トレと同じ。これも最近強く思うこと。
毎日繰り返すことで強化される。
少しでも休むとすぐさま衰える。
同じことです。
信心筋。
おかげをおかげと思える筋肉。
おかげを有り難いと思える筋力。
鍛え方はシンプル。
気持ちを形に現していくこともとても大切なことです。そして習慣化させていくこと。あたり前のように生活に組み込んでいくこと。組み込めたら悩むことなく(考えることなく)信心が生活の一部になるということですので。
神様から命を頂いている。
その元である神様に御礼を申し上げる信心。
人としてごくごくあたりまえのことをしているまで。それでも命の授け元である神様は満面の笑み(光)で喜んでくださる。それは親だから。子である私たちが信心によって生き易くなることを誰よりもご存知だからです。
私も、鍛え続けていきたいと思っております。
あなたはどうしますか。
追伸:神様の満面の笑みを()で光と現したのは私にとって神様は人の形をしていないからです。とはいえ喜んでいることもものすごく感じる。それは強烈な光となって私を包んでくださる、そのようなイメージから光という言葉を選びました。
イメージですから何でも良いのです。千差万別、神様のイメージに決まりはないと思っています。喜んでいるか、悲しんでおられるか(子どもが生き辛そうにしていたら親としては悲しいものです)、どちらかのイメージを心に浮かべられたらそれでイイかと。
まぁ、喜んでもらえたら嬉しいですよね。とはいえ、喜ばすためにやるものでもないことだけは最後に付け加えておきます。無理はいけません。。。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?