No.91|百日行願91日目(2024年11月1日)
こんにちは。
百日行願、九十一日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
『定期的なお参りの奨め』
これは、私がいつも言っている
からくる考えです。
筋トレ、続いていますか。そもそもやっていますか?
歩くにも、走るにも、起き上がるにも、筋肉、必要ですよね。
私も御用(1日中畳に座っている)の関係で続けています。
足腰を鍛えておかないと、御用が続きません。
話を信心に戻して、
信心も続かないと意味がない。そう思っています。
そこで、定期的なお参りの奨めなのです。
定期的、言葉の通り、定期です。
教会から家が近いのなら、週に一度のお参りを心がけたら良い。
教会から家が遠いのなら、月に一度のお参りを心がけたら良い。
そんなわけで、私は月に一度、神奈川県から兵庫県までお参りしています。
定期的なお薦め理由をもう少し。
筋トレという側面もあるのですが
(やれば鍛えられる、やらないと衰える)、
もう一つ、
習慣化することで悩まない、これが私は大きいと思っています。
歯磨き、やろうかやらまいか、悩みますか?
なかには迷う人もいるかもしれませんね。
でも、多くの人は悩まないでしょう。
眠る前、悩まずに歯は磨くものです。
あとは、就寝。これも悩まないでしょう。夜が来れば眠るもの。
もちろん、お仕事の関係とかで、眠れない日もあるとは思いますが、そちらの方がイレギュラー。夜が来れば多くの人が眠るのです。眠ることにいちいち悩まない。
スティーブ・ジョブズの服選びもそういった理由だと聞いたことがあります。
https://keysession.jp/media/steve-jobs-clothing-strategy/...
悩まないというのは、時短になり、続く。
そんなわけで、
信心(教会へのお参り)も、習慣化してしまえば良いのです。
こんな偉そうに能書きたれている私も、始めからすんなりと出来たわけではありません。我の強い偏屈な私です。うまくいくはずがない。
だからこそ、失敗を乗り越えてきた私だから、定期的なお参りが大事だと思っているし、その大切さを伝えたいとも思っているのです。
始めと言えば、好き勝手に参っていました。なので、気分がノラない月や、忙しい月なんかは「忙しい」を口実に参る選択を外していました。するとズルズルと流される。「参れるときに参ろう」これがイケない。
どんどんどんどん気落ちしていく。
どんどんどんどん、命の御礼心から遠のいていく。
周りが気になっていく。
腹を立てる回数が増えていく。
もしくは、何もかもがどうでも良くなっていく。
生気が衰えていく……、そんな感じ。
それを防いでくれたのが、月参りでした。
今は、教会参拝を軸にして毎月の予定を組み入れていっています。
教会のこと、家族のこともありますから、この日だったら教会にお参りができそうだという目星をつけてお教会へとアポイントを取る。早ければ、参る1ヶ月前ぐらいに。最近では、お参りが終わった直後に「次の参拝は~」そんな感じで決めています。
だからもう悩まない。よっぽどのことがない限り(参る当日の天災とか……)、毎月必ずお参りする、というのが私の習慣になりました。
今日は、定期的なお参り(信心の習慣化)について書いてみました。
残すところ、あと9日。
おかげ頂きます。
追伸:定期的なお参りを続けて、目に見えての変化はわかりません。筋トレなら体つきも変わってくるでしょうが。
ですが、まちがいなく「心は鍛えられている」それはもう、これでもかと感じています。定期的なお参りを生活に組み入れてみてはいかがでしょうか?
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