今度はこの私が・・・
【あなたも幸せになれる!私のプロフィール -3- 】
風水オタクを襲った悲劇
無事に男の子を出産し
風水に没頭している日々・・・
そんな中、今度は彼の実家の借金、
それも大借金が発覚したのです。
その実態を知っていたのは、
その大借金の張本人である義母だけでした。
毎日、
黒いベンツでやってくる借金取り。
マジっ!?
これってドラマや映画で見たことある光景じゃん。
本当に連れて行っちゃうんだ~
と感心する私。
いやいや、
感心している場合じゃないわ。
話し合いの結果、
私は息子と両親を守るため離婚を決意したのです。
そう、2度目の離婚です。
しかもまたもや
借金が原因だなんて・・・トホホ
彼は自分の実家を助けるため、
慰謝料なし、養育費なしの離婚でした。(涙)
私は、ひとり息子を連れて
小さなワンルームアパートに引っ越し
昼も夜も働きました。
息子を預けて仕事に行くとき
嫌がって泣いた息子の顔を
私はきっと
一生忘れることはないと思います。
ちょうどその頃、
友人が引っ越しをすることになったのです。
一緒に住んでいた
妹が結婚することになり
彼がいない友人は
仕方なく一人暮らしをすることになったわけです。
彼女も適齢期。
私は、彼女の希望で
結婚運が良くなるお部屋を提案しました。
彼女は私の風水インテリアを
すべて素直に取り入れてくれました。
そしてその半年後、めでたく結婚。
やっぱり素直が一番ですね~。
神様に好かれること間違いなし!!
彼女は風水のすごさに驚きながら
お嫁にいったのでした。
ちなみに彼女は
その後3人の子供にも恵まれ
今でもラブラブなご夫婦です。^^
3回目の結婚
私はその3年後、
3回目の結婚をしました。
ところが、、
な、な、なんと、
妊娠が発覚した直後、今度は旦那さんに借金が…。
ガガガガガガガァァァァァーッ
私の幸せが崩れ去っていった音です(笑)
何度か返済の手伝いをしましたが、
借金をしながらも
毎日飲んで朝帰りする彼に
心身ともに疲れ果て私は離婚しました。
娘を出産し退院した日、
娘を抱いて歩きながら帰宅するときに
決意した離婚でした。
借金2000万円の超ド貧乏生活
娘が3歳になった頃、
スポーツインストラクターとエステティシャンの
二足のワラジだった私は起業を決意しました。
それは、路面店を大改装し、
大勢のインストラクターと契約を交わし、
2,000万円投資した起業でした。
今思えば、
なんとも恐ろしい決断。
しかも、風水的にみると
大きな行動は避けるべき時期だったのです。
経営のことなんて何も知らず、
ただただ勢いだけの起業。
「若気の至り」と言いたいところだけど
全然若くない・・・^^;
だから
「無知って怖い」ってことです。
幸せになるということだけでなく
ビジネスにおいても
成功するか、しないかは
成功する方法を
知っているか、知らないかです。
当時の私は
なんにも知らなかった。
もちろん
1年も持たずに資金はショートし、店は撤退。
せめてもの救いは
店を引き継いでくれた人がいたということです。
10年以上たった今でも
その店は存在してくれています。
ありがたいことです。
借金が原因で
3回も離婚してきた私が、
最後には自分が
大借金を背負うことになったわけです。
そして踏んだり蹴ったりの同時期に
父親が他界。
バカは死ななきゃ治らないと
愚痴ばっかり言っていた父親・・・。
私はそんな父親が
正直あまり好きではありませんでした。
だから、父親が他界しても
きっと
悲しくもなんともないだろうと思っていたんです。
ところが、
私は立ち直れないぐらい落ち込んだのです。
自分でも信じられないくらいに・・・。
私は
2000万円もの借金を抱え、
仕事はなくなり、
アパートの家賃も払えなくなるところまでいきました。
毎月、毎月
いろいろな催促状やら督促状がポストに届いていました。
私はアパートを引き払い、
2階に母親が暮らす実家の1階を間借りすることにしたのです。
「すべて修行」と
腹をくくって始まったド貧乏生活。
小さいときに
姉に付きっ切りだった母親には
心配も迷惑もかけたくないという
気持ちばかりでした。
食事はたいていお醤油ごはん、
ちょっと余裕があるときは味海苔がつく(笑)
保育園の先生に
「今日は何を食べてきたの?」と聞かれ、
「お醤油!!!」と
元気よく答えるわが子供たち。
驚く先生の顔も
私は一生忘れないと思います(笑)。
思い返すと当時は
風水なんてやる余裕すらなかったなぁ~。
借金もあと少しという頃、
私は、ふと今までの人生を振り返りました。
「疲れたな・・・東京に疲れた・・・」
私は東京から離れることにしたのです。
ほぼ直感です、はい。
理由なんてない。
ただ、東京から離れて暮らそうと思った。
それは、
息子が小学5年、
娘は小学校に入学したばかりの1年生の夏。
風水でみて
この時期しかないと思っていた。
無事に就職も決まり、
私たち親子3人は、
背中を押されるかのように沖縄に移住しました。
ちなみに、
なぜ沖縄だったかというと、
せっかく離れるなら
東京から遠いところにしようと思ったから。
ハワイも考えたけど
私は英語が苦手だし、
北海道は寒いから、
消去法で沖縄に決定したわけです。
それから間もなくして母親が他界。
遺産問題で兄姉は1年間裁判していたようです。
これまで私たちのために
一生懸命働いて、一生懸命育ててきてくれた両親。
たぶん
父親と母親の一番辛く、長い年月を見てきたのは
兄弟の中で私だけだったのかもしれません。
これを機に私たち兄弟は離縁したのでした。