ゆるめたっていいんだよ。
Konitaroです。
先週末はちょっと色々とありまして、精神的に辛い状況でした。自分が情けなくて不甲斐なくて、どうにもできない感情が溢れていました。
そんなときに目にしたのが、フォローさせて頂いているの風井麻希さんの記事でした。
自分を変えたいと思いながらも長い間変えられずにいて、そんな自分に嫌気がさし…その「負」のループを繰り返していました。そんな中でこの記事を読んで、この中に書かれている「あ!僕も全方位真剣勝負やん!!」と思ったのです。
自分は情けない不甲斐ない、と自分で自分を責めていること自体が違っている、今日まで紆余曲折ありながらも生きてこれた自分に対して自信を持って、褒めてあげる労ってあげることはあっても、責めるのは違うんじゃないか、そこまで自分を苦しめる必要はないんじゃないかと気付いたのです。
周りには「根拠のない自信があるから」とか言っていながらも、本心では自信がなくて、いつまでたっても自分を認めてあげられていませんでした。それにフッと気が付いたのです。
『今日まで、悩みに悩んで頑張ってきたよね。』
自分の頑張りを認めてあげてもいいじゃない、そんな声がどこかから聞こえてきた気がしました。長い間悩み、苦しみ藻掻いて生きてきたそんな自分、そんな今日まで張り詰めてきた気持ちがフワッとゆるんだ気がしました。
自分が真面目であることを肯定し、「真面目で何が悪い」と言い続けてきましたが、その「真面目すぎる」ところが逆に自分を苦しめてきていたようです。そしてどこか「完璧主義」なところがある自分も、それはそれで自分自身を苦しめてきたのでしょう。
僕は無意識下の中で、自分のゆるゆるな面を良しとしていなかったのかも知れません。何事も楽しく、うまくいっていた自分、そんなときは他人のことよりも自分の心にフォーカスしていました。僕はこれまで十分悩んで苦しんできたんだから、そんな自分を認めてあげて、「しっかりしなきゃ」という縛りをゆるめてあげてもいい、そんな時期がきたのでしょう。
人生も後半に入り、いつまでも自分を苦しめていたって仕方がない。死ぬまで自分で自分を苦しめるなんて可哀想だし、後悔を残したまま死んでしまう可能性だってある。そう、もしかしたら明日死ぬかも知れない、明日の命は誰も保障してくれないのです。
そう考えると、もっと自分の心に正直に、心が喜ぶ方向に向かっていくことは間違っていないと思えていきました。
そんなことを考えた誕生日の朝でした。