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等身大の自分が納得する働き方

図書館で手に取った、「ヘルマン・ヘッセ全集2」を読んでいる。
有名な「車輪の下」や、その他短編小説が多数収録されている。
その中でも中編小説くらいのボリュームである「ハンスの思い出」が個人的に、「働くこと」について目を向けさせ、課題を与えてくれる内容であった。
登場人物ハンスの抱える悩みが、私自身が大いに悩んだコアな問題とも合致しており、釘付けになった作品だった。

そのハンスの悩みとは、芸術や遊びの才能を活かしたいと心の底では思っていながらも、社会や会社の環境、ルールに束縛され、思い通りにならない事だった。
ハンスの様子や悩みは、著者(ヘッセ)からの客観的な記述で書かれていた。
ちなみにハンスはヘッセの実弟だった。

事業や仕事の世界にうまく順応出来ないで、ささやかな下積みの地位にとどまることに甘んじていた。
自分の運命を認めていた。
耐えられないように思われた時には、彼は、神や世界や制度や上役と争うよりは、むしろ自分自身と争った。

ハンスの思い出
ヘルマン・ヘッセ 著

私は社会や会社にうまく順応出来ないで、ルーチンワークでない日雇い労働で稼ぐ時期がしばらくあった。
日雇いでは、その日限りの人間関係と権力の無い地位に、ある意味で安心していた。
一方では、毎朝きっちり時間に起き、毎晩きっちりした時間に帰ってくる知人らの動きに社会性を見出して、その度に自分自身と争った。

また、この状態で家族を持っても、守ることに限界があり、いずれは家庭崩壊する、たとえときめいた人が居ても、道連れには出来ない。
しかし、守れる力、地位、収入を得に行く為の相応の対価を払う自信は無い。
この頃は、誰に対しても幸福を全く約束出来ない人間だった。

自責の念や不満が沸騰してきた時は、花や街路樹、八百屋の豊潤なかぼちゃ等に癒された。

自分自身を信じることができないのに、ひとりの女に終生パンと幸福とを約束するということを、どうして引き受けられるだろう?

ハンスの思い出
ヘルマン・ヘッセ 著

働くことに対して決定的に方針が変わったのは、あるウイルスとの冬真っ只中の出会いだった。
コロナウイルスに感染し、ウイルス自体の悪さよりも、それに引っ付いてきた憂鬱感に長いこと捉われていた。
ベッドに横たわる日だけが永遠に続き、白い壁を四六時中見つめていた。
ある日の昼、白い壁から窓に目をやると、清々しい青空と観葉植物が目に入った。
その光景、非常にありふれた光景に涙が出、今まで無理をしていたことに気付いた。
誰それと比べ、合わせる必要は無いことも、その時に学んだ。
働くことに対する考え方を、誰かに分かってもらおうと奔走する必要性も、もはや感じなくなった。

一言で解を出せないこの問題は今のところ、非常勤で週4日働くことで、頭を悩ませないくらいには中和された。
働いている中で、ささやかな目標と、進みたい道も段々と出来た。
自分で自分にOKサインを示したのだ。

働く、もしくは仕事をすることに何を見出すのか、折に触れて考えていきたいテーマだ。

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