登る山のお話

創業から10年で売上が50億円となった会社。僕も2013年の個人事業主として開業して10年になりますが、億円の売上なんて到底届いていない。

「成長」という言葉=売上や利益の拡大だと定義されると辛い。目指すところが違えば登る山も違う、という言葉をもう一回考え直したい。

【稲盛和夫氏の言葉】


自分の会社をどこへ持っていこうと思うのか、あるいは人生の目標をどのようにしようと考えているかで、その目標達成のために必要な「考え方」は異なります。

より高い山に登ろう、より高いレベルの会社にしよう、自分の人生をより充実したものにしていこうと思うなら、「考え方」はその目標にふさわしい、より立派なものをもたなければなりません。つまり、目標をどこに置くかによって、「考え方」は違ってくるのです。

どの山に登りたいのか、つまり、どういう人生を送りたいのか、どういう会社経営をしたいのか、それに応じた考え方、フィロソフィが必要なのです。
ですから「稲盛さんはこんな考え方が大事ですよと言うが、それは、京セラという会社をつくるのに必要な考え方であって、自分はそれほどの会社にしようとは思ってはいないから、もっと程度の低い考えでもいいだろう」と思うのは結構です。

哲学はなるべく次元の高いものであるべきだとは思いますが、それは立派な人生を送りたいと思うからこそ必要なのであって、もっとええかげんな人生で終わってもいいと思うなら、あまり次元が高くなくてもいい。自分が過ごそうと思う人生に応じた考え方を持つことが大切なのです。

先日、フィロソフィ経営実践塾で学ぶ友人とコンパ(いわゆる合コンではなく、食事をしながら経営談義をすること)をした。その時に、「成長」の話をしたところ、「他人が決めた登る山(目標)を周りが否定することはない」とおっしゃっていた。少し安心したが、自分の中の「楽をしたい心」からくる目標設定なのか?いや、そうではない!と思う心とが錯綜。稲盛さんが聞いたら「ばかもん!」と怒られちゃうかな。

ここに関しては、悩みの中(前向きに)です。
ちょうどいい心の置き方を探っています。



余談ですが、稲盛さんの小学校時代の人心掌握術のお話が面白かったのでご紹介。

小学校時分に、戦争ごっこをするために仲間たちの機嫌を取りながら工夫をしていたと。自分はおやつを食べずに友達に接待したり、下っ端的な存在にはそのプライドを傷つけないように合間合間になぐさめたり。「小4のくせに人情のあやまで察しながらやってた」と本人談。

それが、主従とか、給料とか、そういう繋がりがない分、余計に難しかったんだなと当時を振り返りながらお話されていました。

僕自身は、小学校時分にサッカーや野球を友人たちとしていたけど、そこまで考えていたか・・・?サッカーやろう!とか、ドッチボールしよう!とか声掛けをしたり、コートを予約したりはしていたけど、参加してる友達たちに何かをしたかな?おやつはあげていないし、人情を察しながら何かアクションをしたか、、、、してないな。

僕の個性としては、そういう場を作ることが好きなのかもしれない。集まってくるまでの場づくり。その先は自由にどうぞという価値観が強い気がする。



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