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たったひとつだけ願い事を叶えてもらえるとしたら

あけましておめでとうございます。

小3の息子と小1の娘がいるドタバタワーママのこねころり(ΦωΦ)です。

今日ようやく初詣に行ってきました。残り物には福があったのか、引いたおみくじは「大吉」でした。わーい。

初詣は地域の神様にご挨拶をするためのもの…と頭ではわかっていても、毎年なんだかんだ、願い事をしっかりしてしまいます。図々しい氏子でゴメンナサイ。

神社に行った時、七夕に短冊を飾る時、流れ星を見た時、ひとつだけ願いを叶えてもらえるなら…

自分が子供の頃はその都度、いろんなことをお願いしていた気がします。でも子供が産まれてからは、願う事はいつも同じです。

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子供たちは五体満足に産まれてきたけれど、自分の不注意で大事故を起こしはしないか、毎日生きた心地がしませんでした。SIDS(乳幼児突然死症候群)も怖かった。子供たちが歩き出してからも、交通事故や公園で大きな怪我をしないか心配で。今も車が小学生の列に突っ込んだというニュースを見るたびに身がすくみます(だからテレビがあまり好きではありません)。一度だけ自分が身代わりになれるんだったら、どんなにいいだろう、そしたら気が楽になるのにと本気で思っています。そういえばドラクエにそんな呪文かアイテムあったような。

だから神様へのお願い事はいっつも同じ。

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たったひとつだけ願い事を叶えてもらえるとしたら、そう考える度に、気づくことがあります。

それは、普段あれこれ悩んでる仕事のこととかは、結局のところ私にとっては「たったひとつの願い事」にはなりえないんだな、ということ。

年始から始まる新しい仕事がそんなに悲惨な状況じゃありませんように、とか、うちの部署がお取り潰しになりませんように、とか色々あるけれど(会社に対する期待が薄すぎる…)、別に神様にお願いすることでもないかな。論文投稿後の採録通知待ちの時でさえ、たったひとつだけ叶えてもらえる願いは「論文採録されますように!」じゃない。たぶん転職活動してても「〇〇に採用されますように!」ではない気がする。それくらいは自力でなんとかします、と肝が座るようでもあり、それと同時に別に仕事上のことなんて大したことじゃない、というか、なるようになればいいや、絶対〇〇じゃなきゃ!なんてことは別にないよな、というか、そんな一歩引いたような気持ちになります。

神社に行った時、七夕に短冊を飾る時、流れ星を見た時…

家族の安寧を願うと同時に、日頃の悩み事から一歩引いて冷静になれる瞬間が結構好きです。

今年も、家族みんな健康で元気で、楽しく暮らせますように!



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