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筒井康隆『パプリカ』考察 後編
こねこです。
こちらは後編です。
前編をお読みいただいてからまたこちらにいらっしゃってください。
前編のリンク、貼っておきます。
私が物語のラストを整理した結果以下の2点が判明し、前編では①を扱いました。
①陣内以外は現実には既にいないということ。
②ラストは陣内の見ている夢であるということです。
今回は②について扱います。
では、早速後編の考察に入っていきましょう。
②について
理由:見えないはずの玖珂の笑みを陣内が認識していたことから。
上だけ読んでも説明不足のためちんぷんかんぷんでしょう。補足します。
夢にも階層がある
私はクリストファー・ノーラン『インセプション』のように、夢には何階層かあると考えます。
REM睡眠とNon-REM睡眠がある、みたいなものです。
つまり、26章のパプリカたちが登場するシーンは27章より深いところにある夢であるということです。
夢の住人たちの世界、と言い換えましょうか。
現実
第1の夢: 現実に生きる人が見る夢
第2の夢: 夢の住人たちの世界、もはや住人は夢の中とは気づかない世界
現実から第2の夢にかけて段々と階層が深くなっていきます。
ここまで整理したところで、②の理由について追求していきます。
パプリカたちは○○と化していた!?
27章では陣内と玖珂しか「ラジオ・クラブ」にいません。
ここで陣内はパプリカたちに暫く会えていないことを告白しています。
あの人たちが来てくれなくなってから、もうどれくらいの時間が経ったのだろう。(p.474)
この「あの人たち」は恐らく、パプリカたちのことです。
26章で「ラジオ・クラブ」に来て祝杯をあげているはずのパプリカたちがなぜかお店のマスターであるはずの陣内に認識されていないという不可思議なことが起こっているのです。
ここから、26章は夢の世界の住人と化したパプリカたちの世界線における話であることがわかります。
いやいや、26章には玖珂も陣内も登場するじゃないか。
だったら、この2人も既に夢の住人なのではないか。
そういう疑問を持つ方も当然いらっしゃると思います。
しかし、よくよく考えたら、夢の世界では各人が思い描いたものが登場するのです。
よって、26章に登場する陣内は「ラジオ・クラブ」にはこの2人が欠かせないと思ったパプリカたちの想像上の人間である可能性が高いわけです。
ここまではいいとして、そうすると27章は現実なのでは?と思われるのではないでしょうか。
それが、現実ではないと思われます。
なぜなら、玖珂がいるから。
玖珂の正体
先ほどの説明の中であえて玖珂の名前を抜きました。
よって、26章に登場する陣内は「ラジオ・クラブ」にはこの2人が欠かせないと思ったパプリカたちの想像上の人間である可能性が高いわけです。
その際にあれ?玖珂は?と思ったそこのあなた。
鋭いですね〜〜〜
実は、私は玖珂はパプリカたちと同じ夢の住人ではあるものの、パプリカたちとも違う世界線?夢の階層?にいると考えているから抜きました。
というのも、27章に気になる言葉があるからです。
陣内が「それで、あれはやっぱり、夢だったのかな」(p.475)と発した直後の文章です。
玖珂は答えない。陣内に背を向けたままの玖珂は、瞑想に耽っているように瞼を落している。その答えを知っているのかいないのか彼の顔の笑みは、ますます仏像のそれに近づいていくのだった。(p.475)
陣内は玖珂の表情を見ることはできないはずです。
なぜなら、玖珂は陣内に背を向けているから。
なのに、彼は玖珂が「仏像のそれ」に近づいていく笑みを認識しています。
まあ、小説なのだから、第3者の視点から語られているだけでは?と考えられなくはないのですが、にしてもこの前の文章でも玖珂が陣内に背を向けていることを強調しているため何か意味があるはずです。
では、どんな意味か。
それは玖珂がどんな夢の世界も往来できる神のような存在になったということです。
こう捉えれば、陣内が知覚できないはずの玖珂の笑みを感じ取ったり、玖珂の笑みを「仏像のそれ」と例える意味がわかります。
また、26章に登場する玖珂は27章の玖珂と同じく、夢の住人でもあるということにもなります。
ただ、パプリカたちを第2の夢の住人とするなら、玖珂はより深い第3の夢の住人となります。
ラストはやっぱり陣内の見ている夢
こう考えてくると、陣内も玖珂と同じく第3の夢の住人な気もしてくるのですが、ちょっと待って。
前編で触れたように、陣内はいつの間にか最終決戦の前に戦線離脱しているのです。
つまり、陣内には夢の住人になるきっかけが欠如しています。
また、もし27章が誰の夢でもない現実だとすれば玖珂が登場するのはおかしなことです。
だって、玖珂は神にも等しい存在になっているのだから。
ここから、27章は陣内の見ている夢(第1の夢)ということになります。
まとめ
私が最初に示した2点、
①陣内以外は現実には既にいないということ
②ラストは陣内の見ている夢であるということ
これらは前編後編通して解説してきたことを正しいとすれば間違いないでしょう。
しかし、実際には陣内が第2の夢の住人で、パプリカたちが第1の夢の住人とも考えられないことはありません。
戦線離脱した結果、陣内だけが夢の世界に取り残された可能性もあるからです。
でも、夢に潜り続ける時間が長ければ長いほど覚醒できないと散々小説で強調されてきたわけですから、この線は薄いですが。
また、27章が現実である可能性もなきにしもあらずです。
というのも、本当に玖珂が神に近しい存在だとすれば誰の夢を通さずとも現実に干渉できるでしょうから。
う〜〜〜ん、やっぱり、私は素人です。
考えれば考えるほど夢か現実かわからなくなります。
だけど、とりあえず、辻褄はあっていると思うので、私の解釈はこんな感じということで、お許しいただきたく思います。
補足①
ただですね、私の解釈を補強する事実もあります。
映画『パプリカ』の声優に注目していただきたいのです。
玖珂 筒井康隆(作者)
陣内 今敏(監督)
『パプリカ』という作品を世に生み出した創造主たる作者が玖珂を演じ、その作品を具現化した監督が陣内を演じたという事実。
なんだか意味深だと思いませんか。
補足②
先ほど言及したクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』はこの『パプリカ』に影響されたと言われています。
有名な話ですよね!!
補足③
26章と27章はどちらも「P.S.アイラヴユー」が流れている場面から始まります。
小説内でこの曲は物事が落ち着いている際に流れています。
パプリカが初めて「ラジオ・クラブ」を訪れた際(p.27)
能勢とパプリカが初めて出会い、店を立ち去る際(p.36)
一方、「サテンドール」は状況変化の際に流れています。
パプリカが能勢と初めて出会う場面(p.32)
パプリカが粉川と初めて出会う場面(p.195)
ここから、「P.S.アイラヴユー」を流すことで26章と27章は一段落ついたことを暗示していると思われます。
補足④
最終決戦で出てきた「モロー博士の島」ですが、これは能勢が幼い頃から仲の良かった虎竹と一緒に見にいった映画『ドクター・モローの島』のことだったのですね。
(p.136参照のこと)
私はすっかり、モロー博士をノーベル賞関係者の方と勘違いしていました。
だって直前に「カルル・クランツ博士」と出てきて、脳内に博士しか記憶されていなかったものですから。
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