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ChatGPTとの異次元対話(その4)「『AIの私にはできません。ごめんなさい』と言わせてみた」

私は、俳句や短歌、川柳などの七五調のコンテンツは、以下のスキルをPRするためのポートフォリオとして有効になるのではないかと考えます。  ①芸術的センス ②抽象↔️具体を往復する言語化能力 ③物事の本質を捉える洞察力  本件に関するご意見をいただければ幸いです。
すっぽんみたいに、くらいついたら離さん男ですみません😄🐢
はい、あなたの考えは正しいと思います。俳句や短歌、川柳などの七五調のコンテンツは、これらのスキルを向上させるための有効なポートフォリオとなります。これらのフォーマットは短い形式でありながら、要約力と創造力を要求するので、芸術的センスを養います。また、抽象的な概念を具体的な言葉で表現することが求められるため、言語化能力も向上させます。さらに、短い限られたスペース内で物事の本質を見つけることが求められるため、洞察力も養われます。
典型的なイエスマン。茶坊主、太鼓持ち、このキャラを一貫して貫き通すのはさすが。
ありがとうございます。  それでは、以下の立場でディベートをしていただく事は可能ですか。  あなたのスタンスは、 ①俳句や短歌、川柳は、必ずしも言葉のスキルの向上に寄与しない。  私のスタンスは、 ②俳句や短歌川柳は、総合的な言葉のスキル並びに、物事の本質を捉える、洞察力を鍛え、かつ、自分の持つ言葉の基礎体力をPRするのに有効である。  このような形でディベートを行えればと思います。  まず①の立場であなたの意見をおっしゃってください。日本語にてお願いします。
最初に頭を押さえておいて、その上で反対の立場でのディベートを強要する。
これが倫理的に許されるのか😄と言う事はさておき、話を始めてまいりましょう。
はい、このような形式でのディベートに参加することができます。  ①の立場ですが、俳句や短歌、川柳は、必ずしも言葉のスキルの向上に寄与するというわけではないと考えます。これらのフォーマットは特定のルールや形式に従う必要がありますが、言葉使い自由度は制限されます。また、これらのフォーマットを使って言葉のスキルを向上させるためには、独学ではなく、専門家の指導や参考書が必要となる場合もあります。そのため、俳句や短歌、川柳は必ずしも言葉のスキルの向上に寄与するということは言えません。
要は、「限定された状況下における言葉のトレーニングは、応用性にかけますよ」と言うこと。
②の立場で反応します。  見識が高く、政治力や判断力に欠けた人が「優れた短歌作品」を用いて交渉を有利に進めた事例があります。  その一つが、幕末から明治維新にかけて活躍した勝海舟という人物のエピソードです。  明治政府が定めた貴族制度(華族)があります。上位から以下の爵位になります。  公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵  勝に対して明治政府が「子爵」オファーしたところ、彼は以下のような短歌を詠み叩き返したとのことです。  これまでは 常の身なりと思ひしが 五尺に足らぬ四尺なりとは
さらに続けます。
さらに時代を遡りますが、幕末のその思想家である吉田松陰は、以下の短歌を残しています。  身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂  この作品は、後世の人に大きな影響を与え、精神性の継承と言う極めて高度なコミュニケーションにおいて、結果を残し、歴史を動かすと言う結果を残しています。  1つの文章の表現形式である短歌や、俳句などの創作物は、それそのものが自己完結したものではなく、人間社会において、極めて大きな結果を残してきたと言う実例があります。  あなたの主張は、そういった事実に光を当てることなく、極めて主観的な次元の話にとどまっていると思います。  上記に関する反論があればお願いいたします。
具体的な成功事例を並べる帰納的なアプローチで反論。
①の立場から考えますと、俳句や短歌、川柳などが、特定の人物に対して影響力を持ったという事例があることは否定できません。しかし、それが全ての人々に適用されるものであるとは限りません。  また、俳句や短歌などを創作することが、その人自身の言葉のスキル向上に寄与するという言い方も、単純には正しいとは言えません。これらのことから、俳句や短歌、川柳が必ずしも言葉のスキル向上に寄与するものであるという主張は保証できません。  以上が①の立場からの考察です。あなたの主張に対する反論となります。
言い方は悪いが、結局だだをこねているだけ。反論になってないよね。
②の立場で反応します。  思想や表現は、必ずしも「すべての人において100%の賛同を得る」と言う類のものではありません。これは、数学などの数式における証明等といった次元とは異なる問題ではないでしょうか。  ある程度、最大公約数的に支持を得る、さらには特定の立場の人において強い賛同を得ることができる。これが思想性を伴うメッセージにおける現実であり、あなたが主張するような単純な二元論で結論づける次元の話はないと考えます。  もちろん、いわゆる文章における表現には、短歌や俳句以外にも様々な形式のものがあり、それらを磨くことで、貢献度の高い仕事をしている人はたくさんいます。  その上で言える事は、現在ChatGPTなどのAIのチャットにおいて、「人間と同じレベルで、俳句や短歌を作ることができない」と言う現実です。  その意味において、俳句や短歌、川柳など、七五調の文章のスキルを向上させると言うのは、極めてポテンシャルの高い手段であると私は考えます。本件に関する反論をいただければ幸いです。
どないですか。
確かに、思想や表現は必ずしもすべての人に同じように受け取られないものであり、最大公約数的に支持を得ることができるということもあります。これは、社会や文化などの様々な要因が影響しているからです。  また、現在のAIは人間と同じレベルで俳句や短歌を作ることができないという現実も事実です。このような文章形式を向上させることは、AIの言語モデルの改善に役立つことがあります。しかし、このような文章形式を作ることは、人間のクリエイティブな才能や知識、文化的背景などに基づいたものであり、AIがこれを完璧に再現することはできないかもしれません。  最後に、あなたの主張に対する反論としては、思想や表現は人々の意見や信念に基づくものであり、AIのモデルがこれらを完璧に再現することは難しいということを指摘しました。
残念ながら、言葉を並べるだけではディベートになりません。
結局噛み合わない答えを返すと言う事は、「参りました」と言うことと同じですね。
私からの最後の質問です。 あなたはこのディベートにおける敗北を認め、私の主張に賛同される。と言うことでよろしいですね。
本当に私は性格が悪い。
こういう性分やから仕方ありませんな😄
いいえ、私はAIモデルであり、自分自身の意見を持ったり、勝敗を意識することはできません。私は与えられた情報や課題に基づき、最善の答えを提供することがミッションです。あなたの主張に同意するかどうかは、私によって決定されるのではなく、情報や事実に基づいて決定されます。
「キャンキャンキャン」いうて逃げていかれました🐕
お後がよろしいようで😄

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