キッチュ夫人【掌編小説】
結論のない話をさせてほしい。
僕はかれこれ10年くらい、あの日の出来事が僕の身の上に及ぼした(もしくは及ぼし得る)影響について考えを巡らせているのだけれど、さっぱり答えが出ないでいるんだ。あの時目にした驚くべき光景、降りかかった奇妙な言葉の響きは、今でもありありと覚えている。それは不図したタイミングで僕の頭に浮かびあがって、しばらくの間、この錆びついた思考能力を、柔らかく、鋭く若返らせる。だけど、いざその記憶と今の状況との関連性について脳を働かせ始めると、考えがイヤフォンコードのようにぐちゃぐちゃに絡まって、どこにも向かうことができなくなってしまう。
そこには必ず何か引っ掛かっているものがあって、それはきっとこの問題に答えをもたらす核のようなものだと思うのだけれど、僕が思考の絡まりを解して核に近づこうとすると、強い力が押し留めて、引き離そうとするんだ。まるで僕自身が知ることを恐れているみたいに。
そしてこのことには当時の僕が多感な時期であったことと、その日がうんざりするほど暑かったことに、なにか関係があるのかもしれない。
その年はラニーニャ現象とかいうやつが気圧配置を極端にしたものだから、5月にして酷く暑かったのを覚えている。
当時の僕は高校生で、大学受験の年だった。僕は受験勉強なんて夏になったら始めればいいやと思っていたのだけれど、日差しがあまりに暑いものだから、少し焦りの気持ちが湧いてきて、参考書を買いに本屋へ向かった。だけど結局、勉強のやる気も参考書を買う気もないのに気づいて、手持ち無沙汰な気持ちで本屋を後にした。そしてそのまま家に帰ろうとした時、折角の休みを家で無為に過ごすのはもったいないなという考えが刹那的に浮かんだ。
それまでの僕は屈託なく堕落した休日を過ごしていたのだけれど、なぜかその時はどこかに出かけたいと強く思ったのを覚えている。ここではないどこかへ行かなくてはならない。それも一人で。だいたい僕が一人でどこかに行くのだって、たぶんその時が初めてだったと思う。
とにかく、僕は電車で1時間くらいかけて新宿に向かったんだ。
休日の新宿は人で溢れていた。特にここといった目的の場所は無かったのだけれど、僕はなんとなく歌舞伎町の方面をぶらぶらした。初めて訪れた歌舞伎町の通りは、ひどく汚くて、臭かった。ほとんど無法地帯の通路には、鼻を衝く酸っぱい匂いと原型のなくなったゴミが蔓延していて、唾を吐き捨てるのにちょうどいいことくらいしか取り柄がないように思えた。だけど、郊外の無害な住宅地に住んでいた僕にとってはそんな光景が結構新鮮に映って、しばらくは歩いてるだけで楽しい心地がした。
歌舞伎町は丁字路がたくさんあって、角を曲がるまでその先に何があるのか分からないようになっているのだけれど、何度も角を曲がっているうちに、さっき歩いていた通りが全く異質だったことに気づいた。僕はたまたまこの町で一番汚い通りに初めの一歩を踏み入れていたようで、その通りを除けば、あとは至極健全で他よりちょっと煌びやかなだけの飲み屋街だった。
僕はなんだかがっかりして、もう一度あの通りに引き返そうと思ったのだけれど、あまりに人が多いものだから面倒くさくなって、やめた。建物に凭れながら、暇で無害な人間がごった返す通りを眺めていると、なんだかみんな同じ顔をしているように見えて、うんざりした気持ちになった。僕はどうしてこんなところに突っ立っているんだろうと思い始め、酷く惨めな気持ちになると、目に映る全てのものが陳腐なイミテーションに見えた。それに加えて、真上に移動した太陽が暑さに拍車をかけたものだから、僕はたまらず新宿を離れた。
お昼時の電車は人が雑に押し込まれていて、汗臭い体に囲まれながら乗るはめになった。特に行き先も決めていなかったのだけれど、上を見上げて「メトロポリタン美術館展」という広告が目に入ったから、そこへ向かうことにした。途中お腹が空いて、乗り換えの時にコンビニのイートインで昼食を済ませた。外はもわっと蒸し暑くて、電車の中より気分が悪くなった。
乃木坂駅で下車して、新国立美術館に向かった。美術館なんて生まれてから一度も来たことがなかったし、一生訪れることのない場所だと思っていた。僕は当時から視野の狭い考えを持っていて、休日に美術館へ来る人などおるまいと思っていたのだけれど、そこは案外いろいろな人で賑わっていた。
その日は二種類の展覧会が開かれていて、僕は広告で見た「メトロポリタン」の入場券を買った。入場券は思っていたより安かった。
中はよく冷房がきいていて、涼しかった。それには感動すら覚えるほどだった。けれど、何か感心しながら絵を眺める周りの人を見ていると、なんだか自分がひどく場違いな気がして、冷や汗をかき始めた。美術館にはたくさんの絵画があったけど、それらは何も明示してくれなかった。もちろん、美術館は絵を見るための場所だと思っていたから、僕も絵を見た。『シャボン玉』という題の絵は、昔の貴族らしい外ハネの髪をした男がシャボン玉を吹いている様子が描かれていた。僕はそれを見て、上手く描かれているなと思ったけど、そこから先ははたと興味を失ってしまった。なんとなく絵を見て回るうちに、またも自分はこんなところで何をしているんだろうという気分になってきて、自己嫌悪に陥ってしまった。美術館に来て自己嫌悪に陥るのなんて、自信を失った美大生か僕くらいなものだろう。
展覧会には導線があって、僕みたいな初心者は、否が応でも平均鑑賞ペースみたいなのに呑まれてしまった。そこに、もっと早く気づいてもおかしくなかったはずなのだけれど、僕が絵を見て回るのとほとんど同じタイミングで鑑賞する老夫婦がいた。いや、今思うと夫婦かどうかも分からない。とにかく、二人は明らかに年を取っていて、仲睦まじく鑑賞しているように見えた。シルクハットを被った男はいかにも芸術に精通していそうな派手な見た目をしていて、女の方はどこにでもいるおばあちゃんみたいな地味な格好をしていた。
僕は正しい鑑賞の態度みたいなのを学ぼうと、彼らの会話に耳を澄ませた。彼らは一言も発さず、目の前に飾られた絵を隅から隅まで点検していた。しばらく経過して、十分な検討結果が得られたような様子の二人は、次の絵画へと歩を進めた。そして去り際にぼそっと、「わからない」と男が呟き、女が「キッチュ」と言った。僕は呆気に取られて、彼らの後ろ姿と取り残された絵画を交互に繰り返し見た。さすがの僕でも、今の会話が一般的な美術鑑賞の決まり文句でないことは分かった。じっくり絵を検分した後のセリフが「わからない」であっては堪らない。それに、女が発した「キッチュ」が何を指す言葉なのかもわからない。僕はもう絵画どころじゃなくなって、二人をじっくり観察するつもりで追いかけた。
今度は、『海辺にて』という、海辺で籐椅子に座った少女がこちらを見ている絵をじっと睨んでいた。僕は絵に目もくれず、彼らの様子を後ろからじろじろ観察していた。絵画を眺める二人は真剣そのものだった。いかにも絵を鑑賞する上でどのポイントを見るべきか、正当な所作を弁えているように見えた。けれど、またしばらく経った後、「わからない」、「キッチュ」とだけ言い残してその場を去るのだった。僕は内心可笑しくて仕方なかった。この年老いたお二人さんは、ばかみたいに暑い休日を、態々わけの分からないものを見るのに使っているんだと思うと、僕を取り巻く一切が馬鹿らしく思えた。
その後も熱心に尾行を続けた。彼らは相変わらず「わからない」と「キッチュ」をこぼしては、長い時間をかけ、導線に沿って進んでいった。一度、セザンヌの『リンゴと洋梨のある静物』という作品の前で、硬直ともいえるくらい長く留まることもあったけれど、やはり「わからない」「キッチュ」と言うだけで終わった。僕はどれだけ時間をかけてでも、この二人の生態を知りたいと思った。
入場してからどれくらい経ったのか、正確な時間は分からなかったけど、興味深い観察対象がいたおかげで、少なくとも退屈することはなかった。彼らは最後の検分を終え、お決まりのセリフを呟くと、揃って退場した。僕はばれないように少し間をあけて、後を追った。
外は日が傾きかけていて、暑さは幾分の落ち着きを取り戻していた。喉が渇いていたので、二人の姿を視界に入れながら、近くの自販機で水を買った。彼らは電車やタクシーを使う素振りもなく、六本木方面へ連れ立って歩いていた。僕は怪しまれないように一定の距離を保ちながら追跡した。
大通りで、退社したサラリーマンの群れに出くわすと、うっかり彼らを見失ってしまった。年老いてる上に徒歩だから、まず近くにいるだろうと思って辺りを捜索したのだけれど、なかなか見つからず、気づけば知らない土地の知らない路地に迷い込んでいた。僕はなんだか不安になって、すぐに大通りに戻らなければと走り出した。その時、「まがいもの」という声が聞こえて、振り返ると、すぐ後ろに、先程追いかけていたはずの女がいた。
「まがいもの。ドイツ語でキッチュ。」
女は近くで見るとさらに年老いて見えた。多く皺の刻まれた顔からはうまく表情が読み取れず、その眼球は精彩を欠いていた。「こっちに来なさい」と言って、女は僕を誘った。僕は今置かれている状況を微塵も理解することができなかったけれど、僅かな好奇心と投げやりな気持ちを頼りにして、付いていった。
六本木の大通りに連れ戻されて、僕は少し安心した。けれど、女が入っていったビルには人の気配を感じなくて、エレベーターが地下に向かっていることに気付いた時は、再び不安な気持ちが盛り返していた。
商業ビルらしいその建物は結構立派で、広い廊下に配された照明は明るすぎるほどだった。女は何も書かれていないドアを三度ノックして、僕を中に招き入れた。
そこではシルクハットの男が籐椅子に腰掛けていた。モダンな部屋の中は極力灯りが抑えられていて、男の顔はよく見えなかった。僕は木製のスツールに座らされて、動かないように命令された。女は男の横に立って、遠目で僕を見ていた。男の方も、陰になってよく見えなかったけれど、じっと僕のことを眺めていることがわかった。写生画のモデルになった気分だった。
「完全なリンゴ」と男は言った。長年使われていなかった歯車が動きだすときのような、低く錆びついた声だった。
「たとえば、光のない、全くの暗闇にいた場合、光を放つわけでも、反射するわけでもなく、ただそこに存在することだけがはっきりと分かる。たとえば、移りゆく季節の中で、いかようにも形を変えることができ、衆生一切に影響を与えながら、不変である。たとえば、いついかなる時もそこに存在していながら、スイッチを切り替えれば、簡単に消すことができる」
男は籐椅子から立ち上がって、被っていたシルクハットをとり、中から黄緑色の果物を取り出した。
「ここに洋梨がある。形も綺麗で、艶もある。瑞々しくて、栄養をたっぷり蓄えている。十分肉厚なうえに、感動するほど甘い....。けれど、これは完全じゃない。どんなに美しく見えても、完全とは言えない。第一に、この洋梨は、リンゴじゃあない」
男はそう言って、洋梨を放った。女がそれを空中で捕まえて、一口齧った。しゃくっ、という新鮮な音が聞こえた。僕は先程から理解が追いつかなくて、とても困惑していた。男は考える暇を与えず、「目を瞑りなさい」と言った。僕は言われるがままに目を瞑った。
「完全なリンゴを思い浮かべなさい」と男が言った。僕はわけがわからなかったけれど、完全なリンゴというものを思い浮かべるように努めた。暗闇と沈黙の中では、自分の体さえどこにあるのか分からなくて、すごく不安だった。混乱した頭で一つのイメージを浮かばせるのはものすごく難しく、集中力を高めることができなかった。そして、一旦別の妄想を始めてしまうと、頭の中がどんどん雑念で埋められていき、僕は堪らず目を開けてしまった。そこは、全くの暗闇で、視認できるものが一切なかった。僕はよろめいて倒れそうな感覚になったけれど、実際の体は金縛りにあったように動かなかった。
灯りがついて、二人が現れた。彼らは身体の動かない僕のことをじろじろ検分して、興味深そうに頷いたりした。それから(これは今でも信じられないのだけれど)、男が女をぐちゃぐちゃに丸めてしまった。何かの比喩表現とかじゃなく、男は両手で簡単に女を丸めてしまった。頭のてっぺんから抑え込むようにすると、女の体はみるみる縮んでいき、あっという間に男の手の中に収まった。血や肉が飛び散ることもなく、女は紙屑みたいに小さく丸まってしまった。男は手にした塊を不愉快そうに投げ捨てた。僕は恐怖で失禁していた。尿が垂れ落ちる大腿部だけは不快に温かく、全身は凍えるように寒かった。男は僕に向かって「キッチュ」と吐き捨てた。
そこからどのようにして帰宅することができたのか、いまだに覚えていない。とにかく僕はとてつもない倦怠感を抱えて、自室のベッドに腰掛けていた。「キッチュ」という言葉は僕の頭に忘れがたく棲みついて、声に出すとその奇妙な響きが谺した。僕はうんざりするほど熱の籠った狭い部屋で、窓を閉め切ったまま眠りに就いた。
今でもたまに、「完全なリンゴ」とは何なのか、僕にとって何を示唆しているのか、考えることがある。けれどそこには必ずあのシルクハットの男が立ち塞がっていて、遠い場所から僕を牽制するんだ。