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だて男は今日も予防線を張り巡らす【人間観察】
転ばぬ先の杖に従って、何事も用心するに越したことはないのだが、奴の場合、用心に用心を重ねるあまり、屋上屋を架す有様で済むならともかく、全く趣の異なる土俵で槍玉に挙げられるのだから慰みきれない。残念なことに、中学までは愛嬌、ともすれば高尚な洒落と解釈されたやもしれぬ奴の念入りな性向も、高校より上がった社会では通らない。加えて、奴は不運にも内申点が高かったとかで、地元では名の知れた進学校に入ってしまったものだから、愈々以て奇怪の風体を狭い世間に晒すことになる。
奴がこの世で最も恐れるものは他人の嘲弄であり、己に降りかかる言葉を悉く曲解しては予防線を張り巡らす。あまりに気を遣うものだから、己の過失のみならず、賞賛に値する偉業に対しても何かしらの言い訳を用意しているのが愚の頂で、どんな瑣事にも、だって__の言い訳を聞かす懸命さに、級友は「だて男」なる皮肉な渾名を拵えた。
奴がその比類なき強情舌(ゴッドタン)を知らしめたのは、入学後しばらくの、応援団員を決める場であった。各クラス二人の男子生徒を選出する必要があるのだが、誰一人として立候補する者はいない。自然の数で、じゃん拳を正義とする流れが生まれる。ここは恨みっこなしと、男気ルールでぽんと出せば、己がグーで勝ったのをいち早く察知して、奴は握った拳をぐにゅっと曖昧な形に綻ばせた。グーで勝ち残ってしまった者の一人に、奴の不審な動きを指摘する者がいた。非難の眼差しで睨まれると、奴はお得意の口八丁で初めからチョキを出していた事実にすり替える。あまりに必死な口振りに、一同納得の兆しを見せ、口論は鎮まったかに見えた。しかし、奴の本当にすごいのはここからで、わかったわかった、疑われる俺も悪いからと、仕方なく次の勝負に参加する心意気を見せ、あたかも駄々を捏ねた級友に大人の対応で場を収めた様な具合に仕立て上げたのである。これには周りも盛り上がり、まんまと奴に乗せられてしまう。
二回戦。ぽんと出した手は、奴ともう一人のパーを除いて、すべてグーが出された。奴はこれでチャラねと、先程の貯金を即座に引き出して流そうとする。男気ないぞ、と野次が飛べば、気の弱そうな男子を指して、パーから変えただろうといちゃもんをつける。完全に場は白けたが、どうにかもう一戦やることになる。続く三回戦。ぽんと出した手は、奴のグーで一人勝ちだった。流石の名手をもってしても、この修羅場を抜け出すのは不可能と見えて、奴は不承不承入団を受け入れる。
公正に選出し終えたように思われた数日後、応援団員が別の生徒に変わったことが告げられる。級友らが訳を聞きにくる前に、奴は己の喉が生まれつき弱いため、善意の生徒に代わってもらったことを言い触らしていた。
しかし事実は異なり、奴は、押せば折れそうな男子生徒をつらまえ、本当にやりたくない、だって大きな声が出ないんだもの、だって本来ならば一回戦で抜けていたはずだったんだものと強引に説得して代わってもらったのである。とても善意から来た情けとは言えない。このことは男子生徒を通じて影の内に広まった。
こうしてここに、学校一のだて男が生まれたのである。
さてこのだて男、せっせとその「だて」を磨いた甲斐あってか、三年時にして一人の女子生徒に告白される事案が生ずる。奴に色恋の経験はない。無論大いに戸惑いを見せたが、ひとまず返事を留保する及第点の対応をみせ、ことなきを得る。噂を嫌うだて男にとって、告白の返事にまごつく姿を見られるのが何よりも恐怖だったのである。
奴は一晩考え抜き、断ることを決心する。この決心の内には、女に不慣れな己の振る舞いを級友に興がられる辱めから回避するためという、極めて消極的な理由が込められていた。奴にとっては、男女の甘い関係よりも、それを見られる苦痛の方が大きく上回るのであった。ただでさえ針の筵に座る思いで学校生活を過ごしているのに、そのうえ得体の知れない衆目の的となれば、とても教室に顔を出すことなどできない。奴は女子生徒の気持ちを推し量ることすらせず、己の小心翼々とした被害妄想を優先して、ノーを出すことに決めてしまったのである。
しかしここで、奴の心に奇妙な欲求が浮かび上がる。このまま告白を断り、万事がすげなく終わってしまうのは、どこか物足りないような心地がしてきたのだ。折角告白されたのに全く話題にならないというのは、それはそれで寂しい気がする。そこで奴は、留保の期間を延長し、己の周りを尾ける者の気配や不審な噂が飛び交っていないか、入念に気を張って調査した。
勘繰り回った結果、告白の事実が毫も知られていないことが分かると、奴はすかさず女の影を匂わせるようなツイートを連投する。これには数人が反応し、追及の文を送ったが、奴はここぞとばかりに芝居気と含みたっぷりの返事を返すのである。さらに、普段は娯楽関連のツイートにしかいいねを押さぬくせに、突然恋愛ものの投稿に反応し始めたものだから、痺れを切らした級友はとうとう直接の尋問をする。それでも素っ気ない態度を貫く奴の心内は、まるで囲まれ取材を受ける芸能人となったような、有頂天そのものである。
思わぬ快楽を覚えた奴の投稿は次第に過激さを増し、いつしか例の女子生徒を中傷する内容に変容していった。奴の極端な照れ隠しと保身の念が、理不尽な敵愾心を暴発させたのである。
十分に気を配っていたつもりであったが、噂に戸は立てられず、中傷の内容が女子生徒の耳朶に触れる。女子生徒は事情を知らない奴を呼び出し、最低の二文字を以て見事に振ってしまう。
ひとり取り残された学校一のだて男は、誰に向けて言うでもなく、最初から付き合うつもりなかったし、とこぼすのである。