フィードバックは家庭料理のごとく
エンジニアという仕事は、ありがたいことに30を過ぎてもフィードバックをもらうことができる仕事だ。
私はグータラだが成長意欲はある方だ。辛い努力をしたいわけではないが、純粋に成長するのは面白い。人生最後の日にも新しいことを学んで死にたいと思っている。
「もっとこうした方が良い」というのを教えてもらえるのは大変嬉しいものだ。
ただ、このフィードバックというやつはなかなか厄介だ。大抵の場合、上司はフィードバックの専門家ではない。臨床心理士やコーチングの会社で働いているのでない限り、独学でやっていることがほとんどだ。仕事である以上プロフェッショナルではあるが、専門家ではないのだ。
これによく似た構造のものがある。そう、親が子に作る家庭料理だ。
家庭料理というのは、親が料理人でない限り素人料理だ。独学でやっていることがほとんどだ。
どちらにも言えることとして、まず大切なのは感謝だ。
成長を願って、忙しい中作ってくれたもののはずだ。
まずは「いただきます」の一言と、向き合うことが大切だ。
次に大切なのは、食べられるものを、食べられる量だけ食べることだ。
家庭料理には愛情がこもっている。こもりすぎて、苦手な食材を無理やり食べさせられるイベントが発生しがちだ。「あれもこれも食べさせたい」となった結果、量を作り過ぎてしまっていることもある。勇気を出して新しい料理を振る舞った結果、失敗してコゲてしまったものが出ることもあるだろう。
愛情というやつの難しいところだ。
大体の好き嫌いというやつは「無理やり食べさせられた」から始まる。「なんでも食べられる子に育ってほしい」と願った結果、子供の舌にはキツいピーマンやトマトを無理やり食べさせて、かえって子供を偏食にしてしまうものだ。
(ちなみに、私は苦手なものは無理には食わされずに育ったため、今ではトマトもピーマンも大好きだ)
最後に大切なのは、残す時はこっそり残せ、ということだろう。
親も上司も人間だ。「自分が頑張って作ったもの」を否定されるのは嫌に決まっている。
食べられないものが出されても、最大限相手に敬意を払った振る舞いをすべきだ。毎食毎食出てくるのでなければ、「残したことがわからない」ようにするのが良いかもしれない。
間違えても、「こんなもの食えねえよ!」と、唾を吐きかけるような態度はとってはならない。
フィードバックと家庭料理の違うところは、受け取る我々がもうオトナだということだろうか。
感謝していただき、しかし、自分で見極める責任がある。
なんというか、そういうことなのかもしれない。