【全文公開】講演・伝統仏教を学ぶ(2016年)
2016年9月17日、青山善光寺における講演
『慈母』(公益財団法人全日本仏教尼僧法団)15号に掲載
2021年4月補綴
要旨
現在、私たちが仏教に対してもっているイメージは、それ自体、歴史的に形作られたものではありますが、仏教が本来持っている可能性の、ごくごく一部分でしかありません。自分が外国に行くことなど考えられない前近代、善光寺如来が日本中で広く信仰されたのは、それがインド・百済・日本へと伝わった、三国伝来の仏様であるという理由でした(善光寺縁起)。仏教はこういうものだという固定観念が、私たちが仏教の広大さに気づくことを阻んでしまっているのです。伝統的な仏教のあり方に光をあてることで、仏教の広大な可能性を知ることができます。
仏教はそれぞれに合ったかたちの道を歩む
今日は「伝統仏教を学ぶ」というちょっと変わったタイトルです。
では、伝統でない仏教があるのか、という話になるわけですが、わざわざこういう言い方をしたのには、理由があります。
皆さんご存じのとおり、日本の仏教は、同じ仏教とはいっても、宗派によってやっていることがかなり違います。ある宗派では南無阿弥陀仏をお唱えしていて、ある宗派では南無妙法蓮華経ですし、ある宗派では坐禅を、ある宗派では密教をやっている。ご本尊も阿弥陀さまだったり、お釈迦さまだったり、大日如来だったりします。
これは仏教の伝統的な特色ですけれども、対機説法(たいきせっぽう)と言うのですが、お釈迦さまは一律に「これが仏教の教義です、あなたたちはこれを信じなさい」というかたちで教えを説かれたのではなくて、その人その人に合わせて教えを説かれました。
Aさんには、「あなたはこういうふうにしなさい」、Bさんには、「あなたはこのことについて考えてみなさい」と、その人その人に合わせて、一番いいやり方で教えを説かれました。
仏教というのは、西洋の一神教のような、神さまや、そのお言葉を信じる宗教ではなくて、それぞれに合ったかたちの道を歩むという特色があります。
伝統的には、医学にとても似ているといわれていて、お釈迦さまの敬称の一つに「医王」、お医者さまの王様というのがあるくらいです。
例えば、富士山に登るときには、静岡県側から登る人もいれば、山梨県側から登る人もいて、一見、スタート地点も、目指すところも、全然別々のように見えるわけですけれども、登って山頂に着くと、ああ、同じ所にたどり着くんだ、ということがわかる、それが仏教という教えです。
仏教では、仏・法・僧の三宝に帰依(きえ)をすると言います。
なぜ仏さまと、仏さまのさとられた真理・教えと、それからお坊さまにも帰依をするのかというと、いくら一つの道を信じるのではないといっても、自分が登ったことのない山だったら、一人で勝手に登って行ったら、どこかで遭難してしまいますよね。だからガイドが必要なのです。ちゃんとこの道は山頂に続いているということを知っているガイドに頼らなければ、私たちは山頂までたどり着けない。だからその道を分かっているお坊さまも、帰依の対象となります。
表面的に見ると、日本のなかでも宗派宗派でかなり内容が違いますし、中国の仏教、韓国の仏教、ベトナムの仏教、タイやスリランカの仏教、それからチベットの仏教、ブータンの仏教と色々とあり、お国柄も伝統も違います。
けれども、それは同じ山頂にたどり着くための、それぞれの出発点からの道です。
「さとり」とは自分がこうだと思っていたものではないことがわかること
本当は、山に登るのであれば、自分の道をもくもくと登ればいいのです。ガイドのお坊さまのアドバイスに従って歩めば、ちゃんと山頂に着くわけで、別に他の道がどうなっているかとか、そういうことは気にしなくても大丈夫だったのです。
ところが、今、社会というものが急速に変わってきています。特に地方はどんどん若い人が都会に出て行って、人口が減ってしまう。そうすると残ったお年寄りだけでは、とてもお寺が維持できない。じゃあお墓はどうするのかとか、 あるいはうちの子どもたちは、自分が死んだらちゃんとお弔いをやってくれるんだろうか、お墓を守ってくれるんだろうか、そういうことが心配の種になってきます。
本来は、この先祖供養というのは、日本人に合った道の登り方だったのです。自分が死んでも子孫がそうやってずっと祀りを絶やさないでくれる、だから私は安心してあの世に行けるのだというものだったのが、逆に今、心配の種になってしまっているわけですね。
そういう状況で、もう一度、自分が考えている「仏教というのはこういうものだ」という思いこみから離れて、少し広く「仏教というのは、どういう山をどうやって登っていくのだろう、どういう道があるのだろう」、そういうことを学ぶのは、これからのことを考えるときに、参考になるかもしれない。
それが、今日の、「伝統仏教を学ぶ」という、ちょっと変わったタイトルの理由です。
特に重要なのは、仏教では「さとり」ということを言うのですけれど、皆さんの中には、仏教に非常に熱心で、「たくさん仏教の本を読みました、仏教というのはこういう教えです」というふうに勉強されている方もいらっしゃるかもしれません。
でも一言でいうと、自分がこうだと思っていたものではないということがわかる、それが「さとり」というものなのですね。
これは私が勝手に言っているわけではなくて、鎌倉時代の曹洞宗を開かれた道元禅師という方が、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』というご本の中でおっしゃっていることです。あらかじめ「さとり」というものはこういうものだと思っていたものではないことがわかるというのが「さとり」というものなのだ。
だから、はっとわかるというので「さとり」と言うわけです。
ですから、「仏教とはこういうものだ」、 例えば「うちは浄土宗である」、「浄土真宗である」、「南無阿弥陀仏である」、「坐禅などというのはおかしいんだ」とか、そういう思いこみから離れることが重要です。
皆さん、色々な願い事を持ってお寺にお参りされると思います。
若い方だったら「いい就職がありますように」とか、「いい結婚ができますように」とか、あるいは「病気が治りますように」とか、「私は余命半年なんですけれども、どうか生き延びさせて下さい」とか、色々なお願いがあるのだと思います。
ただ、もし仏さまが、「そうか、長生きしたい、死にたくないわけね、いいよ、願いをかなえてあげよう」というふうに言えるのだったら、誰も死なないはずなんですよね。
もちろん、一時的によくなるということはあっても、お願いし続ければ、一年、十年、百年、千年と生きられるかというと、当然そうではありません。
じゃあ、仏さまにお祈りするというのは意味がないのか、これは迷信なのか。そうではないです。
さきほど言いましたように、「さとり」というのは、自分が思い込んでいたものがそうではない、と 気づくことです。
仏教の教えの特色は、いきなり仏陀のさとりと同じまでには行かなくても、自分がこうだと思い込んでいたものから解放されることなんですね。そうすると、問題そのものはなくならないとしても、その問題がどんどんちっぽけなものになっていきます。
皆さん、悩み事を抱えられているとき、そのことが気になってしょうがなくなって、どんどんそれが大きくなって、不安で眠れなくなったりする、という経験はおありだと思います。
「大変だ、これがなければ生きていけない」とか、若い人だったら、「この人と一緒になれなければ私は死にます」とか。
私の知り合いでも、そういう人がいたのですが、二年ぐらいたったら「素敵な彼氏がみつかって私は今幸せ」とか言っているわけで すね(笑)。あの昔の彼氏はどうなったのだと思うのですが。
つまり、こうだという思いこみ が、実は私たちを不幸にする。仏教ではそれを 「我執」(がしゅう)と言います。それは単に我が儘な人とか、そういうことではありません。
極端なことを言えば、仏さまに祈れば癌が消えてなくなるわけではなくて、癌が苦にならなくなる。どんどんそれが苦にならなくなって、ちっぽけなものになっていく。そしてもっと大きな幸せがあるのが見えてくる。それが仏教という教えの特色です。
偉そうなことを言っていますが、私ももちろん、ちっぽけなものの見方をしています。仏教を学ぶというのは、「ああ、自分は何も分かっていなかった」と反省することの連続です。
話の導入部は、私個人の「ああ、知らなかった」という体験から始めさせていただきたいと思います。
念仏講のこと
私の母方の祖父は、出身地とは別なところで晩年を迎えました。
私は知らなかったのですが、 お葬式の時に行ったら、その土地では、大きなお数珠をみんなで集まって回して、南無阿弥陀仏をお唱えする、念仏講というものが当時まだ盛んで、 祖父もそれに入っていたんですね。
お通夜とかお葬式の時に、檀那寺のご住職がお経をあげては下さるんですけれども、お葬式の段取りから、 納骨から、全部仕切っているのはその念仏講の仲間の人たちでした。
昔は土葬だったらしいのですけれど、その頃は、掘って埋めるところまで、 全部念仏講の人がやっていたようです。
メンバーの中からある方がお浄土に行くと、「次は私だ」「後は任せた」というかたちで、念仏講の仲間がたがいに看取りや見送りをする地域だったのです。
私は全然知らなかったので、念仏講というのがまだあるんだと思って、ご詠歌の手書きの本を見せていただきました。
そうすると、いわゆる追善、本来は初七日が最初で、一週間おきに行なって、二七日、三七日、最後は七七=四十九日までやるというのが、仏教の正式なものですけれども、その追善のご詠歌というのがあるんですね。
地域は房総半島なんですけれども、亡くなってから七日目に浅間山を越える。関東地方から外に行くんですね。 そして三七日、二十一日目になると「あれに見えるはどこの寺、あれは我らが師匠の寺、死出の後の身の在所」とお寺にたどりつく。
その地域では、もうお坊さんの指導というのはなくて、 地域地域で寄り合いのようなかたちで念仏講が行なわれていたんですけれども、おそらくこれは長野の善光寺さんのことだと思います。
そして四十九日には、そこから阿弥陀さまに手を引かれて極楽浄土に向かう。
私は全然そういうことを知らなかったのですが、念仏講の人たちが、誰かが亡くなる度に、一緒にお唱えして見送っているという、とてもいいご縁、いい土地で最後を迎えることができたと思いました。
長野善光寺の阿弥陀さま:三国伝来
ここも青山善光寺で、今、ご本尊を拝むことができますが、善光寺の阿弥陀さまというのは、日本全国で深い信仰を集めていました。全国チェーンというか、確か善光寺会という組織があったと思いますが、日本全国に善光寺というお寺があります。
それはなぜなのかというと、実は長野の善光寺のご本尊、秘仏で決して人は見ることはできないといわれているものですが、 それは三国伝来の仏さまとされてきたものです。
善光寺の縁起によると、お釈迦さまの時代に、インドの長者が黄金で仏像をつくった、それも阿弥陀さまとまったく同じお姿の仏像ができたそうです。
それが朝鮮半島にあった百済(くだら)という 国に渡って、そこからその阿弥陀さまご自身が日本に行きたいと言われて、日本に来られた。
さらに大阪湾から背中に背負われて旅をされて、 今の長野の善光寺のところにお祀りされるようになった、そういう信仰がありました。
今の私たちは、知識としては、中国の仏教がある。韓国の仏教、タイの仏教、チベットの仏教がある。そういうことは知っていても、あまり仏教について、国際的なものだという印象はありませ ん。伝統的なものというイメージがあるわけですが、実際には外国に行くことなんて考えられなかった明治以前の人たちの方が、はるかに仏教の国際性、仏教の広がりを認識していました。
今は、もしインドに行きたいと思ったら、サラリーマンの人は厳しいかもしれませんが、リタイアした後だとか、仲のいいお友達とツアーなどで行くことは、決して不可能なことではありません。
けれども、むしろ昔の人の方が、阿弥陀さま自身が極楽世界の仏さまですから、日本人ではないし、韓国人でも、インド人でもないし、そもそも地球人でもない。そういう非常に広い、広がりのあるものとして、仏教というものを信仰していました。
日本中、たくさんお寺があって、たくさん仏像があるのに、なぜ善光寺の阿弥陀さまが特別なのかというと、この阿弥陀さまはそうやってインドから朝鮮半島を経て日本に伝わった、そういう由緒を持つ仏さまだ、そういうことだったわけです。
迷いとさとり
「さとり」というのは、私たちがあらかじめこういうものが「さとり」だと思っているものではないことがわかる、それが「さとり」なんだとおっしゃったのは、 鎌倉時代の道元禅師です。
その道元禅師は、「迷い」と「さとり」の関係について、非常に明快な喩えで、お話しされています。『正法眼蔵』の現成公案(げんじょうこうあん)という有名な巻です。
私たちのものの見方というのは、ちょうど舟に乗って岸から離れて行くときに、私たちの目で見ると、岸の方がどんどん動いていっているように見えるようなものだと。
例えば子どもは電車やバスに乗ると、嬉しがって外を見る。なぜかというと、外の景色がびゅんびゅん行くから、窓にかじりついて、一所懸命見るわけです。でも大人はそんなに興味を持ちません。別に外が動いているのではないと分かっているからです。
「迷い」と「さとり」もそういうものなんだと、道元禅師は喩えられています。つまり、迷っている人というのは、自分の目に映っているとおり、岸が動いていると思い込んでいる。「さとり」というのは、そうではないと気がつくこと。
そうすると、海の広さというものも見えてくる。 遥か沖を見渡すと、広大な海があって、水平線が少し丸く見えるわけですけれども、それだって、まだ自分のものの見え方であって、海というものの広さは、丸でも四角でもない。それが分かるのが「さとり」だと、そのように道元禅師はおっしゃっています。これが仏教というものの性格です。
台湾でのチベット仏教体験
つい数日前まで、私は台湾に行っていました。
日本以外でも、阿弥陀仏信仰は非常に盛んです。 中国人の発音だと、阿弥陀仏というのは「アミタフォ」というふうに言うのですが、ほとんど挨拶の言葉になっていて、仏教徒同士が顔を合わせると、 「アミタフォ」「アミタフォ」と、「こんにちは」 みたいな感じで阿弥陀仏と言っている、それぐらい盛んです。
その台湾に、チベット仏教の高僧がいらっしゃって、チベット仏教というのは密教系の宗教なので、南無阿弥陀仏ではなく、阿弥陀仏の真言をお唱えするのですが、それをみんなでやるという集まりがあって、 いい機会なので、行ってきました。
その時の法要の写真を資料に入れてあります が、これは極楽浄土図で、正面が阿弥陀さまで、両脇に観音菩薩と勢至菩薩がいらっしゃって、前に蓮池があるという極楽図。「タンカ」というんですけれども、チベット式の仏画です。その前にお立ちになっている仏像は、中国式の阿弥陀さまです。
それが公会堂のようなホールで行われて、二階席までびっしりいっぱい、千人くらいの方が来られて、毎日毎日ひたすら阿弥陀仏の真言をみんなでお唱えするという法要でした(写真提供・ⒸGarchen Dharma Institute, Taiwan)。
その最終日に、亡くなった方の供養や病気の方の加持をするというので、予め希望者はお札のようなものに、亡くなった方や病気の方の名前を書いて出していました。
千人くらいの人が来て、自分の家族とか友だちとか、自分のご先祖さまとか、一人で何枚も出す方もいるので、毎日毎日、壁にそれがばーっと張り出されました。
最終日に、それが全部、法要をなさっている高僧の前にずらっとホールいっぱいに並べられて、瞑想をされる。
まず、一つ一つのお名前 が、膨大な数なんですけれども、亡くなった方だったら、生前のお姿に変わる。
中には餓鬼道に落ちている方もいらっしゃるかもしれない。そうすると、食べ物、飲み物がなくて苦しんでいるわけですね。まずはそういう人たちのために、食べ物を差し上げます。
それから浄水で加持をして、浄化をして、チベットは密教の教えなので、灌頂(かんじょう)という、仏さまとご縁を結ぶ儀式をやります。
最後にチベット語で「ポワ」という、これは昔、 日本の団体が人を殺したとか色々な事件があったのを覚えていらっしゃるかたもいるかもしれませんが、もちろん、人を殺すことではなくて、日本仏教でいう引導です。
引導は、宗派によってやるところとやらないところがありますが、この世から離れて仏さまのところに送ることです。それは亡くなった方をお送りするので、お送りするために人を殺すことではもちろんありません。
中心になっているのはチベットの高僧なのですが、その間、毎日毎日みんなも阿弥陀さまの真言をお唱えしていて、唱えたことの功徳によって、亡くなった方が苦しみから解放されますように、あるいは病気の方が癒されますようにと祈る、そういう法要でした。
台湾ではチベット系の仏教も盛んですけれども、そこに集まった人たちは多分、私はチベット仏教徒だという意識で来られていたのではないと思います。先ほども言いましたように、 そもそも阿弥陀さま自身が中国人でもないし、チベット人でもないし、日本人でもないわけです。
偉いお坊さんが来て、そういう法要をやるのだから、普段は中国のお寺にお参りしている人たちも、いい機会だというのでそこに参加して、一緒に真言を唱える。
自分の家族や自分の周りの病気の人、亡くなった人だけではなくて、そこでご縁を結んだ全ての方のために一緒に祈るという、そういう法要でした。
最初にお話ししましたように、日本では先祖供養、子孫がずっとお祀りを絶やさないというやり方で来たわけですけれども、過疎や少子化でどんどん社会が変わっています。
その反動で、例えば都会だと、永代供養墓で一回お金を払ったらそれきりで大丈夫です、みたいなものがあるわけですが、じゃあその後はどうなってしまうんだろう。
そういうことを考えると、こういうふうに別に家族とは限らなくて、同じ阿弥陀さまを信じる人が大勢集まって、亡くなった方を見送るというのはとてもいいことではないかなと思いました。
そういえば昔、私の母方の祖父が亡くなった時も、規模は全然違いますけれども、念仏講の仲間たちが見送ってくれたことを思い出し、別に子孫でなければお祈りできないというものでもないんだ、こういうかたちがあってもいいのだと思いました。
仏教はものの見方を広くしますと言っていても、私自身、ものの見方が狭いわけで、仏教とはこういうものだという思いこみがあったわけです。そういうものに接して、ああ、こういうかたちの信仰もあるんだ、こういうかたちもいいかもしれないと感じた、それをまずご紹介しました。
玄奘三蔵と日本の仏教
そのように、中国にもチベットにも、もちろん日本にも、阿弥陀さまに対する信仰があります。中国と日本とチベットの仏教というのは、実は世界のさまざまな仏教の伝統の中でも、非常に近い関係にあるものです。
孫悟空のお話がありますね。孫悟空が三蔵法師のお供をして天竺にお経をとりにいくという、『西遊記』 という物語です。
日本では、テレビドラマになったりして、子どもの時に見たという方もいらっしゃるかもしれません。
非常に有名なお話なんですけれども、あれ自体はもちろんフィク ションです。でもモデルになっているものがあります。
唐の時代、玄奘三蔵という高僧が、当時の中国、唐の国から、シルクロードを通って、インドにいらっしゃいました。まだインドに仏教があった時代で、ナーランダー僧院という非常に大きなお寺があって、そこに留学されたんですね。
そのお寺は、イスラーム教徒が入ってきたときに焼き討ちされてしまって、今は残念なことに廃墟になっているんですけれども、そこは大乗仏教の拠点だった所で、一般の信者さんがお参りするお寺ではなくて、お坊さまたちが学問をするお寺でした。
伝統的な考えでは、仏教というものは医学的な発想の教えですから、お坊さまは単に頭を剃っていればいいとか、お経を唱えることができればいいということではなくて、お坊さまたちが、在家の信者さん一人一人を導いていかなければいけない。
そのためには、お医者さんに医学的な知識が必要であるように、仏教について、仏教というのはどういうふうにして人々の苦しみを解放するものなのか、こういう悩みの人にはこの教えが役に立つ、どうやったら苦しみを断ち切ることができるのかとか、その苦しみをつくり出す心のメカニズム、心理学みたいなものまで勉強して、一人前になっていく。
そういうお坊さまたちの育成所がこのナーランダー僧院で、玄奘三蔵はそこで学ばれて、お坊さまの育成システムを中国に持ち帰られました。
驚くことに、日本から留学したお坊さまで、 直接この玄奘三蔵に弟子入りして教えを受けた方がいらっしゃいました。その方が日本に戻られて、法相宗(ほっそうしゅう)、奈良の興福寺などに伝わっている宗派ですけれども、そこの祖となられました。三蔵法師のモデルである玄奘三蔵に直接教えを受けて、その教えを日本にもたらした方がいらっしゃったわけです。
ですから、 中国人が阿弥陀仏と言うと「アミタフォ」になるように、発音はちょっと違いますけれども、 日本では中国語訳された漢文のお経をお唱えしているわけです。
その同じナーランダー僧院のお坊さん育成法が、ヒマラヤを越えて、チベットにも伝わっています。
中国で盛んに翻訳された時期とチベットで盛んな時期と少しずれがあって、チベットの方が後なのですが、ナーランダー僧院が焼き討ちをされて破壊されてしまった時に、生き延びたお坊さまたちがヒマラヤを越えてチベットに逃げ込んで、その育成システムが今でもチベットのお寺に伝わっています。
ですから、言葉は違うかも知れないけれども、 かつての日本と中国とチベットのお坊さまたちというのは、同じ育成システムで、つまり予備校の関西教室と東京教室みたいなもので、場所と言葉は違うかも知れないけれども、同じ勉強をして育っていたのです。
ですから、阿弥陀さまのお姿がそれぞれ、中国風、日本風、チベット風で違ったり、お寺の飾りが少し違うとか、表面的な違いはありますけれども、基本的な考えは共通しています。
だから中国の人たちは、中国のお寺の阿弥陀さまにも手を合わせますし、チベットの高僧が来たといったら、じゃあいい機会だというのでその法要にも出る。そういうかたちで仏教に接しているわけです。
弘法大師空海と十住心
中国とチベットで翻訳が盛んだった時期に多少ずれがあると言いましたけれども、日本の真言宗の弘法大師空海が中国に渡られた際に、ご本人はインドには行かれていないんですけれども、まだインドに仏教があった時代で、中国で、インドからやってきたお坊さまとか、ヒンドゥー教のバラモンにお会いになられています。
古代チベット王国の時代、日本の律令国家のように、国家の方針として仏教を導入しようとした時期が、それと丁度同じなのです。チベットに最初に伝わった頃の仏教と、弘法大師が中国で学ばれた仏教は、全く同じです。
ですので、もしチベットのお坊さまと弘法大師がどこかでお会いになったら、弘法大師は天才ですからサンスクリット、インドの言葉が読めるので、それでコミュニケーションをとれば、同じ勉強をしてきたんだなということがわかったことでしょう。
そういう、深い深いご縁があって、単に仏教徒だから仲良くしましょうということではなくて、中国の信者のかたがチベットの高僧の法要に出ても何の違和感もない、それが仏教の広がりというものです。
日本では、ある宗派では坐禅、ある宗派では南無阿弥陀仏、ある宗派では南無妙法蓮華経など、いってみれば専門化しているわけですね。 専門店のようなもので、うちは日本蕎麦ひとすじですとか、うちはラーメンに命をかけています、という具合になっています。
でも、当時の弘法大師が学ばれた、また、チベットに伝わった教えというのは、仏教というのは一律ではなくて、それぞれの人に合わせた教えだから、それを易しい教えから難しい教えに並べていって、順を追って学んでいくというものでした。
弘法大師空海の主著に『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』というものがあり、これは仏教の様々な教えを段階的に述べたものです。
東南アジアに伝わるテーラワーダといわれる教えと共通している、お坊さんたちが阿含(あごん)経典というものを信じて、戒律を守って生きていく、そういう教え。
それから玄奘三蔵がインドで学ばれた、日本のお坊さまも直接玄奘三蔵のもとに留学して学んで、日本に持ち帰った、唯識(ゆいしき)という教え。
それからナーガールジュナ、龍樹(りゅうじゅ)という方が説かれた中観(ちゅうがん)。これ は「色即是空、空即是色」という、般若心経で説かれている境地についての教えです。
それから法華経の教えや、華厳経の教え。
奈良にある東大寺の大仏はなぜ大きいかという と、華厳経というお経にもとづいているからなんですね。
それはお釈迦さまがさとりを開かれたあと、教えを説かれる前の教えという、ちょっと変わった教えです。
お釈迦さまはさとりを開かれて、すぐには教えを説かれなかったんです。しばらくさとりの境地を味わわれていました。
先ほど、 私がこうだと思い込んでいる、私の見方が私たちを不幸にする、それが仏教の考えだと言いました。
ですから苦しみから完全に解放されたお釈迦さまは、ものすごくスケールが大きくなられたわけです。「私から見て広い世界が見える」のではなく、「私が見ている世界」という見方からも解放されているわけです。
そうすると、見ている私と見えている世界に何の違いもない。それがさとりの境地で、それを華厳経では、外に仏さまの世界が広がっているのではなくて、仏さまの毛穴一つ一つの中に仏さまの世界が広がっている、と表現しています。私たちのものの見方とは全然違う存在なんだ、それを宇宙大の仏さまで表現しているのが東大寺の大仏なのです。
たしかに大きいが宇宙大ではないだろうと思われるかもしれませんが(笑)、それは技術的な限界 で、当時の技術で可能な限り大きい仏さまをつ くって、難しい理屈ではなくて、見ただけでそのさとりのスケールの大きさが分かるようにしたのです。
華厳経というのは、さとりを開かれた後、教えを説かれる前の教え。いってみれば、仏さまの内的な体験のお経です。
もしたまたま、 お釈迦さまがさとりを開かれたときに、そのあたりの村人などが通りかかったら、菩提樹の木陰でおじさんが瞑想しているようにしか見えなかったかもしれません。
でも仏さまの内面では、「私」 のものの見方から完全に解放された境地が体験されていた。それを描いているのが華厳経というお経です。
ところがそこで、さてどうしようという問題が生じてきます。自分が今こうやって体験した苦しみからの解放の境地、そこにどうやって人々を導こうか、という問題です。
人々は皆、苦しみから解放されることを望んでいます。それを望まない人は誰もいません。動物だってそうです。
では、お釈迦さまが、自分が体験したことをそのまま説けばいいのか。
それは無理だろう。
何故かというと、彼らが考えている幸せというのは「私はお金が欲しい」とか、「私の家族が幸せになりますように」とか、「私の病気を治してほしい」。「私」の思いを叶えてほしいと思っているわけですね。
でもお釈迦さまがさとられた苦しみからの解放の境地は、「私」 という思いから解放されることですから、他の人々がこれが幸せだと思っていることと、お釈迦さまがさとられたものとは違うわけです。
ですからお釈迦さまはその時、「これを説いても皆理解できないし、また喜ばないだろうから、教えを説くのはやめておこう」とお考えになったといわれています。
お釈迦さまの伝記によると、その時にインドのブラーフマー、中国では梵天(ぼんてん)と訳しますけれども、そういう神さまが現われて、「いや、人々のためにどうか教えを説いて下さい」とお願いをしたので、お釈迦さまは考え直して、教えが説かれることになった、仏伝にはそう記されています。
しかし、お釈迦さまのさとられたものは人々には 理解できないし、それが幸せだ、それが苦しみからの解放だということも理解できないから、 お釈迦さまは一番最初にお話したように、「これが仏教のさとりです、あなたたちはこれを信じなさい」ではなくて、その人その人の理解に合わせて、「あなたはこうしなさい」というかたちで教えを説かれました。
私たちは自分のものの見方にとらわれていて、その見方で願いが実現することが幸せだと思い込んでいる。
悪いことをやる人も皆そうなのです。目の前に宝石がある、それが欲しい、その気持ちに素直に従って、盗ってしまうわけですね。こいつは嫌なやつだ、気にくわない、こいつなんかいなければいいのに、と言ってぶすっと刺してしまう。
私たちから見ると、凶悪な犯罪事件、何て嫌なんだ、どうしてこんなことをする人がいるんだろう、と思いますが、彼らは実は私たちと同じで、自分が見たとおりのものを手に入れる、見たとおりのものをなくしていく、それが幸せを得ることだ、苦しみをなくすことだと信じて疑っていなくて、その気持ちに素直に従っているわけです。
でもその結果、 彼らは犯罪者になってしまって、決して幸せにはなりません。
ですから、お釈迦さまのそういう人への教えは、「殺したくても殺さないようにしましょう」あるいは「盗みたくても盗まない」というものでした。これは仏教徒の従うべき教義、義務ということではありません。
自分が思ったとおりのことが実現しても、幸せにはなれないですよ、他人も自分も苦しむだけですよ、だからやめておきましょう、そういう教えから始まっています。
多分皆さんは「ああそうか、では反省して盗みはやめましょう」とは思わない、「そんなことは言われなくても分かっている」、そういう人たちがほとんどだと思うんですね。そういう人にはわざわざそんなことを言わなくてもいいわけです。
お釈迦さまは、それぞれができるやり方、それぞれが分かるやり方で、教えを説かれたのです。
阿含経典と大乗経典
皆さんの中で仏教に関心がある人は、お経というものは、大きく分けて二つ、阿含経典と大乗経典があることをご存じだと思います。
日本でお唱えしている般若心経とか、先ほどお話しした華厳経、あるいは法華経というのは大乗経典で、東南アジアのタイとかミャンマー、スリランカの人たちが信じているお経は阿含経典です。
阿含経典こそがお釈迦さまの本当の教えで、大乗経典は後の人がつくったものだとか、そういうことを言う人がいたり、本が出ていたりもしますが、それは伝統的な説明とは違うんですね。
阿含経典というのは今言いましたように、悪人に対する、「盗むのはやめようよ、それをやったら幸せになれないよ」という教え。
あるいはさとりを目指す人には、「これがさとりです」ということは言わないんですね。自分が思い込んでいたものが本当かどうか、そうではないのに気づくのがさとりですから、彼らには、「あなたたちはこう思っているけど、それについて考えてみなさい」、そういう課題を与えていく。
そういう、お釈迦さまが色々な人に出した治療の処方箋みたいなものが、後でまとめられたものが阿含経典です。
ですから、阿含経典には「誰々さんへの教え」みたいなタイトルのお経がたくさんあります。でもそれはお釈迦さまのさとりの境地そのものではありません。
さとりの境地がどのようなものかは、それは人間の世界には伝わらないで、菩薩たちとか神々の世界、そういう所に伝わっていて、それが後に人間の世界にもたらされた。それが大乗経典と言われるものです。
先ほどお話しした華厳経も、お釈迦さまがさとりを開かれた後、教えを説かれる前の境地、それはそこに集まってきた菩薩たちだけがわかっていて、それが後で人間の世界で人間の言葉になったとされるものです。
ですから、華厳経典を信じている人と、そうではなく、それは後でつくられた創作物だと言う人がいるように見えますけれども、華厳経などの大乗経典を信じている人たちも、それはお釈迦さまの時代には人間の世界になかったものだということは、よくわかっていました。
でもそれには、お釈迦さまが多くの人に説いた教えよりも、さらに先の境地が書かれている。もしそれが創作物で、阿含経典だけがお釈迦さまの教えだとしたら、阿含経典より先の境地を説いている大乗経典を創作した人は、お釈迦さまよりも高いさとりにあることになってしまいます。
そもそもブッダという言葉自体が、インドの言葉で「アヌッターラサンミャクサンブッダ」、長いので略してブッダとお呼びしているわけですが、意味をとりますと、無上正等覚者(むじょうしょうとうがくしゃ)、このうえない正しいさとりを得た方、となります。
最高のさとりを得た方ですか ら、その上のさとりはないわけで、大乗経典は仏陀の教えと認めないとつじつまが合わなくなってしまう、それが大乗経典を認める人の論理でした。
そして、様々な教えを、どれがいいとか悪いではなくて、「欲しかったら他人のものでも盗ってしまう、それはやめておいた方がいいよ」あたりから始まって、心の変化の度合い、心の広がりの度合いに合わせて整理されたのが、先ほど紹介した弘法大師空海の『十住心論』です。これは十の心の段階に合わせた教えとして、仏教の様々な教えを位置づけたものです。
チベットにも同じような考え方が伝わっていて、チベットにも阿弥陀さまの信仰もありますし、密教も、 坐禅のような瞑想もあるわけですけれども、宗派によって「うちは阿弥陀仏さまです」とか「うちは南無妙法蓮華経です」と分かれているのではなくて、どの宗派にも、阿弥陀さまの信仰もあるし、瞑想も、法華経もある。どれが向いているのかというのは、初心者から深く理解した人まで、それぞれに合ったものがある、そういう理解が伝わっています。
般若心経のこと
日本でとてもポピュラーなお経として、般若心経というものがあります。
これは先ほど言った大乗経典です。皆さんの中には「私はお経の本を見なくても全部お唱えできる」という方もいらっしゃるかもしれません。それぐらい盛んです。中国でも般若心経はとても盛んですし、チベットでも盛んです。
「私は毎日般若心経を仏壇の前でお唱えしています」という方、 あるいは「私はお寺に行って般若心経の写経をして、心が洗われてとても良かった」。もちろんそれにけちをつけるわけではありません。一人一人に合ったかたちで学ぶのが仏教ですから、 こうしなければいけないという決まりはないので、それで心が落ち着いたり、役にたてば、それはそれでいいのですが、では一体、般若心経には何が書かれているのでしょうか。「色即是空、 空即是色」という言葉は有名ですが、何のことを言っているのかということですね。
日本の仏教書で一番本がたくさん出ているの が般若心経で、つい最近も「般ニャ心経」という、猫の写真がたくさん載っている可愛らしい本が出ています。
色々な、例えば小説家、学者、あるいはお坊さまが、それぞれ、般若心経のお言葉の、これはこういう意味に違いないという、ご自分の考えを本にされています。
でも実を言うと、インドの伝統的な仏教で、般若心経はこういう意味なんですという、本来の説明がちゃんとありました。専門書で一般向けの本ではないのですが、インドのお坊さまたちが書かれた般若心経の注釈書の日本語訳がこの九月くらいに出るというのを、最近本屋さんの告知で見ましたけれども、そういうものが残っています(『般若心経註釈集成〈インド・チベット編〉』起心書房)。
般若心経の一番大きな謎としては、あれだけポピュラーなのに、お釈迦さまがどこにも出てこないんですよね。
お唱えしている方、中身をご存じの方はわかると思いますが、出てくるのは観自在菩薩、これは観音さまです。それから舎利子、これ はシャーリプトラというお釈迦さまのお弟子さんで、実はシャーリというのはお母さんの名前なんですね。シャーリさんの子どもなので、シャーリプトラ、シャーリの子、舎利子です。舎利弗(しゃりほつ)ともいいます。
伝統的な解釈では、お釈迦さまが体験されているさとりとはいったい何なのかということを観自在菩薩、観音さまが理解されて、お釈迦さまの高弟である舎利子、シャーリプトラという方に説明しているのが般若心経なんです。
ですからお釈迦さまは出てこないのですね。
実は般若心経には、短いバージョンと、もう少し長いバージョンがあります。インドのサンスクリットという言葉で書かれたものにも、中国語訳にも、その両方があって、岩波文庫の般若心経には、その両方が収録されています。
どこが違うのかというと、長いバージョンには、私たちのよく知っている般若心経に前書きと後書きがついています。
お経というのはたいてい、「如是我聞(にょぜがもん)」、私はこのように聞きました、というところから始まるんですけれども、私たちのよく知っている方の般若心経は、いきなり「観自在菩薩」から始まっていて、そこがないんですね。
そのお経の体裁が整っている般若心経というのもありまして、中身は同じです。
それを見ると、お釈迦さまは霊鷲山(りょうじゅせん)で瞑想中だった。
この山は法華経などが説かれた山で、 実際にインドに今でもあります。ケーブルカーがあって、お猿さんがいるので、行くと何か高尾山みたいな気がするのですが(笑)お釈迦さまが実際にそのお経を説かれた場所です。
そこでお釈迦さまのさとりの境地を観自在菩薩、観音さまが理解されて、舎利子に説明している。
そのすこし長いバージョンでは、「掲帝掲帝、波羅掲帝、波羅僧掲帝、菩提僧莎訶」の後にまだ続きがあって、そこでお釈迦様は瞑想を終えられて、観音さまに一言「そのとおりです」、つまりあなたの説明で間違いないです、と言って、みんな「あっ、それでいいんだ」と喜んだというところで終わるんですね。それがちょっと長いバージョンで、中身は全然変わりません。
この般若心経は大乗経典なので、テーラワーダと呼ばれる、タイとかスリランカ、ミャンマーなどに伝わっている伝統ではお唱えしません。
そういうところのお坊さまには、般若心経などというのはお釈迦さまの教えではないと言う人もいたりします。
彼らの理由はちゃんとあるんですね。 そもそも阿含経典というのは、お釈迦さまから直接教えを受けた方たちが、お釈迦さまが涅槃に入られた後、集まって編纂したとされるものです。大乗経典はそこに入っていないわけですから、ブランド物だったら正規代理店を通していないわけですよね。だから怪しいと。
それから次に中身なんですけれども、少し難しい話になりますが、先ほどの「色即是空、空即是色」というのは、実は最初の「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄」の「照見五蘊皆空」、五蘊(ごうん)が全て空だという ことを見られた、ということの説明の一部分なんですね。
五蘊というのは、色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・ 識(しき)の五つです。つまり私たちが見ている形、それを私たちの感覚がとらえて、これはいいものだと か、こいつは嫌なやつだとか、これは素敵なものだとか、そういうふうに思って、行、リアクションをする、そういう心の働きがある、これが五蘊です。
その五蘊が全て空であるということの詳しい説明で、色蘊(しきうん)、形というものが空であるというのを説明している部分なのです。
ですから「受・想・行・識亦復如是」、後の四つも同様だ、ということがつづきます。
その後空であるとか無であると言われている十二処、「無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・ 触・法」というのは、感覚器官とその対象で、 それに対象をとらえている心の働き六つを足したものが十八界です。
それから「無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽」のところですけれども、これは十二支縁起といって、私たちの苦しみがどのようにして生じるのか、私たちのものの見方が間違っている、それが苦しみの原因だ、それを仏教用語で「無明(むみょう)」というのですが、順次、無明からこういうものが生じて、私たちは生まれてきて、必ず老死、老い、死ぬ、ということに代表される様々な苦しみを味わうことになるというのを、 お釈迦さまが十二の段階で瞑想されたものです。
原因が分かればーー、これは本当に医学的な発想です。喉が痛いときに、これは風邪ですとか、これは何とかのウィルスが原因です、それが分かれば治療ができるわけです。原因が分かれば、その原因を取り除けばいいんだということで、この無明というものから順次尽きていって、生が尽きて、老死が尽きる。このようにして、お釈迦さまが私たちがどうして今苦しんでいるのか、またどうやったら苦しみをなくすことができるのかについて、十二の段階で瞑想されたものと言われています。
それから、「無苦・集・滅・道」というところで言われている四つは、四聖諦(ししょうたい)といって、先ほどのインドのブラーフマーという神さまに「人々のために教えを説いて下さい」と言われて考えを改めた時に、では誰に教えを説けばいいのだろうと考え、かつて一緒に修行をしていた仲間であった五人、彼らだったら分かるに違いないとお考えになって、最初に説かれた教えというのが、この四つです。
これは苦しみと、その原因、それから 苦しみを滅した境地と、それにいたる実践で、それぞれ結果とその原因というかたちで二つの組み合わせになっているんですけれども、これらは皆、阿含経典の中に収録されている、お釈迦さまがお弟子さんたちに説かれた教えです。
それを空だとか無だとか言っていますから、 お釈迦さまの阿含経典に出てくることを空だ無だと言っている般若心経は、正しい教えのわけはないだろうというわけです。
正規代理店を通していないうえに、正規品の言っていることを否 定している、これは偽物だと思うお坊さんたちもいらっしゃるわけです。
でも、インドでも、中国でも、日本でも、チベットでも、この般若心経は長く唱えられてきました。その中には、ああ有り難いと言つてお唱えしている人もいれば、非常に学問に秀でたお坊さまたちもたくさんいらっしゃいました。もちろん弘法大師もそうですし、中国にも、チベットにも、たくさんの天才的な学僧たちがいらっしゃいます。彼らはなぜこの般若心経は間違いないと思われたのでしょうか。
阿含経典は、お釈迦さまが説かれて、お弟子さんたちが後で記録された。それは間違いない、それは動かないです。
でもそれは病気が治った、苦しみから解放されたお釈迦さまが、まだ病気の人に与えた薬です。
例えば皆さんがお医者さんに行ったときに、「この薬はその症状に効くからぜひ飲みなさい、私も毎日飲んでいます」と言われたら、「先生大丈夫ですか」という話になりますよね(笑)。
お釈迦さまは、人々の病気を治すために、今言った五蘊とか、十二処とか、十八界、 十二支縁起、四聖諦の教えを説かれたけれども、それがお釈迦さまの教義とか、お釈迦さま自身が信じているということではないんだ。
これは病気を治すために病気の人に説かれた教えで、お釈迦さまご本人は苦しみから解放されている、だからその薬は要らなくなった状態だ。それが観音さまが理解されたことです。
決して阿含経典の教えと般若心経は矛盾していなくて、病気中の人にお釈迦さまが授けた教えと、病気が治った状態の関係にある、だからこれは矛盾ではないんだというのが、中国とか、インド、日本、チベットの伝統的な理解です。
そもそも阿含経典の中にも、お釈迦さまがそういうことを説かれている箇所があるんですね。それは有名な筏の喩えというものです。
ちょっと頭の固いお弟子さんがいて、他のお弟子さんたちに「私はお釈迦さまからこう聞いたんだ、お前たちのは違う、私が聞いたのはこうなんだ」 と言って譲らないので、みんな困ってしまったのですね。その人にお釈迦さまが説かれた教えです。
イ ンドは雨季と乾季に分かれていて、乾季の間は雨が全然降らないで、雨季の間はずっと雨が降っていますから、川幅が大きく変わってしまうんですね。
乾季には大きな川でも歩いて渡れるけれども、雨季になってしまうと昔の技術だと橋がかけられないので、その辺の木を切ってきて、即席の筏をつくって向こう岸に渡っていたらしいのです。
それをたとえに使われて、「私の教えというのは向こう岸に渡るための筏のようなものだ、渡り終えたら必要なくなるものだ」、そういうふうにお弟子さんに教えられたという話です。
ちなみにこのたとえ話が、お彼岸(ひがん)という言葉の語源になっています。さとりの境地を向こう岸にたとえていて、それがお彼岸の言葉の由来になっているのです。
お釈迦さまの境地においては、お弟子さんに説かれた五蘊も、十二処も、十八界、十二支縁起、四聖諦も何もない、それが般若心経です。
ですから私たちが仏陀になる、成仏というのは、簡単に言えば、この般若心経で説かれている「色即是空、空即是色」、その境地を理解して、さらに自分自身がその境地に到達するということなのです。
今の状態がラッキーだと気づくことが仏教の出発点
時間がなくなってきましたので、ごくごく簡単にですけれども、最後に仏教の実践の階梯について、駆け足でご紹介します。
まず仏教の出発点というのは、「今の状態というのは実はラッキーなん だよ、そのことに気づきなさい」というところから始まります。
皆さんそれに反論されるかもしれません。「いや、私は不幸です」「うちの息子の嫁は気が利かなくて不幸です」とか(笑)、「私はお金に困っています」、「私は病気です、全然幸せじゃありません」とか、だいたい悩みがあってお寺に来られた人で、私は今満足ですという人はいないと思います。
けれども、仏教 の本格的な修行の出発点というのは、確かに百パーセント満足ではないんだけれども、他の生きもの、他の人たちのことを考えてみてみなさいというものです。
例えば現在の世界では、あちこちで自爆テロだとか戦争だとか、非常に悲惨な話がたくさんありますね。さらに動物で言うともっとひどいわけです。例えば野生動物は弱肉強食で、いつ殺されるかわかりません。魚だったら何百と卵が孵って、親になるのは一匹とか二匹だったりするわけですけれども、皆さん、例えば成人式に行ったときに「小学校の同級生はみんな食べられちゃって、私一人しか生き延びませんでした」 などという人はいませんよね。
私たちは、自分のものの見方にとらわれているから、ないものが欲しくなってしまうわけです。いわゆる「隣の花は赤い」です。でもそれをやっている限り、いつまでたっても「隣の花は赤い」から出られま せん。
例えば「十万円しかない、私は貧乏だ」という人が「百万円欲しいな」と思っていて、でも 百万円手に入ったら満足かというと「一千万ないから不幸だ」となりますね。一億、十億と貯まっても、いつまでたっても不幸なわけです。
若い人でお金がなくて困っていて「私は苦しい、貧乏だ、不幸だ」という人が、でも健康だったとします。百億円、一千億円持っていて、色々な病気を抱えている人だったら、「君の持っている健康が手に入るんだったら一千万 出しても、一億出してもいい」という人はいるわけですよね。
でもそれを持っている人は、自分の持っているものに価値があるとは思っていないわけです。
その心でいる限り、絶対に、どこまでいっても幸せは来ない。
だから今持っているものに目を向けなさい、そうすると、百パーセント満足ではないにしても、かなり恵まれているということが わかります。
実は無常の教えというのは、その次に来るのです。つまり、このラッキーな状態は永遠のものではないことに気づきなさい、という教えなんですね。そうすると、このチャンスを生かそうという話になるわけです。
そうやって修行をしていって、初心者の段階から、かなり高いところまでの基本となることを一言で言うと、「自分のやっていることを仏さまの目で考えなさい」ということになります。
例えば 悪い人だったら、キラキラしている宝石がある、「欲しい、手に入れちゃおう」。でも「仏さまから見ると、これは果たしていいことなんだろうか」。 仏さまの目で自分のやっていることを考えなさいという実践です。
最近アメリカなどですごく話題になっていて、グーグル社がそれを採用したというのでニュースになったりとか、テレビ番組とか雑誌で特集が組まれたり、本が出ていたりするものとして、「マインドフルネス」という仏教由来の瞑想法があります。
これは実を言うと仏教用語の「念」という修行で、これはお念仏の「念」なんですね。
皆さん、学校などで、お念仏にも、観想念仏という、仏さまとか仏さまの世界を思い浮かべるのと、称名念仏、南無阿弥陀仏をお唱えするのとがあると習われた方がいらっしゃるかも知れません。
私は学生時代に非常に悩んだんですね。二つは全然似ていないじゃないですか。なぜそれをどちらもお念仏と言うのか、全然分からなかったのですが、仏教の勉強をしだして、ようやく分かりました。
自分が分かっていなかったことに気付くのが仏教なのですが、観想念仏と称名念仏は、どちらも、阿弥陀さまが私のことを見ている、そのことを意識しなさいという教えなんです。
それを阿弥陀さまのお名前を唱えることによって一所懸命意識するか、自分を見ている阿弥陀さまのことを思い浮かべるかの、やり方の違いなんです。
重要なのは、どんなに自分が辛くて周りから分かってもらえなくて、孤独なときでも、阿弥陀さまは絶対に見捨てない、阿弥陀さまは常に私のことを見ている、ということです。
悪いことも全部見えている、でもそれで見捨てるということは絶対にないのです。「こいつは悪いことばかりやって、もうお前は救ってやらない」、そういうことは決してなくて、阿弥陀さまは偏りの ない心で常に皆さんのことを見ている、そのことを意識する。
そうすればどんな辛い時も、例えば友だちから裏切られた、あるいは旦那さんが浮気したとか、子どもが言うことを聞いてくれないとか、あるいは子どもだったらお母さんに叱られたとか、いじめられたとか、皆から無視されているとか、でも阿弥陀さまは決して見離さない。
そのことを常に思えば、この人生決して無駄ではないことが分かる。そういう形で実践していくのがお念仏です。
最終的には、修行というのは、自分が見ている仏さまの目を意識するだけではなくて、さらに頑張って自分がその目になるように努力する、それが成仏、仏陀になるということです。
ですから、日本の宗派の中でも浄土真宗は般若心経をお唱えしないんですけれども、それは別に浄土真宗の教えと般若心経の教えが相反しているわけではなくて、浄土にいって仏さまと一体になったとき、そのときには「色即是空、空即是色」の境地になります。
これが伝統的な仏教で、その人その人に合ったやり方として、例えば浄土系だったら「自分をいつも見ている阿弥陀さまのことを常に意識しなさい」、そういう教えが説かれますし、禅宗だったら「今の私がものを見ている見方を、坐禅によって鎮めなさい」、密教だったら「その仏さまの世界というのを灌頂によって体験しなさい」と説かれます。
そういう形で、それぞれ一見全然違うことをやっているように見えますけれども、どれも同じ山頂へ向かっている道であって、その人その人に合ったやり方を選んで、信頼できるガイドの方、お坊さまのアドバイスに従ってそれを歩んでいけば、私たちは最終的 には同じところにたどり着ける、これが伝統仏教です。
ただ残念なことに日本では、仏教そのものはもちろん非常に盛んで、日本全国にお寺があるわけですけれども、こういう全体像というのはあまり知るチャンスがないので、お寺でこういうことを言うのは失礼かもしれませんけれども 「伝統仏教を学ぶ」というタイトルでお話をさ せていただきました。
私がとても重要だと思い、日本の将来を考え たときに非常に希望を持っているのは、日本のお寺さんには幼稚園とか保育園を併設しているところが多いということです。
今お話ししたようなこと、「百パーセント満足していなくても、今自分は恵まれているんだということに気づきなさい」という教えとか、「どんなに辛くても孤独でも、阿弥陀さまは見捨てない、いつもあなたのことを見ている」という教えというのは、多分いじめの問題に対して一番効果があるのではないかと思います。
いじめをなくせと口で言うのは簡単です。いじめが起きた、校長に謝罪しろというのは簡単ですけれども、自分の身の回りの大人の世界のことを考えれば分かるように、子どもの世界でも、いじめはなくならないわけです。
でも、いじめられたからといって、みんなから無視されたからといって、死を選ばない心をつくることはできます。そのために今言ったような伝統仏教の考え方というのはとても役に立つのではないか。
そういう意味で、日本のお寺に幼稚園とか保育園が併設されているところが多いというのは、日本の社会にとって一つの希望ではないかと私は思っています。
少し時間を超過してしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございました。
(音声のみ)
https://www.youtube.com/watch?v=QL6Wtug3q3A&list=PLgdk4SV_b1O8mCoEIlNhgiSr1lvSpLmCn
吉村均の関連著書
『空海に学ぶ仏教入門』ちくま新書
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『チベット仏教入門 自分を愛することから始める心の訓練』ちくま新書https://www.amazon.co.jp/dp/4480071911/
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