見出し画像

道元禅師『正法眼蔵』のオンライン勉強会が終わりました

 オンラインでおこなっていた、全5回の道元禅師の『正法眼蔵』についての勉強会(ナーガールジュナ(龍樹)と日本の高僧たち(その2))が無事終わりました。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

 勉強会をやって一番勉強になるのは、実は私です。今回も、本当に勉強になりました。
 考えるていることが相手に話すことで形になるということもありますし、何よりも、教えを学ぶ側としてではなく、教えを説く側の視点で教えを考えることで、それまでは気づかなかった著者の心の働きにはじめて気づくことができる、ということもあります。

(予告していた内容)
・釈尊・ナーガールジュナ・日本の高僧
・道元禅師の生涯と教え
・言葉と言葉を越えるもの
・『正法眼蔵』「仏性」巻について
・十二巻本『正法眼蔵』

『正法眼蔵』のむつかしさ

 道元禅師の『正法眼蔵』は、思想書として高く評価される方も沢山いらっしゃいますが、難解極まりないことでも有名です。
 現代語訳も、手に入れやすい文庫本でも何種類も出ていますが、それらを読み比べてみると、訳者によってまったく解釈が違っている箇所もあちこちあり、『正法眼蔵』のむつかしさを感じます。

 釈尊の教えの特色は、「私の言葉を信じなさい、私の言葉に従いなさい」ではなく、その人が自分で気づかなければ意味がないと考えて、その気づきの助けとなることを説いている点にあります(たとえば、子供をなくして狂乱するキサーゴータミーに「死者を出したことのない家から芥子粒をもらってきなさい」と説いたことなど)。
 仏教の教えの言葉は「月をさす指」だといいます。見るべきなのは、その指ではなく、その指がさし示している月です。月は自分でみつけなければなりません。
 ところが、そういう手がかり、ヒントが、経典や禅の語録となってしまうと、私たちはそれをありがたがるだけで、それを手がかりに月を見つけようとはしなくなってしまいます。

 『正法眼蔵』が難解なのは、経典や禅の語録の言葉を本来の役割、それを手がかりに読者が自分で月を見つけるためのものに戻しているからです。

 テレビのクイズ番組で、テロップで正解が示されている時は、気楽に見ていることができます。
 けれども、「ここからは視聴者の皆さんも一緒に考えてください」と、正解が示されなくなると、途端にむつかしくなります。
 出題者がいろいろヒントを出しても、何のことを言っているのかまったくわかりません。番組の回答者は次々、正解を見つけていきます。「だめだ、全然わからない」。
 でも、ある時、「これが正解だ!」とわかると、そのあとのヒントは、どれもそのことを言っている、と、何の不安もない、わかりきったことになります。

 仏教というのはそういうわかり方をする教えで、『正法眼蔵』が難解に感じられるのは、釈尊や禅の高僧がたのヒントから、私たちがまだ正解を見つけることができていないからなのです。

 以前出した『神と仏の倫理思想【改訂版】』北樹出版のなかで、道元禅師の教えについて紹介したことがあります(第二章2)。
 今回は、道元禅師の生涯を簡単に紹介したうえで(典座教訓については『大法輪』2020年4月号「特集・仏教 ざんねんな誤解」に書きました)、その内容を整理、見直して紹介し、そのうえで、『正法眼蔵』のなかでも重要な巻のひとつとされる「仏性」巻と、晩年に新たに書かれた十二巻本『正法眼蔵』を取り上げました。

『正法眼蔵』「仏性」巻

 「仏性」巻では、古代インドのナーガールジュナ(龍樹)がアールヤデーヴァ(提婆)に嗣法した時のエピソード(出典は『景徳伝燈録』)が紹介され、それについての道元禅師の教えが収録されています。
 そのエピソードの意味するところが中国ではまったく理解されておらず、道元禅師が訪れた阿育王寺では、見当違いも甚だしい、「月に変身したナーガールジュナの肖像」が壁画として描かれていたといいます。
 この話で重要なのは、それに気づいて、お寺の案内するお坊さんにそのことを話したのは、二回目にお寺を訪れた時だったということです。
 その間に、道元禅師は、天童如浄師に巡り合い、その指導のもとで、身心脱落を体験されています。
 ご自分も言葉を越えた境地を体験したからこそ、ナーガールジュナとアールヤデーヴァの間に何がおこったのかも理解でき、「月に変身」がまったくの見当違いであることもわかられたのです。
 このエピソードについても、以前、『大法輪』に書かせていただいたことがあります(「道元・親鸞が見たもの(上) 面授と仏性」『大法輪』2010年10月号)。

 今回は、独立性の強いこのエピソードとそれについての教えを先に紹介してから、「仏性」巻の内容に入りました。

 『正法眼蔵』「仏性」巻は、『大般涅槃経』の「一切衆生、悉有仏性」という教えをめぐって論が展開します。
 私たちの最大の問題は、この教えを仏性についての説明の言葉だと受け取ってしまっていることです。
 道元禅師は、歴代の祖師は、この教えをさとられ、受け継がれた方だとおっしゃっています。
 しかし私たちは、この言葉を説明だと誤解し、自分がまださとっていない、実は何のことだかまったくわかっていない「仏性」を既知のものであるかのように思い込み、「この猫には仏性があるか? ないか?」(南泉斬猫のエピソード)とか、「ミミズを二つに切ってどちらもピクピクしているとき、どっちに仏性がある?」(「仏性」巻で取り上げられている)とか、意味のない妄想を展開してしまいます。
 「一切衆生、悉有仏性」というのは、仏性についての説明ではなく、一体お前は何者か、「是れ什麼物(なにもの)か恁麼(いんも)に来(きた)る」という、釈尊が私たちに突き付けた実存的問いかけなのです。

 道元禅師は、中国の五祖や六祖は、師から「汝無仏性」、「嶺南人無仏性」と言われ、その言葉だけを手がかりに仏性をさとることができた、と説かれます。
 「一切衆生悉有仏性」は言葉を越えた境地で、知識によって理解することはできません。
 変に聞こえるかもしれませんが、私たちが仏性を悟るための唯一の方法は、クイズ番組で「ここから先は視聴者の皆さんも一緒に考えてください」とテロップが出て、途端に「答えが見当もつかない、わからない」とあせって答えを見つけようとすること、自分が仏性を見出していないことを自覚し、必死に見つけようとすること、それ以外にないのです。

十二巻本『正法眼蔵』

 道元禅師が晩年に書かれた十二巻本『正法眼蔵』は、それまでの『正法眼蔵』(七十五巻本)が、「わけがわからない」と頭を悩ませるものであるのに対して、(変な言い方ですが)「読んでわかる『正法眼蔵』」で、題材も、大乗経典や禅の語録の言葉だけでなく、阿含経典の教えや(ナーガールジュナの著作として中国や日本で重視された)『大智度論』で紹介されているお釈迦さまのお弟子さんたちのエピソードなどが取り上げられています。

 私が(普通に)仏教の研究をはじめた頃は、『正法眼蔵』を思想書として高く評価される方が、この十二巻本については否定的な評価をされていて、当時は『正法眼蔵』についてはまったくわけがわからなかったので、「そういうものか」と思っていました。
 チベットの先生方から教えを受けるようになってから、久しぶりに『正法眼蔵』を読み返す機会があった時、十二巻本について、「仏教に実践的な関心のある人に、とても役に立つアドバイスが説かれている!」と思い、『神と仏の倫理思想【改訂版】』で、十二巻本『正法眼蔵』の「四禅比丘」の巻を取り上げました。

 これは、瞑想して「無」の境地を体験して、「空性」をさとった! 私は解脱した!と誤解した二人のインドのお坊さんのエピソードを取り上げて教えを説いたもので、こういう取り違えは実践の場面ではよくおこり、チベットの先生方も注意をうながされます。

 今回、道元禅師が晩年に新たに書かれた十二巻本全体を読み返して、道元禅師が、後の人々が正しく仏教を理解できるように、それだけでなく、正しい実践も実際にできるように,とお考えになられて、これらの巻々を書いてくださったことを痛感しました。

 今はコロナで、オンラインで教えを受けることはできますが、チベットの先生方とは、何年も直接お目にかかることはできていません。
 そういう状況で,十二巻本を読み直し、チベットの先生方から教えを受けているような気持ちになりました。
 もちろん違いはあり、道元禅師が「出家功徳」巻で説かれている、動機がどのようなものであろうと、戒律を破ったりお坊さんをやめることになったとしても、出家を勧めるべきだ、ということや、「袈裟功徳」巻の、出家はもちろん、在家であっても袈裟を着けるべきだ、ということは、チベットの先生方は賛同なさらないかもしれません。
 しかしそれらについては、なぜそのように説くのか、道元禅師は根拠を示されています(「出家功徳」については、蓮華色尼の前世譚や酔ったバラモンの出家を釈尊が許したこと、「袈裟功徳」については、梵天や梁の武帝、隋の煬帝、日本の聖徳太子が袈裟を着けられたことを挙げています)。なんなら、チベットに密教を伝えられたグル・リンポチェも有髪の密教行者ですが、袈裟を着けられています。

グル・リンポチェ 

  道元禅師は、「発菩提心」巻で、心の思いは瞬間瞬間に生じ、滅するものである、ということの関連で、発菩提心を論じられています。

 チベットに伝わり、翻訳紹介されて、西洋社会で話題を呼んだ『チベットの死者の書』では、死~中有~再生のプロセスで、死者の意識が体験するビジョンが紹介されています。
 仏教では、同様のプロセスが、眠り~夢~目覚め や、一瞬一瞬の思いが生じて消えてゆく過程においても生じている、と説きます。

 私たちは普段、外に目を向けていて、自分の心を見つめていないため、心に思いが湧きおこっていることに気づきません。それが増大し、雨雲がみるみる大きくなり、空が暗くなってもまだ気づかず、雨が降り始めて、はじめて「大変だ、雨だ!」と大騒ぎします。
 私たちが煩悩=自分の心に湧きおこってくる思いに振り回されてしまうのは、そのためです。

 瞑想は、その外に向けている視線を、自分の内に向けるものです。
 チベットの先生方は、「瞑想しようとしても雑念ばかり湧いて、うまく瞑想できない」という訴えに対して、「瞑想で自分の心を見つめるようになって、それまでは気づいていなかった自分の心に様々な思いが浮かんでくることに気づくことができるようになったのだ。それは修行による進歩だ」とおっしゃいます。
 また、「湧き上がってくる思いをなくそうとしてはいけない。それを追いかけるのでもなく、それをなくそうとするのでもなく、ただ、それに気づいているだけでいなさい。そうすれば、青空から湧き起った雲がいずれ青空の中へと消えていくように、思いは消えていくのだ」と指導されます。
 実際には、はじめのうちは、全然消えてはくれず、思いに振り回されてばかりなのですが、あきらめずに修行を続けていくと、次第に思いが長続きせず、消えていくようになります。
 その思いが生まれ、また消えていく青空に気づくこと、それらの思いが何も確固たる基盤を持たないことを理解すること、それが「空性」を理解すること、「一切衆生、悉有仏性」を理解することなのです。

 チベットの先生方も、菩提心の重要性を口をすっぱくして説かれますが、生じ滅する思いとの関連で菩提心を説かれるのは、はじめて見ました(単に私の知識が浅いだけかもしれませんが)。
 これは、道元禅師が坐禅で自分の心を見つめつづけられた体験を踏まえて、説かれているのだと思います。

 十二巻本の最後は「八大人覚」巻です。
 道元禅師は、この教えが釈尊が説かれた最後の教えで、その後は教えは説かれず、般涅槃された、と記されています。
 「八大人覚」の奥書には、道元禅師は晩年、『正法眼蔵』を書き改めて全百巻にすることを計画されて、十二巻まで書かれたが、体調を崩されてこの「八大人覚」巻で筆を擱かれ、京都で亡くなられた、と記されています。
 道元禅師が最後の巻に、この釈尊最後の教えを選ばれたのは、遠くはないご自分の死を自覚され、お釈迦さまが最期に伝えようとされた教えを、自分も後世の人に伝えたい、と思われたからなのでしょう。
 巻の最後は、このような言葉で結ばれています。

 仏法にあふたてまつること、無量劫にかたし。人身をうること、またかたし。たとひ人身をうくといへども、三洲の人身よし。そのなかに南洲の人身すぐれたり。見仏聞法、出家得道するゆゑなり。
 ・・・いまわれら見聞したてまつり、習学したてまつる、宿殖善根のちからなり。いま習学して生々に増長し、かならず無上菩提にいたり、衆生のためにこれをとかんこと、釈迦牟尼仏にひとしくしてことなることなからん。

水野弥穂子校注『正法眼蔵(四)』岩波文庫

 オンラインの勉強会は、さまざまな制約があり、本当はまだまだ『正法眼蔵』について考え、お話ししなければいけないことがあると思っています。
 以前、東京の慈母会館でおこなっていた勉強会のように、回数を気にせず、続けることができたなら、と思うことも、正直、あります。
 しかし、『正法眼蔵』は仏教の様々な教えのなかでも群を抜いてむつかしいものなので、一回聞いて、すらすらわかる、というのは、正直、むつかしいと思います。
 そういう意味では、参加された方がアーカイブで何回も繰り返し聞き直すことができるのは、オンライン講座の利点だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?