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【講演草稿と動画】インド・デリーで開催された第1回アジア仏教徒サミットに招待され、日本の仏教について発表しました

 2024年11月5・6日にインド・デリーで開催された第1回アジア仏教徒サミット(ABS2024)に招待され、日本の仏教について発表しました(於The Ashok Hotel)。
 主催者のIBC(The International Buddhist Confederation)は、以前参加したGBC2011を契機に発足した団体です。
 今回のテーマは「アジア強化におけるブッダ・ダルマの役割(Role of Buddha Dhamma in Strengthening Asia)」でした。開会式ではインド政府のモディ首相のビデオ・メッセージが紹介され、大統領が列席されました。

 私は2日目午後、東アジアのパートで、「日本の仏教と世界の仏教の未来のために(For the Future of Buddhism in Japan and the world)」と題して発表しました。以下はその発表草稿です(実際の発表は英語でおこないました)。

日本の仏教と世界の仏教の未来のために

日本の仏教

 日本の仏教は、長い歴史があります。
 6世紀に韓国(百済)から、仏教が伝えられたといわれています。古代や中世には、多くの僧が中国に渡って、仏教を学びました。
 その中で最も有名なのは、空海(774~835)という名の仏教僧です。彼は中国に渡り、密教の系譜を受け継いで、帰国しました。その系譜は、現在も生きています。
 彼はまた、十の心の発展段階(十住心)についての著作もあらわしました(『秘密曼荼羅十住心論』『秘蔵宝鑰』)。仏教にはさまざまな異なる内容の教えがありますが、彼はそれを十の心の発展段階に対応するものとして、基礎的な教えからより高度な教えへと、配列しています。

空海の十住心

 最初の三つは、世間的な(輪廻の中の)幸せを求める人のための教えです。次の四つは、苦しみや輪廻からの解放を求める人のための教えで、釈尊が説いた三乗の教えです。さらにその上に一乗の教えがあります。最後の十番目が真言乗、すなわち密教の教えです。

 第一は雄羊のような心(異生羝羊心)で、彼は自分の感覚が捉えたものを現実と疑わず、欲しいと思ったものを手に入れよう、嫌なものを排除しようとして、悪しきカルマ(業)を積み、それに慣れてしまっています。
 そんな彼も、何かのきっかけでよいことをおこない、それが二度、三度と続いて慣れてくると、心が変ってきます(第二 愚童持斎心)。
 そして今よりもすばらしい天の神々の世界があると聞くと、修行をしてそこに生まれたいと願うようになります(第三 嬰童無畏心)。しかしその安らぎは永遠ではなく、原因が尽きたら終わりが来るものです。そのことを自覚した時、彼に輪廻から解脱したいという欲求が湧きおこります。

 以下が仏教固有の段階となります。
 第四~第七は、化身の仏陀である釈尊が説いた三乗の教えで、仏陀はその人の関心に合わせて、阿羅漢を目指す教え(声聞乗・第四)、独覚仏を目指す教え(独覚乗・第五)、仏陀を目指す教え(菩薩乗)を説きました。菩薩乗には、唯識の教え(第六)と中観の教え(第七)があります。

 仏教は、それぞれが目指したゴールに到達して終わりになるのではなく、さらに上に、自分と目指すゴールという図式からも解放された境地があります。それが一乗の教えで、『法華経』(第八)と『華厳経』(第九)の教えです。
 『華厳経』ではシッダールタ王子(一切義成就菩薩)が宇宙大の仏陀となり(報身。自分が捉えたものを実体と疑わない凡夫は見ることができないとされる)、新たな仏陀の誕生を知った高次の菩薩たちが集まり、その一人が仏陀の境地を理解して、他の菩薩たちに伝えています。
 『法華経』は、これから涅槃に入る釈尊が、自分は実は遥かな昔に仏陀となっており(久遠実成)、これからも霊鷲山で教えを説き続けることを明かす経典です。
 空海は、『法華経』の教えを説く化身の釈尊と釈尊の語る報身の久遠実成の仏(実際は別々の存在ではありませんが)の関係を、『華厳経』の直接教えを説く菩薩と報身の盧舎那仏の関係に重ねて理解して、それらを報身の仏陀の教えとしています。

 それまでの教えが、外の仏陀(化身・報身)が言葉で人々を導くものであるのに対して、第十の密教では、法身の仏陀である大日如来が、自分自身に他ならない金剛薩埵に教えを説いています。
 師(阿闍梨)はすでに言葉を超えた境地を体験しており、弟子をその境地に導き入れて、一時的に体験させます(密教の灌頂)。

 私は空海の著作は、日本の仏教のマスターピースであると考えています。

日本の仏教の現状と課題

 現在、日本では、空海が建立した高野山を含む、いくつかの大きな仏教寺院が世界遺産に認定され、世界中から観光客を集めています。
 しかし私は、日本の仏教の将来に楽観的ではありません。
 日本には約七万七千の仏教寺院があるといわれていますが、地方では過疎化のため、一人の僧がいくつもの寺院の住職を兼任していることがめずらしくありません。
 日本における仏教寺院の主な役割は先祖供養ですが、少子化と、特にコロナ禍における儀礼の簡素化で、僧侶と俗人の接点となる機会が減少しています。

 仏教の将来の発展のためには、さまざまな国の僧侶や仏教徒が交流し、相互理解を深め、助け合うことが重要です。
 ここでは、日本の仏教が世界の仏教の未来に貢献できる点と、助けが必要な点を、(時間の都合で)各一点ずつ指摘したいと思います。

貢献できる点

 日本の仏教には、沢山の儀礼が存在し、正確に伝えられています。
 あるチベットの高僧(ラムキェン・ギャルポ・リンポチェ)が来日された際、その方は日本の密教に関心を持たれ、密教の灌頂を受けたいとお望みでしたが、日本の伝統では、準備段階の修行(四加行)を終えなければ、灌頂を受けることはできません。
 それで、私はその方を声明(僧侶によるチャンティング)公演にお連れしました。私がプログラムを見ながら、何がおこなわれているか説明しようとすると、その方は「必要ない。私にはどの仏の真言が今唱えられていて、何の儀式をおこなっているかわかる」とおっしゃいました。
 (空海を含め)中国でインド出身の僧に会われた方はいますが、(近代以前に)直接インドに渡って仏教を学んだ僧はいません。しかし、千年以上にわたって、発音と儀式が正確に伝えられているのです。

 別の例を挙げると、チベットの伝統では、五体投地の際、両手の平を地面につけます。
 日本の伝統では、手の平を上にして、自分の頭につけます。これはインドの最高の敬意を表す礼拝法(頂礼)が受け継がれたものです。

 日本の仏教の伝統では、すでにチベットや中国では失われてしまった多数の密教の儀礼が、今に受け継がれています。

助けが必要な点

 日本は近代化のために西洋の知識や技術を導入して百五十年経ち、本来の仏教の考え方が失われてしまっています。
 近代的な仏教系の大学では、伝統的な仏教哲学であるアビダルマ(倶舎論)や唯識、中観に代わって、西洋由来の文献学が教えられています。
 仏教系の大学で、僧侶は文献学の研究者から、「輪廻なんて迷信だ」「大乗経典は釈尊の教えではなく、後の時代のものだ」と習います。
 そのため、僧侶であっても、過去世や来世を信じている人は少数派です。
 所属する宗派の開祖の教えは学ばれますが、もし来世がないのなら、「一切衆生のために菩提心を起こす」とか「浄土に生まれることを願う」といった教えは、ほとんど実現することが不可能な、意味のないものになってしまいます。
 ですので、日本仏教の将来のためには、アビダルマや唯識、中観といった伝統的仏教学を再導入することが必要です。それらは単なる哲学ではなく、苦しみからの解放の道だからです。

 最後に、このような発表の機会を与えてくださった主催者と、ご清聴いただいた皆さまに、心からの感謝の意を表したいと思います。

(主催者により当日の動画が公開されています)



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