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配信講座「龍樹:『中論』に挑む」の第1回が終わりました
東京・代々木のホリスティックラウンジからの配信講座「龍樹:『中論』に挑む」の第1回が終わりました。ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
正直、疲労困憊です。
『中論』については、集中力を極限にまで高めないと、お話しすることができません。
南インドでのダライ・ラマ法王の『中論』講義
講座の冒頭でもお話ししたのですが、
私にとって『中論』の捉え方が大きく変わるきっかけになったのは、南インドのアマラーヴァティ(ナーガールジュナと親しかった南インドの王の都跡で、近くにナーガールジュナコンダという仏教遺跡もある)でおこなわれたダライ・ラマ法王の『中論』講義でした。
カーラチャクラ大灌頂の前行法話として行われたもので、
法王は、その前に、南インドに再建された大僧院で『中論』全体を講義されていて、
『中論』は26章→18章→24章の順に読むとわかりやすい、とのことで、その順でお話しされました。
私にとって、目から鱗が何枚も落ちる体験でした!
『中論』は、空(くう)の思想、あるいは縁起の思想を説く観念的な哲学書といわれていて、私も(難しくてよくわからないので)たぶんそうなのだろう、と思っていたのですが、法王は、苦しみから抜け出すための実践の書として読み解かれたのです!
ナーガールジュナの仏教理解と日本仏教
日本仏教の伝統では、龍樹は「八宗の祖」と尊ばれてきました。
日本の仏教の宗派の多くは実践法で分かれていますが、その仏教理解と実践は、どれも古代インドのナーガールジュナ(龍樹)に由来するとされています。
ナーガールジュナの仏教理解を踏まえることで、諸宗の伝える実践法が、同じ山の山頂を目指すそれぞれの登山道であることが見えてきます。
私は、南インドでの『中論』講義を聞いて大感激し、日本の仏教に関心のある多くの人に紹介したい、
特に、日本で仏教を再び盛んにしたいと頑張られている方は、私が教えを受けることのできたダライ・ラマ法王の『中論』講義を聞くと、
自分の宗派の実践が、何を目指してどういうことをおこなっているのかがわかるはずだ! 日本仏教復興の鍵となる教えだ、と、
日本語通訳を務めてくださったマリア・リンチェンさんに、
「この教えを日本で出版し、関心のある人が読めるようにしてください。私の日本での影響力は微々たるものですが、本がでたら、告知の努力をします!」とお伝えしました。
この教えは日本で出版され、私も『中外日報』に紹介を書きました(現在は、吉村均noteで公開しています)。
四国・新居浜での仏教徒限定の教えの実現
たびたび日本を訪れられたダライ・ラマ法王も、同じことを感じられたらしく、
日本で、お坊さま限定で、1週間の『中論』講義を行いたい、というご希望をお持ちだったと、うかがいました。
残念なことに、関心を持たれたお坊さまは少なかったようで、実現はせず、
法王さまを尊敬される日本のお坊さまが、せめて自分のできる範囲で法王さまの思いを実現したい!と、四国・新居浜の結婚式場を借りて、
仏教徒限定で、ダライラマ法王が日本でやりたかった二つのことを行ないました。
ひとつは科学者との対話。ダライ・ラマ法王は何十年も科学者との対話を続けていますが、そこから体に精神の宿る「魂の座」はない、という方向の話になり、保守的なキリスト教徒から、無神論だ!と批判を受ける可能性がある。法王は、近代科学が発展していて、しかもキリスト教国ではない日本でその議論をするのがいいのだろう、とお考えだったそうです。
もう一つは、空(くう)の教えで、新居浜では、『般若心経』の解説という形で行われました。
後から聞いて知ったのですが、最初は僧侶と寺族限定だったそうなのですが、普段のダライ・ラマ法王の会場とは比べものにならない広さで、それでも人は集まらず、参加資格をゆるめて、仏教徒限定になったのだそうで、おかげで、私のような俗人も参加することができました。
その新居浜での教えでは、ダライ・ラマ法王は日本の仏教徒を対象に教えを説くことができると意欲満々で、途中の質疑応答の時間、最初の質問に、「今日は仏教徒への教えなのだから、質問は仏教限定にしてほしい」とお返事され、ハードルが、めちゃくちゃあがってしまいました。
誰も、質問されなくなり、私は、教師の仕事をしているので、ダライ・ラマ法王がのりのりでディープな話をされ、途中、聴衆の多くがついて来れてない、と気づかれて、話をやめられた箇所があり、
私はその先を聞きたかったので、他の質問者もでなくなってしまったので、そのことをお尋ねしました。
そこがお話したかったのか、長く説明していただいただけでなく、教えの終わりに壇から降り、わざわざ私の席まで来て、握手をしてくださいました。
その時の新居浜での講演は、『空の智慧、科学のこころ』集英社新書として、活字になっています。
(ナーガールジュナの仏教理解と日本仏教の関係については、論文「ナーガールジュナ(龍樹)の理解を基盤としたチベットと日本における仏教の展開」『比較思想研究』39に書きました)
(日本仏教鑽仰会主催の講演「求道とは何か、空海、道元、親鸞をみつめて」(7月15日)では、日本仏教に焦点を当ててお話しする予定です)
(次回の「龍樹:『中論』に挑む」は6月18日、申し込み受付中です)