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藤田一照師とのオンライン対談を終えて

 先日の藤田一照師とのオンライン対談には、100人を超えるお申し込みがあったそうです。ご参加くださった皆さま、ありがとうございました。

 私自身、一照さん(藤田老師とか藤田先生と呼ばれるのを嫌がられるので、こうお呼びします)とお話しするのは、2018年に西荻窪ほびっと村でおこなわれた、一照さんと日本在住のチベットの高僧ニチャン・リンポチェとの対談「チベット仏教と日本仏教の出会い」で、両方の伝統を知っている人がいた方がいい、と橋渡し役としてお声をかけていただいて以来で(森竹ひろこ(コマメ)さんがその時のレポートを書かれています)、楽しくお話しすることができました。

 この時は、一照さんが日本在住のテーラワーダの長老と対談された後で(『テーラワーダと禅』のタイトルで刊行されています)、そこで議論になった『般若心経』の「色即是空、空即是色」が、リンポチェと一照さんの対話の大きなテーマのひとつになりました。
 それ以来なので、私としてはその続編的な意識が強く、今回の対談の隠れたテーマにもなっています。

 チベットの学僧は、まず経典や論書を丸暗記し、次に内容を理解して、それを自在に使いこなせるようにします。教えや、あるいはこちらの質問に対して、ちょうど病院と処方箋薬局が分かれる前、お医者さんが患者を診察して、ふさわしい薬を棚から取り出すように、適切な教えの引用が口からすらすら出ます。
 私はチベットの先生方から学ぶことはできましたが、向こうのお寺で修行生活を送ったわけでもなく、そのような芸当はとてもできません。
 今回の対談のタイトルは「求道とは何か? 空海・道元・親鸞」だったのですが、教えの紹介や引用が少なかったので、空海や道元や親鸞の話はどこ? と思われた方もいらっしゃったかもしれません。
 蛇足かもしれませんが、少し振り返って補いたいと思います。

仏道における師の役割

 対談でもっとも印象に残ったのは、一照さんの「師は弟子に自分の足で立つことをうながす存在で、(自分に)依存させる存在ではない」というお話でした。
 私が仏教の学び方を大きく変えるきっかけになったのは、オウム真理教の事件だったのですが、一照さんにとっても大きな出来事だったことは、今回、はじめてうかがいました。

 チベットには、有名なマルパとミラレパの話があるのですが、オウムではそれを師の言うことに疑問を挟まず言われたとおり実行すれば、悟りを授けてもらえる、と解釈し、弟子たちに教えていたようです。
 実際には、そんなことはありません。チベットの伝統には、奥義とされるマハームドラーやゾクチェンと呼ばれる教えがあり、師による「心の本質の導き」がおこなわれるといいますが、師が「心の本質」を教えてくれたり授けてくれたりするわけではありません。
 「心の本質」(仏性)は一切衆生にそなわっていますが、通常、それはぶ厚い汚れに覆われてしまっていて、あらわになっていません。弟子がその汚れを除く修行をして、仏性が一部でもあらわになった時点で、師が「そこ」と言うと弟子が気づくというもので、あらわになっていない段階で、形式的に「導き」を受けてみても何の役にもたちません。
 奥義、秘密の教えとされてきたのは、仏性がどの段階であらわになるかは人によって違い、一律に対応することができないものだからです。
 仏性の汚れを取り除くことと、仏陀の境地を目指すことは、実際にやっているのはまったく同じことで、山に登るのを、頂上から見るのと、麓から見るのとの、視点の違いでしかありません。

 道元禅師は、『正法眼蔵』「嗣書」巻で、嗣法(師から法を受け継ぐこと)とは「無師独悟」なのだと説かれています。法を受け継ぐということは、師から何かを貰うことではなく、仏陀や代々の祖師が見てきたものを自分の目で見ることなのです。

仏仏かならず仏仏に嗣法し、祖祖かならず祖祖に嗣法する、これ証契なり、これ単伝なり。このゆゑに無上菩提なり。仏にあらざれば仏を印証するにあたはず。(中略)
 仏の印証をうるとき、無師独悟するなり、無自独悟するなり。このゆゑに、仏仏証嗣し、祖祖証契すといふなり。この道理の宗旨は、仏仏にあらざればあきらむべきにあらず。
 水野弥穂子校注『正法眼蔵(二)』岩波文庫、p370-1

釈尊は仏教3.0

 この一照さんのお話しは、話のきっかけとして最初に取り上げた、お釈迦さまが3.0なんだという話と、内容的に照応しています。
 この対談は「アップデートする仏教オンライン『藤田一照さんを囲む会』」で、『アップデートする仏教』に関心ある参加者が多いだろうと思い、私が当時感じたことから話しを始めました。

 仏教をバージョンアップするというお話は斬新で、仏教に関心ある多くの人をひきつけると同時に、「仏教はお釈迦さまが完成されたもので、バージョンアップの必要はない。バージョンアップするとは何事だ」という批判もあったように思います。

 そのなかで私が共感したのは、一照さんの「そもそもお釈迦さまが3.0なんだ」というご発言でした。

 対談でもお話ししましたが、「教義に従う」というのは西洋の一神教の発想で、仏教は教義に従う教えではありません。
 「仏教の教義」「曹洞宗の教義」「浄土真宗の教義」などと言うようになったのは、明治以降の近代化で西洋の物の見方や学問がはいってきたことと、鎌倉仏教の諸宗派が修行法で分かれていて、仏教の全体像が見えにくくなっていることが原因で、正しい教えの理解の妨げになっていると感じています。

 チベットでは、ひとつの宗派のなかに坐禅のような瞑想、密教の修行、顕教の学問、浄土信仰があり、伝統的な学習法も受け継がれているので、仏教が教義に従う教えではないことに気づくことは比較的容易です。

 釈尊の教え方は「私の言葉を信じなさい、私の言葉に従いなさい」ではありませんでした。
 有名なキサー・ゴータミーに対する教えに示されるように、本人が自分で気づかないと意味がない、教えはその手助けとなるものでした。

 子供を亡くして狂乱するキサー・ゴータミーに釈尊は「芥子粒を貰ってきなさい。そうしたらそれを使って生き返らせてあげよう。ただその芥子粒は一度も死者を出したことのない家から貰ってくる必要がある」と約束し、キサー・ゴータミーは大喜びして家々を回ったが、どの家も死者を出したことがあり、死は避けることができないものである、死んだ人は生き返らないことをさとって正気を取り戻し、後に出家してすぐれた尼僧となった。

 禅に「道得(どうて)」(言い得る)という言葉があります。
 伝統的に、仏教では教えの言葉は月をさす指だ(指を見るのではなく、その指がさしている月を見つける必要がある)といいますが、月を実際に見た人は、自分の言葉で月を形容することができます(「お前は月を見たか?」「はい、バニラアイスのようでした」「なるほど、お前は月を見ている」)。
 禅の伝統では、達磨大師が四人の弟子に何を見たか尋ね、それぞれの答えに対し「お前は私の皮を得た」「肉を得た」「骨を得た」「髄を得た」と告げたという話があり、道元禅師もあちこちの巻で触れています(『正法眼蔵』「葛藤」巻ほか)。
 『正法眼蔵』「道得」巻では、「諸仏諸祖は道得なり」と、「道得」とは単なる答え合わせ、正解を答えることができるかどうかではなく、月を見た人のふるまい、その人そのものが「道得」であると、さらに深い話をされています。

 大乗経典の教えや禅の語録を題材とする『正法眼蔵』(七十五巻本)が難解なのは、教えの言葉を本来の「月をさす指」、私たちが自分で月を探して見つけるための手がかりに戻しているからです。
 教えが経典や語録に収録されてしまうと、聖典化、硬直化がおこり、ありがたがるだけで、誰も月を探そうとはしなくなってしまいます。
 月を実際に見た人は、経典や禅の語録の言葉とは別のさしかたで、さまざまに同じ月をさし示して、月を見つけるよう促すことができます。

観自在菩薩の行深般若波羅蜜多時は、渾身の照見五蘊皆空なり。(中略)照見これ般若なり。この宗旨の開演現成するにいはく、色即是空なり、空即是色なり、色是色なり、空即空なり。百草なり、万象なり。
『正法眼蔵』「魔訶般若波羅蜜」巻、『正法眼蔵(一)』p62

 経典で「色即是空、空即是色」と説かれていることは、「色是色」「空即空」とも言えるし、「百草」「万象」とも言えると、道元禅師はヒントを追加し、私たちに月を探し、見つけるよう促します。

 『正法眼蔵』「心不可得」巻では、『金剛般若経』の権威を自負する徳山が餅売りの老婆にやり込められた話が取り上げられていて、中国(宋)ではこのエピソードは老婆がすぐれた者だったと考えられていることに疑問を呈し、もし老婆がさとっていた(月を見ていた)なら、そこから徳山を導くことができたはずだ、と、ちょうど囲碁や将棋の解説者がその先の展開を予想するように、自分だったらこう導くと、仮想問答を展開しています。これを見ると、道元禅師が『正法眼蔵』で何をなさろうとされているかが、よくわかります。

山登りの道順

 仏教は明治以前の一般的な言い方では「仏道」、道なので、正しく道順を知っていることが大切です。
 私が最初に本格的な密教の教えを受けたチベットの先生は、修行者タイプの方で、「仏教の勉強なんて、お坊さんが一生かかっても、理解することはむつかしい。あなたがた在家は仏教に割くことの時間が限られているのだから、修行をしなさい」と説かれ、その瞑想の指導も徹底的に実践的、「ここは、このように瞑想して、」と指導される方で、私にとっては、結果的にとてもラッキーでした(自分の解釈をいれたり、それまでの自分の知識とまぜこぜにしたりすることができず、言われたとおりするしかなかったので)。
 とは言っても、何も手がかりがないのは不安だったので、個人的に恐る恐る、「勉強するとしたら、何がいいでしょう」と質問したところ、即答で返ってきたのは「ナムタル(チベット語で、高僧伝)」というお言葉でした。
 これも私にとっては、後々まで役に立ちました。今では、盛んではないなりに、日本にもいくつかのチベット仏教の団体やグループが活動していますが、当時はいろいろな高僧が単発的に来日され、バラバラに教えを説かれるだけで、それらがどうつながっていて、何をやればいいのか、見当がつかなかったからです。
 考えてみたら、もし自分が山頂に登りたいのであれば、まず参考にすべきなのは山頂に登ることに成功した人の体験談です。

 私がチベットの先生方から教えを受けるようになったのは、精神的に追いこまれ、それしか道がなかったからで、自分の研究に役立てようという気はまったくありませんでした。
 そもそも、教えを受ける前は、弘法大師の教えも道元禅師の教えも、何のことかまったくわかりませんでした。
 それが何年か経って、久しぶりに教えを見た時に、すらすらではないにしろ、何をおっしゃろうとしているかがわかるようになっていて、関心を持つ人とシェアできたら、と少しずつお話しするようになりました。

 教えは道なので、日本の高僧の教えを読むときも、その方がどういう道を歩まれたかを踏まえることが役立ちます。

 道元禅師は比叡山で学習と修行をされ、栄西の直弟子(明全)から当時最新流行の禅の教えを受け、本場で学ぼうと師をさそって中国(宋)に渡りました。道元禅師の方向性を大きく変えるきっかけとなったのが、一照さんが紹介された、上陸許可を待つ船での老いた料理係の僧(典座)との出会いでした(『典座教訓』)。その後、師となる天童如浄師と巡り合われます。
 比叡山で修行し、禅の本場で学ぼうと宋に渡られた道元禅師は、仏陀の境地を目指そうと邁進されていたのだと思います。そんな道元禅師は老いた料理係の僧に出会い、そんな仕事は若い者に任せて、仏教の学習や修行に励まれたら、と助言して、「まだ仏教というものがわかっておられない」と言われてしまいます。その後如浄師から指導を受けたのは、自分が思っていたゴールを目指す仏教とは違うものでした。

 親鸞聖人も比叡山で修行の後、山を降りて、後世を祈って京都六角堂に百日籠り、九十五日目に観自在菩薩のお告げを受けて、法然上人の許を訪れました。親鸞聖人にも、ゴールを目指す仏教からの転換が見られます。それが他力の教えです。

 弘法大師空海は、若き日は四国の山々などで厳しい修行に打ち込み、遣唐使船に同乗して、中国(唐)で恵果阿闍梨から当時最新流行の密教の教えを授かって帰国します。弘法大師は恵果阿闍梨に出会って「お前が来るのを待っていた。はやく灌頂壇に上がりなさい」と言われて灌頂を授かっていて、ご自身の体験として、道元禅師や親鸞聖人のような転換点がどこにあったかはわかりませんが、帰国後著した十住心の教えを見ると、ゴールを目指す仏教からそうでない仏教への転換が見られます。

 私の書いた『空海に学ぶ仏教入門』(ちくま新書)のウリというか、特色は、『秘蔵宝鑰』の第四住心の後で展開されている十四問答(仏教を国家が保護するのは税金の無駄遣いだとする儒教官僚と、教え諭す仏教僧の問答)のなかで説かれている仏教の分類を踏まえて、十住心を見ていることで、それによって十住心の性格が明確になると考えています。
 これまでの註解では、十四問答は長い『秘密曼荼羅十住心論』にはなく、略本とされる『秘蔵宝鑰』のみにあるためか、十住心の理解には生かされてこなかったようです。しかしその分類は、帰国後早い段階で著された『弁顕密二教論』にも見られるもので、十住心の分類に先立つ弘法大師の基本的な仏教理解と見ないといけません。
 それは化身の仏陀の説く三乗の教え、報身の仏陀の説く一乗の教え、法身の仏陀の説く真言乗の教えに仏教を分類するもので、十住心に対応させると(第一住心~第三住心は、仏教・非仏教共通の人天乗)、以下のようになります。
・第一住心~第三住心:私たちの物の見方に合わせた段階(人天乗)
・第三住心~第七住心:私たちの物の見方からの解放を目指す段階(三乗)
・第八住心・第九住心:「空」を体験した人に現われる世界(一乗)
・第十住心:言葉を越えた境地を言葉を介さず体験する段階(真言乗)

 三乗の教えは、輪廻を抜け出してそれぞれ阿羅漢・独覚仏・仏陀の境地を目指す、ゴールを目指す教えです。それに対して、そうではないと気づき、実践するのが、一乗の教えです。

 チベットでは、一時、経典や論書によって教えの内容が違うことによる混乱が生じ、チベット人同士で議論しても結論は出ないと、インドの高僧(出身は現在のバングラデシュ)アティシャ(982~1054)が招かれました。そのアティシャが著したのが『菩提道灯論』で、そこで説かれているラムリム(菩提道次第)の考えは、あらゆる仏陀の教えを一人の人が矛盾なく教誡として実践できる教えといわれ、チベットのあらゆる宗派の仏教理解と実践の基盤となっています。

 そのようなチベットの伝統に触れることができた身から見ると、日本仏教の実践のレベルの高さと同時に、ハードルの高さも感じます。
 開祖の伝記を見ても、『正法眼蔵』(七十五巻本)で説かれているのは、中国(宋)に渡って老典座や天童如浄師との出会いによって、それまでのゴールを目指す仏教が、そうではないと気づかされた段階の教えですし、浄土真宗の他力も、六角堂に籠った後、法然上人の許で理解した教えです。

 開祖自身がゴールを目指して長年努力した末に開けた新しい地平が、だれもが従うべき教義のようなものと思われている状況は、かなりきびしいのではないでしょうか。
 いきなり「修証一等」とか、「他力の念仏」「他力の信」と言われても、どうすればいいのか困惑する方は、正直、多いのではと思います。

「色」から「空」へか、「色即是空、空即是色」か

 このことは、一照さんと前回お目にかかった時に話題になった、『般若心経』をめぐる議論とも関係しています。
 テーラワーダの長老は、「色」から「空」に行ったら仏教は終わりで、「色即是空」はあっても、「空即是色」はありえないと説かれますが、これは南伝と北伝の仏教理解の違いに関わっています。当然のことですが、長老がご自分の好き嫌いや個人的なお考えで教えを説かれることはありません。それでは仏教にはなりません。

 南伝では阿含経典(アーガマ)のみを認め、北伝では阿含経典と大乗経典の両方を認めますが、内容的な仏教理解の相違のひとつが、涅槃解釈の違いです(他に、八正道の位置づけの違い)。

 阿含経典(アーガマ)で釈尊は、輪廻の苦しみから抜け出すべきことを説かれ、それを理論化した部派の仏教理解では、涅槃は輪廻の外にあるゴールです。テーラワーダはその部派の流れを汲んでいて、だから長老は「色」から「空」に到達したら仏教は終わり、と説かれるのです。

 それに対して中国・日本・チベットなどの北伝は、古代インドのナーガールジュナ(龍樹)の仏教理解に基づいています。
 北伝では、釈尊がブッダガヤで瞑想してさとりを開かれた後、何十年もこの世に留まり教えを説かれたことに注目します。それは自分の苦しみをなくすには必要ない行為で、釈尊が教えを説かれたのは、他の生き物を苦しみからの解放に導くためです。
 『般若心経』は、伝統的理解では、釈尊のさとりの境地を観自在菩薩が理解され、釈尊の高弟の舎利子(シャーリプトラ)に説明されている経典です。
 智慧によって輪廻の辺に留まらず、衆生への慈悲によって(輪廻の対立項として目指される狭義の)涅槃の辺にも留まらない「無住処涅槃」こそが仏陀の境地だ、というのが、北伝の涅槃理解です。
 だから観自在菩薩は、釈尊のさとりの境地を「色即是空、空即是色」だと形容されるのです。

 しかし、ここで気をつけなければいけない点があります。輪廻の外のゴールを目指さないと、仏陀の「色即是空、空即是色」にたどりつくことはできない、ということです。
 ですので、「色」から「空」へか、「色即是空、空即是色」の二つの仏教理解について、どちらが正しいかとか、どちらがすぐれていてどちらが劣っていると捉えてしまっては、正しい道を歩んで頂上にたどりつくことができなくなってしまいます。
 道順、ふたつの仏教理解の関係を正しく理解しておくことは重要ですが、それを優劣で考えてはいけません。

 チベットのマハームドラーやゾクチェンのような奥義では、本行に先立って前行が修行され、そこではまず輪廻からの出離の心をおこし、その上で一切衆生を苦しみから救うために菩提心をおこすべきことが説かれます。
 日本以外の多くの国でチベットの教えは関心を持たれていますが、その理由として、教えに関心をもった素人にとって道の見えやすさ、見通しのよさがあるのではと思います。もちろんそれは登り始めの部分だけで、途中から日本の仏教がそこから始める地点に合流するのですが。

 そういう実践に触れた私からすると、開祖が長い学習や修行をされた末に開けた新しい地平のみが説かれ、それがあたかも誰もが従うべき教義のように思われがちになっている日本仏教の状況は、かなりハードルが高い、少なくとも私のような素人が安易に手を出すことのできるものではないように感じます。

一照さんに聞いてみたかったこと

 私は伝統的な仏教はチベットの先生方から指導を受け、学者としては日本の文化や宗教を中心に研究している変わり種ですが、約10年前、インドでおこなわれた世界中の仏教徒が集まった国際会議ではじめて一照さんにお目にかかった時に、「道元禅師の話をすることができる曹洞宗のお坊さまがいらっしゃった!!」と驚いたことは、対談でも触れました。
 「坐禅は習禅にあらず」「結果自然成」(『現代坐禅講義』)、「する禅」ではなく「なる禅」、一照さんは道元禅師のおっしゃろうとしていることを正しく理解され、生きられていると感じます。

 しかし、そんな一照さんでも、最初から「なる禅」でスタートできたのではないはずだ、チベットの伝統と比較すると、日本仏教の入り口のハードルは格段に高く、一照さんはどのような道をたどられて、今の理解にたどりつかれたのだろう。
 それがずっと気になっていたことでした。あるご本で、はじめて安泰寺に行った時に、それまで大学院の学生時代に通っていた鎌倉の円覚寺の臨済禅と比べて自分には高すぎるレベルの教えで、「臨済禅で修行してからまた来ます」と師匠となられた方に申し上げたところ、ここに留まるよう言われた、と書かれていたのを読んだことがあります。

 これは、私が個人的にずっとお尋ねしたかったことでもありますし、仏教ではその方のたどった道を知ると教えの理解が容易になるので、対談に参加されている多くの一照さんの教えや実践に関心を寄せている方の参考にもなるのでは、と思い、二人で本格的に仏教についてお話しするのははじめてのこの機会に、質問させていただきました。

(道元禅師については拙著『神と仏の倫理思想【改訂版】』の二章2、親鸞聖人については二章3で論じています)

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